H26.12月のことば 『知事(ちじ)』
 知事さんは名誉職というイメージがあって、あまり関心はなかったのですが、最近は、元タレントさんや、他の分野で活躍されていた方が知事になったりして、イメージもだいぶ変わって来ました。
 知事という言葉は、中国の州の長官職を指しますが、以前、禅宗のお坊さんに禅宗のお寺について色々お聞きしたことがあり、その中にお話ですが、禅寺の中にも知事という役柄があります。寺を運営する責任者で6名います。並び方もちゃんと決まっています。中心の本尊様と相対して住職、禅寺は南向きですから、右を東序(とうじょ)といって運営など世人と接する役職、左側西序(さいじょ)は学問修行に関わる役職がならび、両班として儀式や法要が行われます。また人事(じんじ)といって、年数回、知事の長が、皆を代表して住職に挨拶する行事を行います。ここから、役所や会社が役職を決めたり、配置転換をすることを指すようになりました。
 ここで、独特なのは、料理長とでもいうべき典座(てんぞ)が知事に入っていることです。
 曹洞宗の道元禅師が宋に留学したとき、ニンポーの港で上陸を待っていました。そこへ、阿育王寺(おくいくおうじ)の典座が椎茸を買いに来ました。話を聞きたかったので引き止めると、「60過ぎてようやく典座になった。この椎茸でうどんを作ってみなに食べさせなくちゃならん」と帰ってしまいました。料理番など新参者の仕事を思っていた道元禅師は、後日この典座に、学問とは何ですかと問いました。典座は「一二三四五」と答え、修行とは?の問いには、「特別な仕事などない」と答えました。ここで、禅において日常のすべてが仏道修行であり、なかでも、食料という、生命を料理し仏の子である雲水の食事を作る、という典座の重要さに気付かされました。
 最近、荒れる子が多いのは、家庭で一緒に食卓を囲んでいないこと、心のこもった食事ではなく、ただ食べるだけの餌に等しいからだ、という指摘もあります。
 また、天童寺では腰の曲がった老僧が、炎天下に椎茸をほしていました。道元禅師が若い者に任せては、というと「他人がしたら自分の仕事にならぬ」と言われ、せめて陽がかげってからにされたら、というと「いついい時が来るのかい」とあしらわれました。
 現代の人々は、大人も子供も「他人に任せたはいけない」「人生には全力でやらなければならないこと」があるのを忘れているようです。


平成26年12月1日
H26.11月のことば 『有頂天(うちょうてん)』
 田舎では、お葬式に六地蔵を板書し、もし迷ってどの世界に行っても助かるように祈ります。それは地獄(じごく)餓鬼(がき)畜生(ちくしょう)修羅(しゅら)・人間・天上(てんじょう)の六道ですが、仏教の目的はこの輪廻転生(りんねてんしょう)(生まれ変わり、死に変わりする欲界)の輪から抜け出ることです。なぜなら、天上界は須弥山(しゅみせん)の上方にあって最上の世界ですが、欲界の中ですから「天上の五衰」といって、いつか終わりが来ます。いままでよかっただけに、ここを去る苦しみは地獄の十六倍といいます。日本人も、国民一人当たり800万円の借金で優雅に暮らしていますが、いつ戦後のナイナイ尽くしの世界に突き落とされるか分かりません。
 須弥山の上空には、さらに色界十七天があり、そのまた上には無色界の四境地があります。これでようやく、この世界の最高所の有頂天に辿り着きました。でも喜んではいられません。仏さま一人の受け持ちはこの宇宙を一として約十億個も集めた「三千大千世界」という広さです。さらに西方にある極楽浄土も、この宇宙を去ること十万億仏国土といいますから、とてもお盆の三泊四日で帰ってこられる距離ではないでしょう。(あくまでも人間界での移動手段で考えた場合です)こうしてみると、お釈迦さまが「あの世はありますか」との問いに、黙して答えなかった意味がよく分かります。

