H25.12月のことば 「世知辛い」(せちがらい)
 「最近は世知辛い世の中になったものだ」などとよく使われる言葉ですが、内容としては良い意味に使われることはありませんね。
 しかし、世知(智)は仏教語で「世間で用いられている智慧」で処世術のことですから、そう悪い意味ではありません。この対語の「仏智(ぶっち)」が「ホトケの智慧」ですから完全なわけで、世知は相対的に「小賢(こざか)しい」「こすっからい」と悪く受け取られたのです。
 仏教では智慧を大事にします。お釈迦さまがこの世界の真理を解き明かされ、だれもが安楽の世界を実現できるように、理論と実践法を示されたからです。まず、この世が苦であるという現実を受け止めます。病人が自分を病気であると認めないと治療は始まりません。次になぜ苦しいのかを理解すべきです。病気がどんな原因で起こったかを正確につきとめます。治療にかかる前に大事なのは、本当の健康はどんなものかを知らせることです。苦を脱した状態のすばらしさを認識すれば、困難も克服できます。最後は治療の実践と健康の維持を学びます。これがお釈迦さまの説く「苦集滅道(くしゅうめつどう)」の四諦説です。
 最後の道諦には、苦しみのない理想の状態をすみやかに獲得し、維持するための八正道が説かれます。正見(正しい信仰)正思惟(しゆい)(正しい意志)正語(正しいことば)正業(正しい行い)生命(規律正しい生活)正精進(努力と勇気)正念(正しい目標意識)正定(精神統一)です。でもこれを全部やらなくちゃならないんだったら、ヤーメタ!と豊かさに慣れ切った日本人は思うでしょう。それが救いがたいところです。
H25.11月のことば 「乞 食」(こつじき)
 本来はコツジキで仏教僧の基本修行です。それがいつの間にか食事を恵んでもらって生きる人という差別の言葉になってしまいました。
 お釈迦さまは僧院生活の基本に財産を持たない、生産をしないという二つの柱を立てました。財産は執着を呼びますので、私物は最も必要な四品にかぎりました。上掛け、中着、下着の三枚の布と食事用の鉢です。生産は欲を生みます。そこで、食事は毎日の托鉢(たくはつ)に頼り、僧院の運営には布施を充てました。ことに、生命に直結する根源的な食を他人の好意に委ねることは、大変な決心を要します。命を投げ出す覚悟がいるからです。
 いまでも南方仏教国では、毎朝の托鉢風景を見ることができます。タイでは、朝にご馳走を作ります。肉、魚、卵も入っています。僧に必ず食事を布施してから自分たちの食事をします。びっくりしたのは、布施される僧はありがとうとも言わず、会釈すらしません。かえって、布施した方が地面に膝をつき、僧に礼拝いたします。日本で布施をもらって礼を言わなかったら、二度ともらえなくなるでしょう。しかし、考えてみれば、仏教の布施は僧に対するものではなく、自分の身を清める行としてするものですから、僧が礼をいうと功徳がなくなってしまいます。

 布施は、さしあげる者が心よく差し出し、受ける者が喜んで受けるとき、やりとりされたものの価値が最高にさります。これこそ、三者がすべて清らかで福徳に包まれた状態(三輪空寂(さんりんくうじゃく))で、仏教が望むところです。義理のお中元やお歳暮には、功徳は宿らないようです。

(文中の写真は10月17日に行われました十三夜観月会の様子です)
H25.10月のことば 「めっぽう」(滅法)
 いろは歌をご存じでしょうか。若い方には分からないかもしれませんね。「色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」ですが、これこそ仏教でもっとも有名な無常の()を歌にしたものです。
 お釈迦さまは雪山(せつざん)童子として、前世の菩薩の時代にヒマラヤで修行していました。あるとき、人生の真理を語る偈が聞こえました。それを語ったのは人食い鬼の羅刹(らせつ)に身を変えた帝釈天(たいしゃくてん)です。童子はその後の句を教えて欲しいと羅刹に頼みました。すると羅刹は、おまえの温かい血と肉を喰わせろといいます。童子は即座に身を投げて後の句を羅刹から聞き出しました。この話はあまりにも有名で、法隆寺の「玉虫厨子(たまむしのずし)」の台座に描かれています。
