H27.12月のことば 『だらしない』
 みっともない、しまりがないの意ですが、「ふしだら」となると、とくに男女関係がルーズなことを指します。このダラシは「しだら」の逆の言葉です。シダラは修多羅(しゅたら)という梵語(ぼんご)から出ていてお経のことです。お経の「経」はレイのように花を繋ぐ縦糸のことで、シュロの葉に書かれた聖句を連ねました。さらにお経は、法事で読まれる仏説や教えを記した「経」と、僧としての戒めや僧院での規則を集めた「律」とにわけられます。ここから、規則正しいの反対で不シダラとか、ダラシないとなったのです。
 釈尊の当時はまだ広汎に使われる文字がありませんでした。そこで、釈尊のお話は、要点を整理して、歌や散文の形で暗記され、口伝でみなに伝えられました。それで、釈尊が亡くなると、自分の意見を正当化するために、それぞれ勝手に「おれはこう聞いた」と言い出したのです。教団を引き継いだ大迦葉(だいかしょう)はさっそく羅漢たちを召集して、お経の偏纂会議を開きました。このとき困ったのは、釈迦のお側にいて一番多くの話を聞かれた阿難がまだ悟りを得ておらず、会議に加われません。大急ぎ、大迦葉は集中講義をして阿難に悟りを開かせました。編纂では「如是我聞(にょぜがもん) ----私はこのように聞きました」と始まり、どこどこで、どんな人たちが、何人位集まって・・・と続き、最後には阿難が「たしかにその通りです」と証明をして正式に仏説と認められました。
 釈尊の説法の特徴は対機(たいき)説法です。真っ向から持論をぶっつけて相手を負かして自分の信者にする方法はとりません。あくまでも、相手の理解力を見極め、生活環境やその土地の風習なども考えて、できるだけ(たと)え話を多く入れ、分かりやすい布教をされました。それで仏教では信者さんに「こうしなさい」と強制をしません。そのため、平和的にたくさんの国で信奉されましたが、同時に伝わった国や時代で、これが同じ仏教なの?というくらい、お経も教えも変化していきました。

 日本の仏教も、釈尊当時の仏教からいけばまったく違ったものになって、日本教とでも呼んだ法がよいくらいです。その上、お経もわけが分からないものの代表になって、法要も法事も眠くてたまらないようです。お経は意味が分かって初めてご利益のあるものだと知ってください。
平成27年12月1日
H27.11月のことば 『シャラくさい(洒落臭い)』
 洒落臭いと漢字が当てられて、おシャレが身についていないと解釈されていますが、実はシャラがキャラ(香木伽羅(こうぼくきゃら))のなまったものという説もあります。
 伽羅はお香のなかでもっとも薫りのよい沈香(じんこう)の、そのまた最上の香木です。いまでもグラムあたりで金より高いものがいくらでもあります。奈良の正倉院に残る「蘭奢待(らんじゃたい)」は天下一の名香で、足利氏や信長、家康などが削って()いたと署名しているほどです。伽羅は、その薫りのすばらしさと高価さから、王女や遊女(あそびめ)へのプレゼントになりました。とくに、派手な遊女が好んで使ったので、のちには高級な遊女を伽羅女とまで呼ぶようになったのです。そんな遊女風情(ふぜい)に負けてはならじと、海運業で裕福になった商家のお内儀さんも使いますが、どうも身に添いません。それを笑って、素人がプロのまねをして粋がっても見苦しいだけだといったのです。

 香は平安貴族にとっては必需品でした。まず、平安貴族はほとんどお風呂に入っていませんし、十二単衣(ひとえ)という重たい衣装はふとん代わりにつかいました。もちろん毎日着がえし、洗濯するわけではありませんから、みだしなみとして衣服に香を薫きしめたのです。さらに香の使い道は別にもありました。源氏物語を読んでいて、前々から不思議だったのは、なぜ美人と分かったのだろうということです。女官たちは、美男子を御簾(みす)の陰から覗き見したそうですから、光源氏が輝くばかりに美しいと分かります。しかし、女性はほとんど顔を隠しています。蝋燭(ろうそく)の灯りで、しかも御簾の中では美人かどうか見極めはつきません。それを決定づけたのが香の薫りです。光源氏の目ならぬ、鼻を「紫の上」は奪ったのです。恋を手引きしたのは和歌ですが、香も大事な恋の手管(てくだ)で、香の油の燃える音は恋に身を焼く心に(たと)えられます。その音で香の種類を当てる遊びが聞香(もんこう)と呼ばれ、その作法が香道として現代に伝わっています。