 この世に戻りますが、六地蔵は僧の形をしています。それは仏さまは遥か彼方の浄土にお住まいですから、おいそれと人間世界には来られません。ふつうは菩薩や明王、諸天善神(ぜんじん)を遣わして人を救います。ところがお地蔵さまは「この世に苦しむ人が一人もいなくなるまで、飾られた仏にはならない」と宣言された仏さまです。人間にとどまってこそ六道のすべての世界での救済が可能なわけです。さらに、いまは救って欲しくないと思っている人でも、いざというときは助けます。叶わぬときの神ならぬ“地蔵”頼みの方が確実です。さらに、願う方法を知らない(仏さまの名を呼ばないと助けが来ません)、自覚しない罪(かつては親に先立つ罪もありました)の人も救いますので、とくに水子や赤子、幼児の守り仏となったのです。またすべての人を救いますから、五七日のお地蔵さまの日に、四十九日を併せて営み、忌明けにする場合もあるわけです。


平成26年11月1日
 文中の写真は、先日、当山で行われた地元小学校のハートフル学級のカルタ取りの様子
H26.10月のことば 『玄関(げんかん)』
 いまではどこの家にでもある門と玄関(集合住宅でも、共有の玄関が造られている場合が多いですね)ですが、明治時代になるまでは庶民には縁のない代物でした。門を構えることができるのは武士や豪商や名主などの、名字帯刀を許されたものにかぎられていたからです。
 玄関とは幽玄の境に入る門や表口のことで、書院造りに由来しています。
 書院は学問をしたり講義を聞いたりする場所ですから、むやみに人を入れるわけにはいきません。門を構え、塀を巡らし、表口には関(玄関)を造りました。奥には人生の奥義を極めた神聖な書斎(座敷)がありますので、玄関正面には暴漢や魔物の直進を防げる衝立が衝立<ついたて>置かれています。書斎には正面に畳を敷いた床の間があって、ここで僧侶や講師が講義をいたします。普段は仏像を飾ったり、聖句を掲げたりしました。それで畳を敷いた床の間を本床といいます。現在でこそ家中畳が敷かれていますが、本来は一番大事な方、または神仏をお迎えするところにのみ畳を敷いたのです。
 こうしてみますと、機能的で住みやすくなったはずの家庭が荒れている原因がみえてきます。みんな自分が神仏になって、畳に寝転がり、祈りもせずに勝手に食事をしていますから、すがる神も願う仏もいりません。さらに神仏並みになったのが座布団の使用です。座布団は大事な方を招いたり、仏像などを崇(あが)めたりするために使ったものです。当然、床の間の前、出入り口から一番奥が最上座となり、そこに一家の主人の席が定まっていました。それが今では、枕代わりに使われているのですから推して知るべしです。家の中心の床の間が消えると同時に、一家の主人もいなくなりました。もう、責任者出て来いといってもだれも返事しません。
 ついでに、座布団カバーはしまうときのもので、本来はカバーを外してお出しするものです。三方に縫い目がありますから、縫い目のない方を前にして、房がある面を上、バツ印縫いの面を下にします。座るときは両手で座布団の中ほどを押さえ、右左右と膝行<しっこう>して座布団にのります。両膝の前方にこぶし一つ分の空きをつくると、爪先が座布団の外に出ますので、しびれがきれにくくなります。下りるときは逆に左右左で、下りてしまってから立ち上がり、けっして座布団の上で立ち座りしてはいけません。しびれのきれた人は、かかとで立ち上がり、かかとを畳に摺らせて歩み始めてください。これで、ひっくり返る不様さからは解放されるでしょう。


平成26年10月1日
H26.9月のことば 『つまはじき(爪弾き)』
  気に入らない人をのけものにすることを言いますが、これは親指の腹に人差し指を当てて弾き、音をパチンとたてて邪気を祓い清める弾指(たんじ)という密教の呪法です。この作法は初期仏教でも使われていたほど起源の古いもので、日本では平安時代の貴族も縁起直しとして、ふだんから行っていました。このやまとことばが爪弾きで、もののけや不浄を追い払うことから、厭な人や嫌いな者を排除する意味に使うようになりました。また、ひっくり返した指弾(しだん)は、呪術性のない近代の造語です。
 日本仏教の祖師方は、洗面や食事などの日常生活の中に仏道修行があると主張しました。それで食事については、調理の心構えから、料理法、食べ方と片付けまで、洗面では、歯ブラシの作り方、口の(すす)ぎ方から水の始末まで、お風呂は黙って入りなさいと、丁寧に指導している珍しいお坊さんです。「洗面の巻」では、当時中国では歯磨きをしなかったので、口が臭いと歯磨きや口漱ぎを教え、洗面の習慣がなかった日本人には顔を洗うことを指導しました。また、「洗浄の巻」では大便や小便のあと、局所を水できれいに洗いなさいと、1000年以上前から勧めておられます。さらに、このお便所を使う前後には、必ず弾指をするように言われました。

