最終更新日:令和7年9月1日








『御手洗・手水場(おてあらい・ちょうずば)』

 皆さんは便所へ行きたくなった時、何といって席を立たれますか。また、その場所がどこにあるのかを尋ねたい時、何と言って聞きますか。
 おそらく、そのものずばりを口にすることを避け、隠語を使うとか遠まわしの表現をなさる方が多いと思います。そのせいか、便所をさす語ほど多くて、表現法をてんてんと変えられてきた語も少ないでしょう。

 先日こんなことがありました。よそのお宅でのこと、あることで手を(よご)してしまったものですから、家の人に「手を洗いたいんですけど、どこへ行ったらよいでしょうか」と尋ねました。するとその人は親切にも私を御手洗へ案内してくれたのです。私はドアの前に立って途方にくれてしまいました。汚いままの手ではドアにもさわれません。「本当に手を洗うだけなんです」と必死に説明している私の姿は滑稽(こっけい)だったに違いありません。

 ところで御手洗とは本来、本当に手を洗い口を(すす)ぐことだけを目的とする場所のことなんですね。皆さんは寺社の前庭にこの設備があるのをご存じでしょう。ここを御手洗と書いてみたら(・・・)し、または手水場と書いてちょうずば(・・・・)と称します。参拝者は神仏を拝む前にここにある手水鉢(ちょうずばち)から水を汲み、手を洗い口を漱ぐわけです。寺社という浄域に入る前に不浄を除き、身も心も清浄にしてから神仏と対面する_これが何よりも大切な心得ですね。
 御手洗が今や例の場所をさすこととなり、しかもそれが常識的なのは残念ですが、少なくとも私たちはこの語が本来さすものを知っておきましょう。そして手を洗うことによって心をも同時に洗い清め、敬虔(けいけん)な気持ちで神仏と対面することを心掛けたいものです。
合掌
令和3年9月の言葉より

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