 そんな艶っぽい香だったのですが、いつの間にか線香臭いといってすこぶる評判が悪くなってしまいました。それは普段使う線香のせいです。この線香は「野線香(のぜんこう)」といって戸外用です。かつて、野ざらしにした遺体の虫を追い、腐敗臭を消すために除虫菊などを入れたからです。仏壇やお寺では、できるだけよいお香を薫きましょう。
平成27年11月1日
H27.10月のことば 『つう(通)』
 私達は、よく「あの人は○○通だ」と「つう」といいますね。例えばお蕎麦に詳しい方を「蕎麦通」といったり、車が好きで何を聞いても答えてくれる方を「車通」といったり、その物事のことをよく知っている方を「つう」と言います。
 時折、仏さまをはじめ、仏教についてかなり深く勉強されている方もいらっしゃいます。仏教通といわれるかもしれませんね。しかし、仏教は実践の宗教です。考えが()に落ち、信じきって行い、寂静(じゃくじょう)の境地を味わわなければ何の役にもたちません。○○通はおおいけれど、その道の通人はなかなかなれません。

 通の語源は、神通力(じんずうりき)から来ています。これは定められた修行を積んでいくと、自然に備わってくるもので、布施を得るためや名声のために努力して得ようとしてはならないといわれました。お悟りを開いた羅漢さまに備わる神通力は六つあります。まず、神足通(じんそくつう)で自在に変化し、思うところに行くことができる夢のような力です。天眼通(てんげんつう)はあらゆる世界、とくに死後の世界を看透かす力で、目連尊者(もくれんそんじゃ)が優れていました。世の中すべての声を聞くことができるのは天耳通(てんにつう)、人の心を読み取る力は他心通(たしんつう)、前世が分かる宿命通(しゅくめいつう)、そして、煩悩を去ってもう二度と迷わない漏神通(ろしんつう)です。

 時折、聞く話ですが、仏道修行をしている方で、重い病にかかり、お医者さんから余命を宣告された方が、いつの間にか病が快復してしまった。比叡山の千日回峰行の途中で行われる、「堂入り」という9日間の断食断水、不眠不臥の荒行のように、生きていられる状態ではないのに成し遂げることができる、ということなど。
 もっと身近で小さな不思議もあります。夏の夕刻、座禅止観をしていても、蚊に刺されないことや、足の痛さや痺れの辛さに耐えていると、ある日突然、いま始まった座禅止観が次の瞬間に終わるという不思議なこともあります。
 曹洞宗を開かれた道元禅師は、六神通などは、たいした働きではないと切り捨てています。本当の神通力は朝起きて、顔を洗って、食事をして、大小便もいつも通りで、ぐっすり寝ることだというのです。近年各地で起きている未曾有(みぞう)の災害に襲われ、見聞きし初めて普通や無事ということの大切さ、有り難さが分かるのではないかと思います。
平成27年10月1日
H27.9月のことば 『えたいが知れない(為体/得体が知れない)』
 得体とか為体と書いて、正体がつかめないもの、様子がうかがいにくいものを指しました。もともとは「衣体」とか「衣帯」と書くとわかるように、僧侶や官吏が着るものの色や形によって、階級や身分が識別できたことによります。かつての中国の人民服や、統一された軍服だと、モール、勲章で区別をつけないと対応を誤ってしまいます。
 僧侶の衣には、いまでも色による識別が残っています。天台宗では緋(ひ)衣(え)が最高で、次が紫、松襲(まつがさね)萌黄玉虫(もえぎたまむし)木蘭(もくらん)となっています。衣の色については、宗派によってかなり違いがあります。ただし、日本以外では、黒は不吉な色とされて使われません。
 もともと衣は糞掃衣(ふんぞうえ)といって、墓場やゴミ溜めに捨ててある布を拾い集め、それを縫い合わせて作りました。色はラテライトなどの赤土で染められていましたので、黄土色や赤茶っぽい色です。その名残が、各宗派に木蘭色の袈裟として残っています。それが日本に入るとどうして墨染めになってしまったのでしょうか。