 指を鳴らすだけで悪魔が退散したり、汚れが消えるとは現代人にはとても信じられないことかもしれません。たしかに日本人は清潔好きです。お風呂にもよく入ります。けれども、よく消毒された病院のふとんより、我が家の少々汗臭いふとんに包まれたほうが、安眠できることもあります。清潔なステンレスのお風呂より、ぬるっとしている檜風呂の温かみは格別です。
 もっと極端なのはインド・ガンジスで行われている沐浴です。ほんの数十メートル上流は火葬場です。遺灰はもちろん、時には焼け残りや、牛の死体まで流れています。それでも聖河です。浴びればすべての(けが)れが清められ、飲めば罪まで消えて来世は天井界です。そこには日本人の忘れた安らぎの何かがあります。つまり衛生的なことだけが清潔ではないのです。心も清らかにしなければ、入浴も、洗面も、用便も効果は半分だということです。
 宗教的な除穢(じょえ)の儀式や作法は、体と心をともに清らかに保つために必要なものなのです。


平成26年9月1日
H26.8月のことば 『ひとりぼっち(独り法師)』
 ヒトリボッチは独り法師と書きます。法師(ほうし)とはその宗派の中で(ひい)でたお坊さんを指すのですが、平安末に比叡山などの大寺は、警備のための僧兵を擁していました。しかし、この僧兵は集団で、朝廷などに力ずくで訴え(強訴(ごうそ))を繰り返したり、他宗へのいじめなどをしましたので、山法師といって恐れられていました。その乱暴な山法師も、たった一人では何もできません。大男ほど(わび)しい後ろ姿です。
 また、法師の僧服は、短くて小僧さんのようでしたから元気のいい子を法師とか坊主というようになりました。手に負えないワンパクボウズが、お母さんに叱られてヒトリボッチでしょぼんとしている様子が目に見えるようです。法師ほどのひとでも人生は孤独です。たった一人で生まれて、たった一人で死んで行かなければなりません。そして、私たちはその生まれの向こうと、死んだ先の向こうに、大きな深淵を抱えています。この二つはどんなことをしても除くことはできません。だから、どんなに栄華栄誉を極めても、この二つの深淵を埋めて安心することは不可能です。
 とくに仏教が背負ったのは因果応報(業報(ごうほう))の誤った解釈です。もともとは古代インド人の考え方で、現在の結果の原因を過去の、それも自分の生まれる前に求めたものです。一つには、この世で起こることがとても理不尽だからです。たとえば、死は突然で、しかも非条理です。信仰しているから長生きするとはいえません。かえって、悪人ほど元気でのさばり、悪いやつほどよく眠るといいます。反対に、佳人薄命(かじんはくめい)、いい人ほど早く逝ってしまうのです。その原因を出生以前の暗闇に求めました。これは布教者にとって都合のよい原因を想定できますから、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)に説教にと盛んに用いられました。
 因果応報は一つの真理ですが、時間を逆転させたり原因を特定することはできません。つまり「大雨で洪水になった」は、洪水の原因の一つが大雨で、洪水の原因すべてが大雨のせいではありません。あらゆる縁が絡み合っています。また、時間の逆転は「赤ちゃんが死んだのは、母親が産んだからだ」と言い換えてみればはっきりします。「親の因果が子に報い」はこの二つの理由で成り立たないのです。しかし、業は行いの波及したものです。この世でのあなたの行為は無数の縁をもって、因となります。「日に吉凶なし」ともいわれ、好日にしていくのはあなただといっています。

