住職の独り言」・・・・その149

 コンニチワ!
 9月は遅い夏休み・・・?(単にサボタージュしただけ、という声も聞こえてきそうですが)をしてしまい、申し訳ございませんでした。
 今だ、天候不順が続き、各方面でさまざまな影響が出ているようです。
 国の内外でも、不穏な動きがニュースをにぎわしております。宇宙船地球号は、どこをめざして航行しているのでしょうか・・・

 さて、かつてテレビでお宝拝見という番組を見たことがありました。視聴者が大切にしているものを番組で紹介するというもので、かなりの人気番組のようです。こんなものが、というものがその人の大切な宝物であったりします。自分にとってはなくてはならないもの、それが宝物であるといってもいいと思います。それは当然人それぞれです。
 ある宗派の映像で、僧侶がお宅に伺ってご家族にインタビューをしていました。「あなたの宝物は何ですか?」という質問でした。高齢のおじいちゃんは、「私の宝物は私の家族です」と答えました。 その息子さんは「私の宝物ご先祖様です」と答えました。まあ穏当なお答えかも知れません。その時、お孫さんが「うちの宝物はお仏壇です」と答えました。そこに居合わせた家族は一瞬びっくりしたような顔をしていました。お孫さんは「だってうちで一番高いものだから」と言ったのには笑ってしまいました。

「宝とは道心なり」
とおっしゃったのは、我が宗祖傳教大師最澄上人(822寂)であります。傳教大師様は人々に本当の仏法を伝え、広めたいと考え一生を仏法に捧げた方です。同時に国の宝とは道心のある人であり、その人を作ることに生涯を捧げられました。
 日本仏教を代表する名僧でありながら、常に自分のことを「愚の中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、低下の最澄」(愚か者の中の最も愚か者。道理に暗いこと極まりない私。仏の悟りを得る智恵もない、最低の人間)と言っていたのです。
 日本仏教の僧の中でも最も秀才と言われているのが、傳教大師様です。本当に尊い方はここまで自分を深く洞察していたのです。
 お釈迦さまの「愚を知るを智者という。知を誇るを愚者という」の言葉通りです。この比叡山に登って修行した僧侶の中に、法然上人、親鸞聖人、道元禅師、日蓮上人等々の祖師方がいらっしゃいます。それほど比叡山は仏教者にとっては魅力的なところでありました。

国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり・・・
  「径寸十枚これ国宝にあらず、一隅を照らす、これすなわち国宝なり」と。
  (国の宝とは一体何であろうか。それは道心─真実を求める心─である。
  立派な宝石といったものなどが国宝ではなく、
  社会の片すみにあっても光を発する者、それが真の国の宝である。)
 純粋に仏道一筋に生きた傳教大師様ならではの言葉と言えましょう。何千年前の建築物、古文書などが国宝と言われるものではなく、人々の支えになる、それが国宝というものである、と傳教大師様はおっしゃられたのです。そのような人間を形成したいというのが、傳教大師様の願いなのです。

 もっと具体的に言うと、それは仏法を身につけた人、といってもいいでしょう。道心ある人が国の宝だというわけです。私たちの周囲には素晴らしいものが沢山あります。魅力的なものもあふれています。これらを手に入れるために私たちは懸命になっている、と言ってもいいかもしれません。
 傳教大師様は「宝とは道心なり」と言い切っています。世俗をいくら究めても、それは砂の上に邸宅を構えるようにむなしい。真実なるものはどんなことがあっても崩れず、亡くならないもの。それが道心であると言うのです。
 この道心を持った人が国の宝と言われるものです。私は道心がある人を養成したい。それが比叡山であるということを信じて疑うことなく生涯を尽くした人。それが傳教大師最澄上人でした。しかし、これは傳教大師様だけでなく、本来の仏法が目指すところであったと言ってもいいでしょう。
 道心ある人が国中に満ち溢れた時、国は豊かになり、人々が幸せになることを示したのが「宝とは道心なり」という言葉だったのです。
今、地球上のすべての国々、すべての人々が国の豊かさ、人々の幸せ感を物質、経済の指標で図っています。人類はいつの間にか、進むべき道を間違ってしまっているのです。

 日本は仏教国であると言われています。小生は本当にそうだろうかと疑問を持っています。僧侶の数も多い、寺院の数も七万を超えると言われています。しかし、その内容はどうでしょうか。形式的な檀家制度の中に埋没して、自らの生き方を仏法に求めない者がいくら多くいても、それは仏法者ではありません。とうていその国は仏教国とは言えません。
 何にもまして大切なもの、それが「道心」(求道者)であり国宝だと言った傳教大師様。一国はその強さを誇るのではなく、そこにすむ人々の心の豊かさによって、その値打ちが決まるのではないでしょうか。
傳教大師最澄上人の言葉は、今も凛とした響きを放っています。






合掌
 「宝とは道心なり」 」

平成29年10月1日

文中の写真は初秋の北海道です