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住職の独り言」・・・・その79![]() 日一日と過ごしやすくなりますが、この時期こそゆだんをすると夏の疲れが出て、体調を崩すことがあります。気を引き締めて秋冬用に身体をリセットしていきましょう。(小生の過去の体験から・・・) さて、今月も法華経の中から「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)の喩え」という喩え話をご紹介してみたいと思います。 「長者窮子の譬喩」は、『法華経』の第4章「信解品」に出る喩え話で、天台大師は、この譬喩にお釈迦さまの50年にわたる教えの根本原理(五時判)が示されていると考えられました。 お釈迦さまは、すでに第2章の「方便品」で、すべての人々が仏とさとりを得られるという「一仏乗」に関する教えを聞いても理解できなかった人々(中根の声聞)のために、第3章の「譬喩品」で「三車火宅の譬喩」をお説きになりました。そして上根の舎利弗は「方便品」の教えで早くもお釈迦さまのこころを理解し、「譬喩品」では将来さとりを得て仏になるという保証(授記)をお釈迦さまから受けたのでした。 こうして「信解品」に入るのですが、ここでは、「譬喩品」の教えでようやくお釈迦さまの大きな慈悲のこころを理解した須菩提・摩訶迦旋延・摩訶迦葉・摩訶目?連たち四人の中根の大声聞が、舎利弗が成仏の予言をお釈迦さまから受けたことを大いに喜び、これまで真剣に大乗の教えを求めなかったと自分たちを自己批判します。そのうえで自分たちが理解したところを、「長者窮子」のたとえでお釈迦さまに申しあげたのです。それは次のような内容です。 幼少の時に父を捨てて家出し、行方不明になって50年、ますます生活に困窮し、各地をさまよい歩いて日雇いの仕事をしていた人(窮子)がいました。一方、父の方もずっと子の行方を探し求めて転々とするうちに、商売にせいこうしてある町に住み大富豪(長者)となっていました。長者は膨大な財産をぜひ息子に譲りたいと考えましたが、ある時その息子が仕事を求めてたまたま父の家にやって来たのです。長者が実の父とは知らぬ子は、父の威厳ある姿を見て国王ではないかと思い、強制的に働かされることを怖れて逃げ去りましたが、ひと目で自分の息子だと分かった長者は従者に命じて後を追わせます。追いつかれた息子は、罪もないのに罰せられると思い、気絶してしまいました。この様子を見ていた長者は、無理をしても無駄であると考えて、いったん息子を解放します。 長者はやがて巧みなてだて(方便)をもうけて、従者の中から息子と同じ顔色が悪く貧相な二人を息子のところに遣り、2倍の賃金を払う約束で便所掃除の役に雇い入れました。苦労し、懸命に働くわが子の姿を見て、長者は自分も粗末な衣類を着、糞便をくみ取る道具を持って一緒に働くことで、すこし息子に近づくことができたのでした。 長者は我が子の愛しさに 瓔珞衣を脱ぎすてて あやしき姿になりてこそ 漸く近づきたまひしか ![]() それから20年間、お互いに親密になり息子は長者の屋敷に自由に出入りするようになりましたが、相変わらず自分は他のところから働きにきている身分の低い者であると思い、長者に本当のこころを開きません。 やがて年老い病気になった長者は、息子に全財産の管理を任せるようになりましたが、息子はまだ自分が賎しい使用人だという下劣な考えを持ち続けていました。 その後しばらくして、やっと息子が以前の自分のこころを賎しいと考えるようになったのを知り、長者は臨終の時に、親族、国王、大臣などを集めて、父子が離れ離れになった事情を説明し、親子の名乗りをあげ、息子に全財産を相続させたのです。 以上が「長者窮子の譬喩」の要約ですが、この譬喩も「三車火宅の譬喩」と同じように、お釈迦さまを父にたとえ、衆生(生きとし生けるもの)を子にたとえています。そしてその意味するところは、声聞も本来仏性を持つ仏の子であるのに自分から仏のもとを離れ、仏に出会って仏の子であることにきづかず、仏も声聞のこころの下劣さを知って、すぐに仏の子でることを打ち明けずに長い期間さまざまな方法で教育し、最後に仏の子であることを打ち明け、すべての財産(一乗の教え)を相続させるという点にあります。つまりこの「長者窮子の譬喩」で描かれる、本当は富裕な長者(仏)の子であることに気づかないで下劣なこころに染まってなかなかそこから抜け出せないで放浪する家出少年は、私たち自身であるということなのです。
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