 仏教は当初、国を護る鎮護の宗教として受け入れられ、僧はいわば公務員(官僧)として宮廷や貴族に仕えました。そのため高位の僧は官位に従った色衣を着けたのです。そして修行中や役職の定まらぬ若輩が黒衣を着ました。ところで官僧は祈祷をするため、死不浄を恐れて人びとの最大の悲しみである葬儀にタッチできませんでした。しかし、平安時代になって、官僧を辞めた者やなれなかった者(私度僧(しどそう))が、台頭した豪族や武士、新興の商人たちの求めに応じて、進んで弔いを引き受けだしたのです。これらの私度僧は官選ではありませんので、衣の色も正式な色を濁らせたものや官でないことを示す黒衣を着ました。なかでも禅僧や律僧は、「清浄戒不染汚(しょうじょうかいふぜんな)(戒を保っているものは死不浄に汚されない)という理論を背景に、また念仏僧は「往生人に(けが)れなし(阿弥陀仏に救われたものには穢れはない)」と積極的に葬儀を営み、庶民から公家まで広く浸透していきました。ついには、神職者にまで葬儀を頼まれるようになったのです。
 お釈迦さまの生きて苦しむ人を救うための教えが、日本では、この大改革によって他の仏教国とはまったく違った発展を遂げるようになったのです。
平成27年9月1日
H27.8月のことば 『ぼんくら(盆暗)』
 マヌケや愚か者をいうボンクラには盆蔵と盆暗の二説があります。前者は、土蔵は土が均一に乾く冬の寒いときに造るもので、夏造ったものはできがよくないことから、盆に蔵を造る愚か者を意味しました。後者は、盆の中のサイコロの目を読むバクチで、ろうそく明かりのもとでやっていると、手元が暗くなり、鈍い連中はいかさまをされてまけてしまうというものです。
 さて、どちらも仏教には関係ないとお思いでしょうが、両方とも仏教に大いに関係があります。盆はご存じ、最大の夏の供養行事です。かつては、盆と正月にご先祖さまがお帰りになるというので家中を掃除し、ご馳走を作ってお迎えしました。盆という名は正式には盂蘭盆(うらぼん)で、逆さ吊りの苦しみを表すウラバンナから来ているといわれています。
 これには目連尊者(もくれんそんじゃ)にまつわる話が伝わっています。あの世が見える超能力を得た目連さんは、死後の母を捜しますと、あろうことか餓鬼道(がきどう)に落ちていたのです。餓鬼道とは欲深い者が行く世界で、いつもひもじい思いを味わい、けっして満足しないのです。目連さんがいくら供物をさしあげても、母の口元で火となって燃え上がり、食べることができません。供養すればするほど苦しみが増していくのに愕然(がくぜん)とした目連さんは、お釈迦さまに相談しました。お釈迦さまは、わが子かわいさのあまりに排他的になっていった心の非を(さと)し、亡き母のために7月15日、()季の修行が終わった僧たちを招いての供養を勧めました。
 この日は、中国では中元の天帝に供物を捧げる日でもあったので、お盆に親孝行の要素も加わりました。日本では正月の15日と7月の15日は、ご先祖様が帰られる日とされて、山海の供物を捧げました。薮入(やぶい)りといって祖霊を迎えるこのときだけは、お休みをいただくことができました。のちに、正月は歳神さま、7月(旧暦は8月)はご先祖様と別れましたが、このとき供物を盛った器の盆から、盂蘭盆をお盆というようになったそうです。盆ゴザ賭博の盆暗とも接点が出てきたようです。

雨季修行・・・  不殺生戒から、雨季の虫たちが活発なときは、僧院にこもって修行した雨安居のことで、インドではこの修行明けの日に僧を供養する習わしがあった。

平成27年8月1日
H27.7月のことば 『刹 那(せつな)』
 「刹那」とは時間を表す単位です。以前、指パッチンなるもので、一世を風靡した芸人さんがおりましたが、刹那はこの指パッチンの六十五分の一という短い時間を表します。さらに、人は刹那の瞬間に死んで生き返るのだそうです。つまり、一弾指の間に65回もの生滅を繰り返すので、一昼夜では、じつに650万回もの命の更新が行われていることになります。物理学の先生にこのことを話すと、まるで原子核の周りを飛ぶ電子のようだと、しきりに感心していました。本当はこの瞬間瞬間をゆるがせにしないというのが仏教の刹那主義なのですが、世間では、あっという間の時間だからこそ楽しまなくちゃ!となってしまいました。