最初に聞こえた偈は、
  諸行無常(しょぎょうむじょう)(あらゆる現象は無常であり)
  是生滅法(ぜしょうめっぽう)(しかも生滅を繰り返す)で、
命と引き換えに得たのは、
  生滅滅已(しょうめつめつい)(生あるものは必ず死すことを知り)
  寂滅為楽(じゃくめついらく)(煩悩を滅すれば安楽なり)でした。
これを旗に書いて葬列の先頭に掲げ、お(とむら)いを導きます。
 すべては縁によって生じ、縁に従って滅し(縁起)ますから、絶えず移り変わって、確実なものは何もありません(無常)。どんなに大事にしても壊れ、どんなに愛しても別れはやってきます。必ずこうなると言えず、絶対という約束もできません。(無我)。しかし、それが人生だと理解して(是生滅法)、目前の移り変わりに惑わされない自分をつくる(生滅滅已)ことが、苦しみを離れて善い人生を送る道です(寂滅為楽)・・・・・と縷々(るる)申し述べましたが、要は因と縁で世の中が成り立っているわけで、何事にも原因があり結果があります。その因果は縁によって変化しますが、みなが期待するのは、善い行いに果報があるという善因善果(ぜんいんぜんか)因果応報(いんがおうほう)です。しかし、往々にして悪因善果が目立ちます。この世の中が思う通りにいかないのは百も承知でも、何が原因でこうなったか、こんなはずじゃなかったのにと、茶髪、ガングロ(もう古いかな…)を見てはため息が出ます。小生のように、今どきのデジタルにはついていけないアナログ・真空管世代からみれば、因果応報から外れた昨今(さっこん)です。この「仏法」から離れたものを滅法とか無為法(むいほう)といいます。真理を超えていますから人間業ではありません。メッポウしぶといのです。
H25.9月のことば 「つっけんどん(突慳貧)」
 突放(つきはな)したような、つれない態度を指しますが「慳貧(けんどん)」と書く立派な仏教語です。本来の意味は、ものを惜しんで(むさぼ)る欲のことをいいます。ツッはツッパシルのような強めの接頭語です。でもなぜ、この惜しみの語がとげとげしい様子をいうようになったのでしょう。ころは江戸時代、飯や酒、うどんやソバを盛り切り一杯で安く売ったケンドン屋から、サービスや愛想がないという意味で使われ始めたものです。人手を(はぶ)いた自動販売機は現代版ケンドン機ですが、駅の切符売りなどでは、老人や耳目の不自由な人にはツッケンドンのような気がします。

 “(けん)”とは財を独り占めすることです。日本がアジアの近隣諸国から快く思われていないのも、先の侵略戦争のせいばかりではなく、豊かになる過程で近隣に与えず、儲けを独り占めしたことにも原因があります。この惜しむ心はさらなる欲を生み、何でもかんでも自分のものにしたくなります。たとえば、アメリカが武力を独り占めにした途端、世界を意のままに動かそうとし始めたのがそれです。ここで平和憲法をなし崩しにしてアメリカに追従し、石油の利権と自国のみの安全を買うのは、発展途上国からみれば吝嗇(りんしょく)の極みでしょう。

 “(とん)”は貝(財宝)に今と書き「目前の利を追う欲」ですが、“貧”は貝を分けると書いて「欲を捨てる」意味になります。道元禅師は「仏道は貧なるべし」と言われているほどですから、貧乏の方は仏教からいけば何ら問題はないのですが、貪欲の方は罪であり、成仏の妨げです。お釈迦さまは「(むさぼ)りと(いか)りと(おろ)かさ」の三つを煩悩の業火(ごうか)といわれ、すべての悪が生ずると言われます。とくに貪欲によって、口からは(いつわ)り、無駄口、悪口、嘘が吐き出され、殺生と盗みと邪悪な行いをするようになります。欲の罪そのものは比較的軽いのですが、本能に直結するだけにコントロールが難しいのです。日本人も貧しいときの方が、(いたわ)り合い、助け合ってきました。しかし、お金が欲望を叶えてくれることを知ったときから、金を得るのが人生の目的となり、金儲けが正義になってしまいました。
