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『御手洗・手水場(おてあらい・ちょうずば)』
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皆さんは便所へ行きたくなった時、何といって席を立たれますか。また、その場所がどこにあるのかを尋ねたい時、何と言って聞きますか。
おそらく、そのものずばりを口にすることを避け、隠語を使うとか遠まわしの表現をなさる方が多いと思います。そのせいか、便所をさす語ほど多くて、表現法をてんてんと変えられてきた語も少ないでしょう。
先日こんなことがありました。よそのお宅でのこと、あることで手を汚してしまったものですから、家の人に「手を洗いたいんですけど、どこへ行ったらよいでしょうか」と尋ねました。するとその人は親切にも私を御手洗へ案内してくれたのです。私はドアの前に立って途方にくれてしまいました。汚いままの手ではドアにもさわれません。「本当に手を洗うだけなんです」と必死に説明している私の姿は滑稽だったに違いありません。
ところで御手洗とは本来、本当に手を洗い口を漱ぐことだけを目的とする場所のことなんですね。皆さんは寺社の前庭にこの設備があるのをご存じでしょう。ここを御手洗と書いてみたらし、または手水場と書いてちょうずばと称します。参拝者は神仏を拝む前にここにある手水鉢から水を汲み、手を洗い口を漱ぐわけです。寺社という浄域に入る前に不浄を除き、身も心も清浄にしてから神仏と対面する_これが何よりも大切な心得ですね。
御手洗が今や例の場所をさすこととなり、しかもそれが常識的なのは残念ですが、少なくとも私たちはこの語が本来さすものを知っておきましょう。そして手を洗うことによって心をも同時に洗い清め、敬虔な気持ちで神仏と対面することを心掛けたいものです。 |
合掌 |
令和3年9月の言葉より |
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