 それにしても、日本人の、とくに若い少女たちの刹那的生き方は目を覆うばかりです。ことに性的早熟は、迷信扱いの宗教規範、教育から追放された道徳、父権失墜による自由放任という追い風で燎原(りょうげん)の火のように広がってしまいました。エンコウは猿のことではなく援助交際ですし、エイズの恐怖も、墮胎の罪もどこ吹く風で乱交のし放題です。所かまわず座り込み、携帯電話・スマートホンから目を話さず、時には周りの迷惑顧みず大声でおしゃべりを、またそれを誰も注意しません。何万円のブランド品を持っていても、外泊しても、家族の誰もが知らんふりです。
 男の子も似たり寄ったりです。ゲームやネットにはまったオタクたちや、集団群れ歩きで、将来の自己破産予備軍を養成中とはまったく情けないことです。

 しかし、これは子どものせいではありません。また、親の責任とも言いがたいのです。結局、日本国民すべてがカネに踊らされ、カネの快感に酔ってしまったのです。カネには名前がついていませんから、人のカネも国のカネも、借りたカネも盗んだカネも、たちまち使う当人を王様にしてくれます。一億円出せば心臓手術ができて命が買える一方で、生きる気が無く命を持て余している青壮年が五人に一人いるのです。彼らは学校に行かず働きもせず、何をすればいいのか何のために生きているのかすら分かりません。
 そんな彼らに、六十五分の一秒という刹那に命の懸命な更新が行われていて、それが何億年もの命の繋がりという奇跡を生み出し、いまの自分があることにぜひ気付いて欲しいものです。
平成27年7月1日
H27.6月のことば 『億劫(おっくう)』
 ゼロという概念を発見したインド人だけあって、75分の1秒という刹那(せつな)から、宇宙の生成を計る巨大な単位「(こう)」まで持っています。劫はこの宇宙が成立し((じょう)劫)、存続し(住劫)、破壊されて(()劫)、無となる((くう)劫)それぞれが一劫で、億劫がらずに計算した人によると約40億年だそうです。(たと)え話では、一辺が約14キロの立方体の石を、100年に一度降りてきた天女が羽衣で軽くこすって、そのため石がすり減ってなくなっても、まだ一劫は終わっていないといいます。別の譬えでは、同じ大きさの鉄の城いっぱいに満たした芥子(けし)粒を、100年に一度一粒ずつ取り去っていき、全部なくなっても劫は尽きていません。それが億ですからこれでは未来永劫終わりません。
 さらにお経には「百千万億・那由佗(なゆた)阿僧祇劫(あそうぎこう)」と出てきます。この億は私たちの考える億ではなく千万程度だそうですが、那由佗は10の10数乗、阿僧祇に至っては数10乗という途方もない数ですから、これはもう「無量大数」-これもお経に出てきます-数え切れないほどたくさんです。それが全部お釈迦さまの徳を讃える言葉として出てきます。お経の初めに唱える「開経偈(かいきょうげ)」にも、このすばらしい教えに出会うのは百千万劫に一度のことだ」と言います。先ほどの那由佗、阿僧祇も数え切れない時間、生まれ変わり死に変わりして修行を積み仏陀となったと、偉大さを強調するのに使われます。それほどお釈迦さまと仏教のすばらしさを伝えたかったのでしょう。
 仏典では、もう一つ恒河沙(こうがしゃ)という巨大な量を示し、人として生を受けた尊さを説いています。恒河沙とはインドの大河ガンジスの砂の数です。人間として生を受ける確率をガンジスの砂を手にとって阿難に示されます「すべての砂の中から命あるものはたった一握りしか生まれない。その砂を払って、しかもなお爪に残る砂粒ほどしか人にはならない」と、いま生きている事実の重大さを教えるのです。また、出生の因たる父の恩について「これはわが父、これが祖父と爪の上ほどの土を分けていっても、その始めを知る前に大地が尽きてしまう」というのです。また縁たる母の恩においても「幾代もの母が与えた乳の量は四つの大海の水をもってしても叶わない」といいます。さらに、親が子を、子が親を(いと)うて流した涙の量もまた、四つの大海を満たして余りがあるのです。