 金は豊さを得る手段の一つに過ぎません。しかも、いまの日本の豊さは、返さねばならない他人の金で成り立っている貪りの世界だと自覚しましょう。
H25.8月のことば 「娑婆(しゃば)」
 パンチパーマのお兄さんがムショ(刑務所)から出てくるところ、と説明した方が分かるでしょう。娑婆はインド古語、スハーの訳語で「耐え忍ぶべきところ」という意味です。日本では軍隊、牢獄、遊郭などの隔離された世界に対して、束縛されない自由な俗世をシャバと呼びました。
 お釈迦さまはこの世は「苦」に満ちているとされ、その苦を離れて(解脱(げだつ)安樂の境地(涅槃=ニルバーナ)に(いざな)う教えとして仏教を説かれました。(うれ)い、悲しみ、苦しみ、(もだ)えはすべて、富や名声、命や自分自身への執着から起こります。さらにこの執着は、無明(むみょう)(無常の世の中ということが分かってうない)と渇愛(かつあい)(激しい欲望にさいなまれること)にもよるものです。しかもこれらの結果として、四苦八苦という、さまざまな苦が繰り返し私達を襲います。しかし、生まれ変わり死に変わり(輪廻(りんね))しても続くこれらの苦を脱して、永遠の安樂を得るのはこの人間しかありません。なぜなら人間だけが苦の原因を知り、生活を改め、その根本を断ち、苦から脱することができるからです。人間が苦しいのは、仏へ帰る修行の世だからともいえます。
 四苦は「生老病死(しょうろうびょうし)」です。この四苦も、日本のように飢えを克服し、国民皆保険で世界一の長寿国となると様子が変わってきます。老病死の苦しみが、還暦を過ぎるころから一気に襲ってきます。病の苦しみも現代ではストレスで心を壊すことが多くなり、自死者は交通事故死の三万人を超えております。自閉症、拒食(過食)症、躁鬱(そううつ)病などストレス症候群は小児にまでおよんでいます。また独り暮らしの老人も増え、あの世の心配で死ぬに死ねない老後です。一方で、ボケたり寝たきりになって、こどもたちに迷惑をかけるのではと、ポックリ逝くこと(急性死)を願います。豊かになって、逆に生きることがへたになってしまいました。
 あと四つは、愛する者とも必ず分かれがくる「愛別離苦(あいべつりく)」、憎い者ともつき合う「怨憎会苦(おんぞうえく)」、欲しいものが手に入らぬ「求不得苦(ぐふとくく)」、煩悩などの生きていく営みにつきまとう「五陰(ごいん)(うん)盛苦(じょうく)」で合わせて八苦です。十二苦あるわけではありません。また、生苦は産まれる苦しみではなく、生きていくことそのものが苦ということです。
H25.7月のことば 「おおげさ(大袈裟)」
 袈裟は日本僧の象徴のようなものです。かつてお坊さんは家や財産を捨てて、無一文で修行に出ました。お釈迦さまもラーフラという後継ぎが誕生したとき、息子としての責務を果たしたと考えて、城を出られました。途中で金銀の刺繍の豪華な服や絹の下着を、粗末なものに換えて修行の旅を始められました。
 修行僧は三衣一鉢(さんえいっぱつ)という最低限の持ち物しか許されません。三枚の布は下着と上着と上掛け用です。始めは、新しい布は使えなかったのですが、のちに寄進を受けた布だけは、上等なら木綿などの粗末なものに換えて、濁った色に染めて、さらに方形に切り裂いて価値を無くしてから着用しました。中国に入って、三衣のうちの上掛け用が袈裟となり、儀式や勤行(ごんぎょう)のときにつけられるようになったのです。いまでも糞掃衣(ふんぞうえ)の形式をとっており、泥で染めていたので木欄色(もくらんじき)など壊色(えじき)を使います。方形に切り裂いてから、再び繋ぎ合わせたので、七条、九条などの区別ができました。お坊さんの袈裟は世界最古のパッチワークなのです。本当は粗末なものでなくてはならないのですが、中国で国家仏教となり、日本でも官僧としてお上のご威光を戴くようになると、権威をひけらかす必要があって、現在のような金糸銀糸で刺繍したド派手なものになっていきました。