平成26年8月1日
H26.7月のことば 『りちぎ(律儀・律義)』
 律義者は日本人の中では、ウナギと同じように絶滅種になりかけています。
「かけた恩は忘れても、受けた恩は忘れるな」も絶滅し、貸した方が悪いと居直って自己破産する者が繁殖しています。銀行という律義な商売の親方も、バブルの責任を取らずに不良債権を国と国民に押し付けて、それでも退職金だけはきっちり取っていきました。「律義者の子沢山」もいなくなってしまい、平均出生率は一子以下になり亡国の危機が叫ばれています。ただアメリカに対してだけは、いまだに恩義を貫いて律義に仕えています。この働き者だったお父さんは、若い人たちから化石と呼ばれ、子からは古いと馬鹿にされ、妻には能無しとののしられて、寝たきりのベッドの上でまさに息絶えんばかりです。

 仏教は信仰を強制しない珍しい宗教です。キリスト教で神を信じなかったらキリスト教徒ではなく、イスラム教でコーランに従わなかったらイスラム信者ではありません。ところが、お釈迦様を信じなくても、仏戒を守らなくても、お経を読まなくても仏教徒です。
 まだ、タイやミャンマーなどの仏教国では、出家の僧を敬って毎朝食事を布施しますし、僧自身が二百五十以上の戒律を守って、結婚もせず僧院暮らしをしています。日本の僧は、不殺生(殺さない)・不偸盗(盗まない)・不邪淫(夫婦以外のセックスをしない)・不妄語(嘘をつかない)・不飲酒(酒を飲まない)という最低限の五戒すら満足に守っていません。

 多くの人びとがクリスマスを祝って、一週間もたたないうちに仏教徒として除夜の鐘を撞き、その足で神社に初詣に行くという目まぐるしい国民です。一生となればもっと複雑です。安産祈願と、産まれてから百日目のお参り、七五三のお祝い、受験祈願は神社です。結婚はほとんど祈ったこともましてや聖書を読んだこともない教会で挙げます。そして何だかんだといっても、最後は仏式葬儀を営まれ(最近はそれも無くなってきているようですが…)、以後、僧侶による法事、年回忌の先祖供養が行われています。日本人は信じるよりも宗教をうまく役立ててきたようです。もともと、仏教は禁止ではなくて努力目標だからでしょう。

 さて、話が横道にそれてしまいましたが、肝心の律とは、悟りを得るための修行をするサンガ(僧院/精舎)での生活規則です。これは仏戒と違って、守る誓いを立てて約束し、破れば罰せられ、教団や僧院から追放されることもある厳しい掟です。