平成27年6月1日
H27.5月のことば 『油断(ゆだん)』
 イラク戦争は、もともと大量破壊兵器とも9・11とも関係なく、ただアメリカの石油利権欲しさの陰謀だったと言われているようです。哀れな日本は、フセインに費やした石油利権を放棄させられた上、平和憲法をねじ曲げて自衛隊を派遣し、借金による多額の復興資金まで投入するはめになってしまいました。なぜこんなに日本が弱いのか、それは油を断たれるのを恐れたからです・・・・・と言いたくなるほど、油断とは不思議なことばです。
 油断は仏典の王が家臣に油のいっぱい入った器を持たせて、「一滴でもこぼしたら命はないぞ」とおどした話からきたそうです。中東の産油国では油より真水の方が大切ですが、日本では油は塩とならんで、現金でしか買えない貴重品でした。道元禅師の著に「一銭一草の財をも布施すべし」とあって、従来、わずかの金品と解釈されていましたが、よく考えてみると、庶民の銭は、塩や灯明の油を買う大事な銭であり、草とは唯一の換金物の薬草と考えるのが妥当です。昔はお通夜に米と菜種油を持って駆けつけるという風習があった地方もあるようです。灯明は仏様への最も大事なお供え物だったのです。
 灯明供養では「貧女の一灯」が有名です。紙芝居で、富裕者の灯明が次々に消えてゆく中、最後のシーンは貧しい老女の灯がただ一つ赤々と燃えさかって、お釈迦さまをお迎えするのです。それで、思うほどの布施ができないときに「貧者の一灯ですみません」というのですが、いささか思い違いがあるようです。まず、この老婆は貧しくていままで一度も供養が出来ませんでした。しかし、仏様と会えるこのときを悟りに向かう機会にしたいと念じるのです。お釈迦さまは、この老婆は前世において法を説き人を導いてきたけれど、一度も具体的に布施をすることが出来なかったので悟れなかったのだと明かします。つまり、この世の真理が頭でいくら分かったところで、心が安らぐわけではない、本当の安心というのは実際に布施行を行って、初めて得ることが出来るということです。
*陀羅尼…真言とか総持といわれる呪文で、その言葉そのものが無量の力を持っているとされているので翻訳されなかったもの。
平成27年5月1日
H27.4月のことば 『ぶっちょうづら(仏頂面)』
  仏頂とは仏としての三十二の特徴の一つで、頭のてっぺんの(まげ)のように盛り上がったところのことです。古来、ここに諸仏の徳のすべてが集まっているとされ、これを尊ぶ陀羅尼(*だらに)祈祷(きとう)のときによく読誦されます。半開きの細い目で見下ろし、口を結んだ仏さまの顔は見ようによってはよそよそしい、不機嫌な顔に見えます。そこから愛想のない、ふて腐れた顔を意味するようになったのでしょう。
 仏さまは本来、釈迦牟尼仏だけなのですが、お釈迦さまは自分の見出した真理が不偏のものであることを強調して、自分以前にも6人の仏さまがおられたと説かれました。また、修行の成就を励まして、後の世に○○仏や△△仏になるであろうと予言されています。それで後世、いろいろな経典がつくられたときに、阿弥陀如来や薬師如来などたくさんの仏さまが創り出されました。如来とは真理を達成した者とか真理を体現する者の意味ですが、ただ一人の仏陀、釈迦牟尼仏をモデルとしていろいろな如来像を造りました。厳密には、仏像とはこの如来像だけを指します。
 次に、菩薩とは仏陀を目指して修行をしている者ですが、同時に如来の救いを人々に流布するお手伝いをされています。そのため、如来像の脇侍(わきじ)として祀られています。観世音菩薩などはお釈迦さまの王子時代をモデルにしたといわれ、首飾りや、腕輪、アンクレットまでつけておられます。また、地蔵菩薩や文殊菩薩は修行林でのお釈迦さまで、僧形をしています。
 その後、仏像を彩ったのは密教の仏さまたちです。もともとはインドでは象のお化けのようなガネーシャや、猿のハヌマーンなど、ヒンドゥー教の奇怪な神々が信奉されていました。彼らはその異形と憤怒の相で、仏教を破壊し僧を殺傷する悪魔たちに立ち向かう明王や天部の神や眷属として、刻まれていきました。