 次に一鉢とは食事を布施してもらう器のことです。これも中国では皇帝の庇護で禄や荘園を下賜されましたので、直接鉢に食事を乞うことはなくなり、頭陀袋(ずだぶくろ)にお米や金品をもらうようになりました。しかし現在でも、食を乞うという意味から、食事でご飯を盛る応量器を托鉢のときにも使用します。こんなわけで、あまり托鉢に出なくてもよくなったかわりに、作物を育てたり、食事を作ったりと雑用ができ、仕事用の服装でいることが多くなったのです。そこで大きくて扱いにくい袈裟は、邪魔にならない絡子(らくす)輪袈裟(わげさ)になりました。また中国も日本も寒い冬があり、一枚の大きな布だった大衣は袖の長い着物に、袈裟は掛けやすい大掛絡(だいから)となり、下穿きに袴やズボンを着るようになりました。
 この大掛絡が「おおげさ」の主人公です。たぶん、奈良の大仏さんの開眼では、千僧供養が行われ、色とりどりの大衣に大きな大掛絡を掛けて練り歩いたときは、大層仰々しかったことでしょう。
H25.6月のことば 「醍醐味(だいごみ)」
 醍醐味というのを一度は味わってみたいと思うのですが、それほどに卓越した技量を持つスポーツも芸も趣味もない者には、コンプレックスが重なるばかりで無理のようです。
 それでは、牛乳を加工してできる乳製品の中で、最高とされる醍醐なら味わえるだろうと思ったのですが、ことはそう簡単にはいきません。
 インドを旅行した時も、ちょっと詳しい通訳や、博物館員を捕まえては聞くのですが、答えはまちまちです。ただ、どうもヨーグルトやバター(酪)より、上等のクリームか、そのチーズ的なもの(酥)らしい、としか分かりませんでした。醍醐味はこの乳製品の最高の味サルピル・マンダ(醍醐)を悟りの最上の境地になぞらえたものです。ちなみにカルピスはこのサルピルから来ていると聞いたことがあります。この酥は日本でも貢ぎ物として朝廷に献上されたと記録にあります。とにかく、庶民には縁遠い食物でした。

 ご承知のようにインドでは牛は聖なる動物です。ステーキで食べるなどもっての外ですが、路上をゆうゆうと歩く牛はどれも痩せ衰えて、まずかろうと思います。でも、昔は牛も食べていたようです。お釈迦さまの前世の物語「ジャータカ」には、牛に乳粥を与えて太らせ、結婚式に料理した話が出てきます。前世のお釈迦さまである兄牛は弟牛に「死のごちそうを食べている牛を羨んではいけない、粗末なものを食べている私たちの方が長生きできる」と諭します。これからいくと、現代の日本の親は子供に、セッセと死に至るご馳走を食べさせているようです。
 そういえば、最近、頻繁に出没する熊について、ある動物学者が興味ある見解を披露していました。彼によると、山里まで高カロリー、高タンパクの残飯を出すようになって、それを口にして早熟化したメス熊は人間の危険性を学ぶ間もなく、少しでも山に食料が無くなると、美味に惑わされた人家の周りに出てくるそうです。これも、脂っこく、甘辛く、やわらかな肉ばかり食べて、体だけ一人前となり、子育てのイロハも学ばす子を産み、いじめたり虐待したりしてしまう最近のコドナ(大人になりきれぬ)親とだぶってみえます。
 インドで、牛が大切にされるのは、ヒンドゥー教の聖典ヴェーダの天地創造神話に、人を作った神が、次に身を変えて創造した動物が牛だったと出てくるからです。もちろん仏教でも大事にされ、とくに牛乳は悟りを生む食物となり、なかでも乳粥は一番の供物として出家へ供養されました。乳粥には、悟りの契機となったこんな物語があります。

 お釈迦さまが出家してから七年目、苦行林での最終の修行である断食に入っておられました。意識が朦朧としていく中で、里人の歌う声が聞こえてきたのです。「琴の弦はゆるくちゃ鳴らず、強く張ったら切れてしまう。ほどほどの調子で張ってこそ、妙なる音色がでるものよ。」この歌で、はっと気づかれました。そうだ、ただ身を苛むだけではよい智慧は湧かないと、さっさと修行を中止して苦行林を出てしまいました。山を降り、沐浴しようとした尼蓮禅河の畔まで来たとき、村娘スジャータから受けたのが乳粥でした。食して回復し、河を渡り、対岸の大きな木の樹下に座禅を組んで、お悟りを開かれました。それで、乳粥は悟りの食物とされるのです。同時に武っ虚の骨格「中道の教え」のきっかけとなりました。