 そのほか、アミダかぶりは、やはり光背を背負うように後頭部にちょこんと帽子を載せるかぶり方です。この光背は頭光(ずこう)といって仏様のオーラを表していますが、阿弥陀様にはとくに筋状の傘後光(さんごこう)が使われていますので、こんな表現になったのでしょう。
平成26年7月1日
H26.6月のことば 『あみだくじ(阿弥陀籤)』
 アミダとは無量を表すアミターで無量光とか無量寿と訳されています。経典の上で創り出された仏ですが、四十八の誓願を発して、この世の苦しみにあえぐ人びとを死後、西方極楽浄土に救い取ると約束され、絶大な人気で信仰されました。日本ではとくに十八願の「念仏を十回唱えても極楽浄土に往生できなかったら、仏にならない」が尊重され、法然上人、親鸞聖人と偉大な教祖たちが浄土宗、浄土真宗という巨大な教団を作り上げられました。
 そんなすばらしい仏がどうしてクジと関係するのでしょう。
 実はバクチやクジにはお寺と切っても切れない縁があるのです。もともとお寺は、教義を守ったり、信者を権力から保護するために、治外法権的な要素を持っています。お釈迦様はアングリマーラーという九百九十九人を殺した殺人鬼を改心させたことがありました。役人や遺族は彼を引き渡すようお釈迦様に迫りましたが、とうとうかくまい続けて彼を立派な僧侶に育てました。日本でも、その伝統は引き継がれ、江戸時代には寺社専門の奉行職まで設置されました。ところが、いつの世でもそれにつけ込む輩はいるもので、非合法のバクチなどをこっそりやるにはうってつけなわけです。かくして、そのショバ(場所の隠語)代を寺銭(てらせん)と呼ぶようになりました。
 これらのカケの中の、線をたくさん引き、その末端に金品を記して当てるクジを、阿弥陀如来の光背(こうはい)の放射状の線になぞらえてアミダクジといいました。のちには品物や仕事を平等に分配する方法として盛んに用いられるようになりました。現在の宝くじなども、寺社が富クジとして公に売り出し、建物の維持、管理の資金を集めたことから始まっています。庶民にとっては、幕府より寺社の方がまだ胴元としての信用があったということでしょう。
 そのほか、アミダかぶりは、やはり光背を背負うように後頭部にちょこんと帽子を載せるかぶり方です。この光背は頭光(ずこう)といって仏様のオーラを表していますが、阿弥陀様にはとくに筋状の傘後光(さんごこう)が使われていますので、こんな表現になったのでしょう。
合掌
平成26年6月1日
H26.5月のことば 『「猫も杓子も」(ねこもしゃくしも)』
 何もかもを意味するのが、なぜ猫と杓子なのだろうかと昔から不思議でした。一休さんの歌と伝えられる「生まれては 死ぬるなりけり おしなべて 釈迦もダルマも 猫も杓子も」から出たのは間違いないのですが、猫と杓子がどう結びつくのか理解に苦しみます。そんなとき、猫ではなくネギ(禰宜)、杓子は釈氏(仏教僧)という説に出会いました。これだと神道も仏教もとなりますから、すんなり納得できます。
 もともと仏教は和の宗教といわれます。イスラム教のように日常生活も人生もすべてコーランの掟に従って、ということもありません。キリスト教の聖書のような唯一無二のバイブルもありません。釈尊といってもアッラーやキリストのように絶対帰依(きえ)の対象ではないのです。そもそも、仏陀は人を救うことはあっても、地獄に落としたり罰を与えることはありません。だから仏教は、キリスト教のように異端撲滅で何百万人規模の殺戮(さつりく)を繰り返したり、十字軍から現在進行中のイスラエル紛争、等のイスラム教との際限ない闘争を続けたりする必要はありませんでした。
 仏教は宗教としては珍しく自己の教義を強制することはありません。人生の真理に目覚めて、多くの人々と共に幸せになろうと勤める宗教ですから、宗教戦争とは無縁です。このため、伝わった地域の風習や思想を取り込みながら、変化しつつ広がっていきました。それで、日本の仏教は原初の仏教とは似ても似つかない、ほとんど日本教といってもよいほど変化してしまいました。
 日本には当初、豪族や国家の安泰を祈る祈祷(きとう)仏教として受け入れられました。平安時代に入って、ケガレやタタリを恐れる民衆のために加持祈祷を行ない、ついにはどこの仏教僧も手掛けなかった葬儀までするようになったのです。さらに浄土真宗の親鸞が妻帯したことで、釈迦の仏教から完全に離れるとともに日本に定着いたしました。それを側面から支えたのが本地垂迹説(※ほんちすいじゃくせつ)で、日本の神さまは仏や菩薩が姿を変えたものと説明しました。明治時代になって神仏分離令が出るまで一千年も神仏混淆(こんこう)が続き、神道と仏教が一体化して宗教的平和を現出したのです。

※本地垂迹説… 仏が衆生を救うために釈迦に姿を変えて現れたことから、
日本の神々に本地としての仏・菩薩を当てはめていった。
  例えば伊勢神宮はルシャナ仏が充てられた。