 こんなわけで、仏教は多神教と分類されていますが、実際は、お釈迦さまの教えに従って、この世の苦から脱する一神教の性質を持っています。

*陀羅尼…真言とか総持といわれる呪文で、その言葉そのものが無量の力を持っているとされているので翻訳されなかったもの。
平成27年4月1日
H27.3月のことば 『「あっけらかん」』
 アッと驚いてポカンと口を開いた様子を表す「呆気らカン」が国語的です。でも仏教者としては、だんぜん「あっけ羅漢」です。ご存知のように羅漢(阿羅漢)とはお釈迦さまの弟子のことです。それもちゃんと悟りを開いた方々ですが、画像や彫刻を見るかぎり、個性の強い、奇妙奇天烈な人ばかりです。十六羅漢や十八羅漢はお釈迦さまの高弟なので、まだ一定の様式を保っているものの、五百羅漢ともなれば千差万別で、必ず死別した愛する者の顔が見つかると言われるほど表情が豊です。それが思い思いの格好で、さも愉快そうに大口開けて笑っているかとおもえば、眉根(びこん)を寄せて哲学にふけっている者、怒りでまなじりをけっした姿、土着のドラビタ人ペルシャ人、アジア風の顔だってあります。そんな代表として思い浮かぶのは、おビンズルさまという()で仏です。賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)は阿羅漢になったのはよいのですが、そのときに得た神通力を一般の人に見せびらかして叱責(しっせき)され、地方布教にやられたという人間臭い羅漢さんです。仏像が真理を表して、高潔、端正ならば、羅漢像は便法(べんぽう)をむき出しにして、卑俗で愉快です。梵語アラハットは価値ある人、供養を受けるふさわしい人の意ですが、姿をみていると「おぬしデキルな」という雰囲気です。
 この機会にお釈迦さまの十大弟子を紹介しておきましょう。
智慧第一の舎利弗(しゃりほつ)
空を説いた有名な般若心経で「舎利子」と出てくる方です。アッシジというお釈迦さまの弟子の姿があまり端正なので、サンジャヤという自分の師のもとから、幼なじみの目連をはじめ250人の弟子とともにお釈迦さまの弟子になりました。二人はお釈迦さまの両腕として生涯補佐されましたが、二人とも入滅一年前に他界し、「舎利弗も目連も逝った、私は淋しくてならぬ」といわしめた二人です。
神通第一の目犍連(もっけんれん)
神通力を持っていたゆえに、地獄に亡き母の姿を見て驚き、お釈迦さまに教わった追善供養がお盆の始まりです。最後は、暴徒から体を張ってお釈迦さまを守って亡くなったと伝えられています。
頭陀(ずだ)第一の摩訶迦葉(まかかしょう)
頭陀(清貧)を保って一番で、お釈迦さまの後継者として教団を率いました。彼の帰るまで火葬の火がつかなかったほど、信頼されていました。
天眼第一の阿那律(あなりつ)
いとこで、居眠りを恥じ、不眠の行で失明したかわりに、何でも見抜く力を得ました。
解空(げくう)第一の須菩提(しゅぼだい)
空の理解の第一人者です。
説法第一の富楼那(ふるな)
60の方言を駆使して説法されました。
論議第一の迦旃延(かせんねん)
「過ぎ去るを追わず、来たらざるを願わず」という一夜賢者の偈の解説で有名です。
持律第一の優波離(うばり)
理髪業からの出家で、マンダやアナリツの侍者で彼らの出家の手伝いをしました。
密行第一の羅睺羅(らごら)
お釈迦さまのこどもです。規範をよく守りました。のちには母や御釈迦さまの養母まで出家されました。
多聞第一の阿難陀(あなんだ)
いとこで生涯お側にあって、お釈迦さまの説法を一番多く聞かれましたが、そのゆえなかなか悟りに至らず、死後に悟られたそうです。お経の編纂では彼が、間違いなくお釈迦さまのお話だったことを証明しました。
平成27年 3月1日

H27.2月のことば 『くどき(口説き・詢)』
 異性にしつこく迫ったり、言い寄ったりするのを口説く(最近ではセクハラといわれております)といいますが、本来「口説き」というとちょっと違って、大事なことがらを記憶しやすい文にして語り継ぐことでした。