H25.5月のことば 「あまのじゃく(天邪久・天邪鬼)」
 天の邪鬼は毘沙門天(びしゃもんてん)に踏みつけられている小悪魔です。悪さといっても、わざと人に逆らう程度ですからたいしたことはありませんが、天界随一の勇者、四天王の雄で、北方という鬼門を護り、多聞天(たもんてん)といわれるほど聡明で、福徳を人びとに授けるスーパーマンがてこずるのですから問題です。踏みつけてみたもののどうするべきか迷います。
 お釈迦さまも一番苦労されたのは、自分はちっとも悪いと思っていない人や、軽い罪を重ねてしまって何が原因か分からなくなってしまった人びとです。このことに触れて、「罪と知らずに犯した者と、罪と知りながらも犯さざるを得なかった者と、どちらが悪い報いを受けるであろうか」と問うておられます。もちろん、現代の法律は確信犯が罪は重いのです。過失致死は殺人と比べてあまりにも刑が軽く、飲酒運転の致死など大問題なりました。意識しない犯罪は公害事件、医療ミスなどとても立件が難しいのです。

 罰する側はそうでも救う側は反対で、意識しない罪の方が業が深いので救われにくいのです。親鸞聖人の悪人正機にもみられるように、罪を自覚している者は救いを願う力が強いけれど、悪いと思わない人や、気づかない人は、知らずに罪を重ねてしまいます。たとえば、いじめた方は忘れてしまっても、受けた方は生涯覚えています。しかも、いじめたことがマイナスに作用しても、それを自分の蒔いた罪として反省できずに、被害者意識を持ってしまい、さらなる悪因縁を抱え込んでいきます。このことを恐れて、修行道場では、毎月十五日と月末に布薩(ふさつ)を行い、犯した罪を清めます。

 ところで、残りの四天王ですが、東方を護るのは持国天(じこくてん)で国と人民を守護します。南方の増長天(ぞうちょうてん)は人間世界の繁栄を護ります。西方広目天(こうもくてん)は悪人を改心させ仏教に帰依させます。また、毘沙門天は日本の七福神にも入っています。ほかにインド生まれの七福神は、技芸の神の弁財天(べんざいてん)や、台所に祀られる大黒天(だいこくてん)があります。日本は神さまの輸入超過国でもあるようです。
H25.4月のことば 「りやく(利益)」
  仏教語には通常と変わった読み方をする漢字が沢山あります。行はアン(行燈(あんどん))やギョウ(修行(しゅぎょう))コウ(行為(こうい))とさまざまに読みます。漢字が伝わった時代で発音が違っていたからでしょう。 お経には呉音のものが多いので、漢音に慣れている人には異様に聞こえます。また、中にはエキとリヤクのように読み方で意味する内容がまったく違うことがあるので要注意です。リエキだと儲けですから、だれかが損をしています。リヤクと読めば、神仏からもらうのでだれも損をしません。リエキはこうしたら幾らになるというようにあてにできますが、リヤクの法は、叶えられる保障はありません。ただ、最近ではリエキだけが優先されて、ゴをつけないとリヤクと読んでもらえないようになってしまいました。

 よく、インチキ宗教を見分けるコツを教えて下さいと言われることがあります。自爆テロをジハード(聖戦)と呼んで信仰に死ぬイラク人やパレスチナ人と、ケーキを食べるだけのクリスマスを祝って一週間後、除夜の鐘を撞いて身を清め、数分後に神社に初詣して一年の幸せを祈る民族では、宗教の基準が違い過ぎます。でも、試しにこう質問してから、自分でもう一度じっくり考え直してみてください。