平成26年4月30日
H26.4月のことば 『冥利(みょうり)』
 男冥利/女冥利に尽きるといえば、生きてきた甲斐もあろうというものです。冥とは暗いという意味から、わけの分からないもの、すなわちあの世や神仏を指すようになった漢字です。それで冥利は、なぜか分からないけど神仏が知らないうちに授けてくださったものです。それで冥利は仏教的にはみな授かっているのですが、なかなか現れにくいものらしいのです。
 でも、一生懸命、仕事や商売や学問をしていると、宝くじに当たるみたいによい気分になれる瞬間がやってきます。それで、神仏に一世一代の願いをするときに、昔はこの持っている冥利を掛けました。ここで助けていただいたら、頑張って仕事して授かる福文をそのままさしあげます、というのです。また、お茶断ち、酒断ちと一番好きなものを我慢して神仏の加護をお願いいたしました。
 こんな願掛けはいまではしません。それどころか「借りたものを返さなくてもいい」式の自己破産や支払い先送りの国債発行がうなぎ登りに増えています。国の借金はすでに国民総資産に迫る勢いです。みなかわいい孫を担保に借金です。
 つまり、現在の年金、医療費、介護費のすべてが孫の幸せ分の先取りです。これでは「あとの祀り」どころか見捨てられてしまいます。ひと昔前は、一家で一人が稼いで十数人の家族を養っていました。三人家族で三人とも働かなければ暮らしていけない、といういまの日本はどこか変です。しかも、40歳を過ぎて定職につかず、結婚もせず、老いた親のスネをかじって、ブラブラしている男共がいっぱいいます。これでは冥利どころか罰が当たります。
 かつては願をかけたら、その願いが叶っても叶わなくでも必ず願解きをしました。お札を受けたら翌年はお焚き上げをしてご加護を感謝しました。いまでは頼むばかり、願うばかりで、お返しもしなければ、お礼も言いません。
 ふつう、お守りやお札はその年の歳神に加護を願うものですから、有効期限は一年です。一年たったら次を受けて換えるか、お焚きあげをして下さい。受け換えのできないお札やお守りはむやみにいただかない方が賢明です。
平成26年3月29日
H26.3月のことば 『「入院」(にゅういん)』
 院とは塀をめぐらしたところで、役所や学問所、寺のことをいいます。仏教の僧院は精舎(しょうじゃ)(ヴィハーラ)と言いましたので、院よりは生活臭が少ないのでしょう。中国では僧侶の居所を僧院、儒学者(じゅがくしゃ)を書院、道家を道院といい、病気を治療する建物を病院といいました。日本では座敷を有した書院造りを指しました。

 入院とは、本来、寺に入って住職になることです。住職を退くときは退院となります。それが、日本では病院に入ったり、治って出てくるという意味で使われたのです。最近、看護婦さんが看護師さんになりましたが、師とは2500の兵を率いる一軍の将を意味します。医師の下働きではなく、対等にものが言えるのが望ましいのですが。
 院というと、すぐ院号という戒名(かいみょう)が頭をよぎります。皆さんには一字が?十万円もする戒名だと悪評が高く、坊主丸儲(まるもう)けの代名詞にもなっています。
 戒名とは、剃髪(ていはつ)して仏の弟子になったときに、それまでの名前を世俗の(あか)と思って捨て去り、新しい名前二文字、お師匠様からいただきます。仏戒を受けた証しですから戒名というわけです。
 仏教ではこの世を修行の世と見て、つつがなく生涯を終えた方は成仏されたとして、更に二字道号を贈り、最後に信士・信女をつけますので合計六文字になります。また、特にお寺に貢献した方、世のなかに貢献した方に、院殿、院などを位階としてさしあげます。一つには、かつて住職は妻帯しませんでしたので、住職が代わるとだれが篤信者(とくしんしゃ)かが分からなくなってしまうからだともいわれています。院殿はお寺を創った殿様、院は殉死(じゅんし)の形をとって隠居した奥方のための広い場所、等それぞれに応じた供養の場を寺院内に設けたなごりです。その下に居士(こじ)(家長・禅者)大姉(だいし)有徳(うとく)の夫人)や大居士・清大姉をつけます。
合 掌
平成26年3月1日
H26.2月のことば 『タンカをきる(啖呵を切る)』
 ふうてんのとらさんが「手前、生国と発しまするは・・・・」と一方的な自己紹介をいたします。弁天小僧は「知らざあ言って聞かせやしょう」と啖呵を切りますが、立て板に水を流すように、歯切れよくやらなくてはなりません。気の短いといわれる江戸っ子のケンカもまずこの啖呵から始まります。タンカは痰火に通じて、のどにからむ痰を激しく(しわぶ)いて切ってしまうのですから、取れたあとは爽快です。胸につかえた日ごろのうっぷんを吐き出すタンカは、内向的な日本人に持ってこいのストレス解消法です。たしかにトラさんは、はにかみやで社交辞令に弱く、あいさつ下手の日本人の典型です。しかし、水戸の黄門様の「この印篭が目に入らぬか」を聞くと本当に気持ちがすっきりして、嫁にいびられ、息子に気兼ねのお年寄りをテレビに釘づけにしてしまいます。なぜなら、タンカには、誤りを正すという意味が含まれているからです。
 これは弾呵と書き、『維摩経(ゆいまきょう)』に出てきます。『維摩経』は、素人の唯摩居士(こじ)は出家の高僧や菩薩()をコテンパンにやっつける仏教読本です。なかでも有名な話が「唯摩の一黙」です。
 大乗仏教の本質は、かぎられた人が悟りを開くより、多くの人が一緒に悟りへ向かって進むことです。それで、中国、日本に伝わった仏教を、大きな乗り物(大乗)の仏教と名づけました。その特徴は「煩悩即菩提」です。みなが持っている煩悩をまず認めて、その煩悩があるからこそ菩提を求める力が出てくるという、欲望をてことして悟りを得るやり方です。つまり欲と悟りを両極端におかないのです。そうすれば対立を超えて凡夫が仏となれるのです。お釈迦さまはわざわざ人間界に生まれて妻帯し、出家して悟りを開くプロセスを見せられて、煩悩が悟りの邪魔にならないことを示されたのです。
 さて、その身は凡夫のままで仏となる不二(絶対)の境地を説明しなさいと、唯摩居士は菩薩の連中に問いかけます。この絶対境は言葉では表せません。言葉にしたら、一方の側に立ってしまうからです。智慧の文殊菩薩でさえ、つい「言葉に出来ない」と言ってしまいました。唯摩居士は徹頭徹尾、黙っていることで答としました。