 文字も知らず、紙が貴重品だった時代は、できるかぎり暗記し語って伝えました。お釈迦さまの時代も、お経はみな暗記して伝えましたので覚えやすい詩の形式をとっています。日本でも語り部が伝説や神話や歴史を語り継ぎました。仏教が渡来すると、説教法師という職能者もでき、仏伝や仏様の功徳、神社仏閣の縁起、因縁話や霊験記は口説き節として庶民に伝えられたのです。紙芝居のもとになった絵説(解)きは、とくに人気があって、お釈迦さまや各宗祖の一代記、地獄極楽をまるで見てきたように語りました。琵琶法師は琵琶を手に仏説を説いて全国を巡ります。こうして、講談や浄瑠璃という芸能のもとにもなりました。また、声明(しょうみょう)や謡曲からは日本独特の演歌節が生まれ、出雲の阿国(おくに)が京で始めた念仏踊りや、流行(はや)り歌の演劇は歌舞伎芝居の始まりです。
 これらの物語や歌舞の中心テーマは、インドや中国と違って魂の行方であり、魂の鎮めでした。つまり、解脱によるする救いという仏教教理ではなく、無常や縁起という仏教のムードが日本人に受け入れられたようです。このことを特徴づけたのが、能・狂言であり、茶道や俳句などのワビ・サビという、日本独特の情感です・・・と軽い「口説き」のつもりが、日本芸術史の講義になってしまいました。
 「不倫は文化だ」といった浮気者は結構マメで口説き上手です。愛も想いもことばにしなければ伝わりません。心さえあればというのは、言葉がいらないくらいに心の通じ合っている人同士のことで、「気持ちは人一倍あるよ」という人が何かしてくれることは絶対にありません。日本人には、「武士に二言はない」と言葉にすることを大事にしました。それはその言葉そのものに霊魂が宿っていると考えたからです。なぜ般若心経が漢文かといえば、翻訳すると「言霊(ことだま)」が消えるからです。祝詞(のりと)も読経も分からないけどありがたいという宗教情感の世界が広がります。
 口説かれて好きになるのか、好意があるから口説きにのるのか、最近のDNA医学は異性をひきつけ合う遺伝子を発見したそうです。
平成27年 2月1日
H27.1月のことば 『色と空(しきとくう)』
 色即是空(しきそくぜくう)  空即是色(くうそくぜしき)
ご存知の方も覆いと思いますが、『般若心経(はんにゃしんぎょう)』の有名な一節です。「色すなわち是れ空、空すなわち是れ色なり」。分かっているようでまったく要領を得ません。これは五蘊(ごうん)皆空(この世の物質的精神的なものすべてに、実体はない)と解釈されています。でも空からすべてのもの(色)は生じます。無ではありません。つまり空は色のあらゆる相を含み、色は空を内蔵している存在です。この空と色を分けたり、結んだりするものが縁、こう考えてみました。満月(色)は太陽光(結縁)によって光ります。しかし、新月(色)は光が射さないので(消縁)あっても見えません。この両方の相が有無を超えた空の姿なのです。この例えで申し上げたいのは、私たちの心は見える、見えないというところで悩んでいるけれど、仏法の真理の目からしっかり本質を捉えて、迷わないようにしましょう─と言うことです。
 『般若心経』は智慧を説いた膨大な般若部経典から、空の思想のエッセンスを262文字に集約したものです。僧侶を志した者でこの解説をものにしたいと思わぬ者はなく、人々にも最も読まれ写経され研究されました。それでも二千年、解釈の定番ができたわけではありません。というのも、当初から秘密経典の色合いが濃く、解釈するものではなく奉持(ぶじ)するものだったからです。ですから、祈祷に好んで読まれてきたのでしょう。
 少し、楽しく色空の世界をのぞいてみましょう。
 シキとイロでは、イロの方が人気があります。イロは総天然色の、濡れ場のあるラブロマンスの人生ドラマです。それに比べてシキは五蘊の一つで、変化して壊れゆく物体とそっけがありません。イロはすぐあせます。愛はうつろいます。とどめておくことも叶いません。しかし、シキと分かっていま咲く花を愛で、心底愛して命を燃やしましょう。
「明日手術 色即是空の 花見かな」と詠んだ方がいらっしゃいます。  ソラとクウはよく似ています。清濁合わせ飲むといいましょうか、何でも許してくれる、こだわらないといいましょうか、とにかく元気が出てきます。流れる雲は空という母の懐でくつろぐ子供です。飛ぶ鳥は父なる無限の空間を行くエネルギーです。
平成27年 元旦