 「あなたの宗教を信じるとお金持ちになれますか」。必ずなれると言うはずです。もしお金持ちになれなかったら、それはあなたの信心が足りなかっただけですから、どの宗教でも必ず幸せになります。そこで「それでは絶対に病気になりませんか」とたたみかけてみてください。これも絶対に病気になりません。私の友人は癌がなおりました・・・・・などとご利益を聞かされるはずです。そこで一言「それではあなたの宗教では死んだ人はいないのですね」。つまり、この世に絶対ということはありません。病気もすれば、損もする、騙されることもあり失敗することもある。そして唯一絶対平等の死を迎えます。しかも、この死は理不尽です。信仰深かったから長生きとか、よい人だったから安らかとはいきません。かえって憎まれっ子ほどはばかり、よい人ほど早死にするのです。

 一番のご利益は、今ここにこうして生かされている自分がいる! という事実だと気づいていただきたいものです。
H25.3月のことば 「精進料理(しょうじんりょうり)」
  精進料理は、肉、魚を使わない料理です。
日本の禅寺では門柱に、「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)(ネギ、ニンイク、ニラなどの臭いの強い野菜と酒を寺に持ち込むな)」と書いてあって、魚や肉はもちろん香辛野菜まで食べられませんでした。それで、精進の食事や食品を開発、発展させましたので、南禅寺の湯豆腐や、宇治の万福寺の普茶(ふさ)料理、大徳寺納豆などが有名になりました。いまでも禅の修行道場では、卵や牛乳、香辛料から砂糖までも控えた精進食が、厳格に守られています。おもしろいことに、韓国では香辛料を多用し、中国では油を数種類も使って肉食以上にカロリーを摂ります。また、モドキ料理といって、精進の食材で肉や魚そっくりの味と形を作り出すのが発達しています。日本でも有名なガンモドキ(禅寺では飛竜頭(ひりゅうず)といいます)は豆腐を主材料にして、油で揚げてまた煮含める典型的なモドキ料理です。最近の健康ブームで大豆を使った「畑のお肉」も売れているようです。
 しかし、仏教では魚肉食を禁じているわけではありません。原則として托鉢(たくはつ)やお接待でいただきますから、出されたものは何でも食べるのがスジです。ただし、あれが食べたいと魚や肉を所望してはいけませんでした。それが、中国で祈祷の精進潔斎(けっさい)のため鳥獣や魚の血肉が不浄であり、殺生戒にも触れるということで禁止されてから完全な菜食になってしまい、悟りの飲料とまでいわれた牛乳でさえ飲めなくなってしまいました。本来、精進とは悟りを得る六つの修行法の一つで、「怠りなく励む、常に努力する」意です。他は布施(惜しみなく与える)持戒(もかい)(仏戒を保つ)忍辱(にんにく)(堪え忍ぶ)禅定(ぜんじょう)(心を落ち着ける)智慧(正しい見解)で六波羅蜜といいます。精進料理とはまったく関係ありません。
 以前、あるご住職さんからお聞きした話ですが、そのご住職さんが、お檀家さんのご法事でご自宅へお伺いし、法事後のお膳の席になると、若い方々は庭でバーベキューがはじまり、ご住職さんたちには精進料理のお膳が用意されたそうです。
 お施主さんに「バーベキューのお肉はもとの形が分からぬように切ってあるのでしょう。ところがこちらのレタスやキュウリは生きているそのままです。私たちはレタスの踊り食いをしているのですよ。お釈迦さまは『なまぐさ』について、魚肉を食べることではなく、感謝して食べる心のことだと言われました。できればご法事ですから、みんなで同じものをいただくのがよいと思います」と申し上げました。ということでした。
 仏教では、レタスと牛の命を比べたりしません。生きとし生ける命に軽重はないのです。
(遅れていた春の花が、遠慮気味に咲き出した2月末の境内です。)
H25.2月のことば 「ホラをふく(法螺を吹く)」
  ホラは法螺貝で作った笛のことです。インドではこれを戦場で吹き鳴らして、兵士の士気を高めました。日常では、お寺の行事や集会に人を集めるために吹かれました。腹の底に響き、遠くまで届くホラの音は、お釈迦さまの説法にも例えられて、ダルマ(法)シャンカ(貝)と呼ばれました。のちにはお寺で説法が盛んに行われている様子を表すことばになりました。日本でも、ホラは戦場で使われましたし、現在でも山伏や修験者が修行や法要で吹き鳴らします。