居士… 在家のままで仏道修行をする男子のこと。
菩薩… りを求めて修行をしている人(狭義ではお釈迦さまの前世の姿)。
仏に次ぐ尊称しても使われる(観世   、地蔵   、など)。


合 掌
平成26年1月31日
文中の写真は「春遠からじ1月末の境内と立春の日の雪景色です」
H26.1月のことば 『ごちそう(ご馳走)』
 第二次世界大戦前後にお生れになった方々は、戦中戦後の食糧難の中でひもじい思いをなされた経験がおありでしょう。
 だいぶ前のことですが、檀家のおじいさん(この方は群馬県の方からお婿さんに来た方で、子供の頃のお話です)からこんな話をお聞きしたことがあります。
 戦後間もなくの頃、夏の終わりころ「鶏をカミに来ね」という誘いがありました。そう、鶏が食べられるのは年に1〜2回のことでした。喜んで行ってみると、卵を生まなくなって久しい廃鶏がつぶされたので、食べるどころではなく、とても堅くて噛み切れませんでした。またある時に、今度は骨噛みの誘いだそうです。その時はイノシシで、ちゃんとした肉は村長さんや校長先生、お寺の住職の器に盛られます。その他大勢と子供には骨に残った肉をかじりました。母は、「歯が丈夫になるし骨の髄の栄養がいっぱいだから体にいいのよ。」と言いますが、私は早く偉い大人になって肉が食べたいと思いました。この気持ちはみな同じだったようで、大人でも「いい時代が来て、一人一本、鶏のもも肉が食えたらなあ」と嘆いていた。というお話です。

 そして今、どんな山の中で暮らしていてもお刺身が食べられ、鶏のもも肉などいつでも食べられます。それどころか、「今日のご法事のおばあさんが作った手打ちうどんはうまかったなあ」ということもよくあります。ごちそうとは昔の思い出の中にしかないようです。
 でも「馳走」という漢字を見るとただごとではない気がします。つまり駆け回って、料理の材料を集めるという意味です。それでお寺では、韋駄天という足の早い神さまを台所にお祀りして、新鮮な材料を調達し、温かいうちにみなに食べてもらえるようお祈りします。どんなに高級なステーキでも、出前でとったらご馳走にはなりません。

 「ごちそうさま」はあちこちのスーパーやお店を巡り、安くてよい食材を見つけ、一生懸命料理してくださったお母さまへのねぎらいの言葉でもあります。
 また、台所には大黒さまが祀られることもしばしばあります。実は韋駄天も大黒も戦いの神さまです。韋駄天は天軍第一の俊足で、お釈迦さまの遺骨の歯が盗まれたとき、追い掛けて取り返したそうです。大黒はヒンドゥー教の最高神シヴァの化身で、仏教の守護神でした。中国に渡って農地を守り、豊穣をもたらす神となりました。もう一つ、五穀豊穣のお稲荷さんのご神体である荼吉尼天も祀られます。この神は神通力で煩悩を喰ってくれるのですが、日本ではなぜかキツネの精とされ、イナリ神と同一視されました。それで豊川稲荷が曹洞宗の寺だったりするのです。
平成26年元旦