 そんな尊いことばが、どうして大嘘をつくという意味を持つようになったのでしょう。どうもホラは嘘というより、大袈裟な言い方というニュアンスが強いようです。つまり、大勢の前で説教する坊さんが、身振り手振りを交えて大仰(おおぎょう)に話したり、遊行僧(ゆぎょうそう)がお釈迦さまや高僧の話を、すっかり会得した弟子のように説いて回ったことによるようです。かつて説教はエンターテイメントでした。落語も講談も、浄瑠璃や歌舞伎も、能狂言から演歌に至るまで、演芸を伴って仏教を説いた中からうまれました。それで、地獄や極楽の様子をまるで見てきたようにしゃべりましたから、「説教師、見てきたような嘘を言い」と皮肉られたのです。
 日本人は嘘に寛容です。「嘘も方便(ほうべん)」といって、お釈迦さまだって、衆生を導くためなら嘘も仕方がないとおっしゃったじゃないかというのですが、ちょっと違います。あくまで便宜的な手立てです。
 方便の嘘で有名なのは「火宅(かたく)(たとえ)」です。燃え盛る家の中で子供が気づかず遊んでいます。父親はとっさに「外には立派な車があるよ」と嘘をついて、子供を助け出したというお話です。これは命を救うという大義を行うときに、子供という相手を知って一番有効な手段を講じたのです。そしてやはり嘘は嘘ですから、その責を敢えて負う慈悲心がいります。このあと父親は本物の車を与えたと、この話を結んでいます。
 また、本当のことをいつも言っていたら、人間関係はめちゃくちゃになると反論されます。いくら事実でも「顔色悪いね、長くないよ」とは言えないでしょう。これも根底に慈悲の心が必要なのです。仏教は杓子定規(しゃくしじょうぎ)ではありません。お釈迦さまは、いつも相手に応じた最善の方策を示されたのです。
H25.1月のことば 「がまん(我慢)」
 我慢といえば「おしん」を思い浮かべます。泉ピン子さんの熱演に胸が熱くなりましたが、我慢は庶民の合い言葉であり、日本を支えてきた力でもありました。小生は戦後生まれですので、戦争そのものは知りませんが、師匠や近所のお年寄りなどから、戦中戦後の日本の様子をお聞きしました。我慢・辛抱を代表する「欲しがりません。勝つまでは」は戦争中のスローガンでしたが、一方では戦後の「欧米に追いつけ、追い越せ」の原動力でもあったのではないでしょうか。そして、我慢をしないでよい豊かさの中に放り込まれた日本人は、日本人でなくなってしまったようです。
 仏教語の我慢は、諸悪の根源とでもいうような悪い意味で満ちています。もともと、仏教の命題は「我」のコントロールにあって、欲望の固まりである「我愛(我執)」を徹底的に排除して、「滅我(滅度)」の精神的安定を得る宗教です。よい意味でも悪い意味でも人は自己中心です。動物も植物もこの自己中心性によって種族を繁栄させ、生き残ってきたのですから、むげに否定はできません。そこで、仏教では自己を確立させて欲望を鎮め、みなと協調して平和に生きることを目指すのです。
 その協調を壊すものが「慢」という「おれガ・自分ガ」のおごり心で七つあります。
 第一「慢」は劣った人に対して、自分が勝っていると思う。
 第二「過慢」勝っている他人に対して、等しいと思う。
 第三「慢過慢」勝っている人より、さらに勝っていると思う。
 第四「我慢」自分の永遠を過信して、自分だけのものと執着する。
 第五「増上慢」悟っていないのに悟ったと思い込む。
 第六「卑(下)慢」劣っていると見せかけて、本心は違う。
 第七「邪慢」悪を正当化するおごりの心。

 こうして見ると、「我慢」が一番の悪者のようです。しかし、我が強いということは、別の意味では生きる力が旺盛なのです。生への執着が激しいのでガンバリがききます。そこから辛抱する・堪え忍ぶという意味が出てきたようです。
(文中の写真は北海道の雪景色です)