H28.12月のことば 『ならく(奈落)』
 奈落は梵語でナラカ、つまり地獄のことです。地獄はこの世の罪人が落ちて行く苦痛の世界で、深い深い地底にあります。それでどん底に落ちることをナラクに落ちるといいます。また、劇場のせり上がり台の真っ暗な穴を地獄に例えてナラクといいました。
 仏教は迷信だと嫌われるのは、悪いことをした人間は地獄に落ち、善いことをした人間は極楽に行くと脅かしたからです。まだ、お年寄りが「そんな悪さをしたらバチが当たる」と応援していてくれたころは、仏教の坊さんも少しは尊敬されていました。いまでは、いないと葬式ができないからという扱いでしかありません。

 それもこれも、日本では敗戦後のナラクの底から、たった五十年あまりで王侯貴族、極楽もかくあらん、という夢に見た生活が実現してしまったからです。まず、本床とは畳が敷いてある床の間ですが、そこに鎮座できるのは殿上人か神か仏像でした。人間は板の間で、せいぜい(わら)の円座です。座布団だってもともと神仏の像の下に敷くフトンでした。いまでは、だれでもが畳の上で、しかも座布団枕に寝転がっています。食物もいながらにして世界中の珍しいものが手に入ります。楊貴妃の好んだライチも、ローマ皇帝が金と交換した胡椒(こしょう)も、将軍が富士の風穴から早駕籠(はやかご)で運んだ氷も手もとにあります。金さえ払えば、十万もするドンペリもキャビアもトリュフもフォアグラもと贅沢の極みです。地獄はかすみ、極楽は色褪せました。本当にバチは当たらなくなり、地獄に落ちなくなったのでしょうか、あの世の人に聞いてみたい気がします。

 あの世とこの世は三途の川で隔てられています。三途とは地獄・餓鬼・畜生の三道で、亡者は初7日にここを渡って閻魔様の裁きを受けます。閻魔様はインドのヤマという冥途(めいど)の王です。亡者の生前が映し出されるという浄玻璃(じょうはり)の鏡を見て行き先を決めます。そこで、初7日の前夜はみなが集まって追善供養をします。不動明王に願って、少しでもよい世界に生まれ変われるようにと祈ります。
 人の死は、医者の決める死と心が死んだと納得する死と二つあります。だから、しばらくはそこにいるように思います。同時に死者も自分の死が理解できないと考えました。この未練を断ち切るのがお不動様の右手の智剣です。母親が心から子を叱るときのように、お不動様はあの鬼の形相で、お前はもう戻れないのだと言い聞かせます。左手の絶対に切れない綱で縛っても、仏の道へと連れていきます。そして、どうにもならぬ無念の思いは、抱いて背中の火炎で焼き尽くします。ポッカリと開いた心の穴は他のもので塞ぐわけにはいきません。「時が薬」と昔の人はいいました。自然に癒えていくのを待つしかないのです。

 亡くなったその日から、仏教の信者には仏がついてくださると信じました。七日ごとに救う力の大きな仏さまが導いてくださり、満中陰の四十九日には薬師如来のもとで成仏させていただくというのが、忌中の仏事です。
合 掌
平成28年12月1日
H28.11月のことば 『けげん(怪訝)』
 「いぶかしい」という意味ですが、仏教の化現(けげん)(仏さまが姿を変えてこの世に現れること)から来ています。たとえば、大日如来があの恐ろしい不動明王の姿に変わって現れるのですから、怪訝に思うでしょう。
 昔から、不思議だったのは「クモの糸」のお話です。
 お釈迦さまが地獄をのぞくと、カンダタという悪党が血の池地獄で苦しんでいます。しかし、たった一度だけクモを踏み潰さなかったので、それに免じて助けようと、そばのクモの巣から糸をとって地獄に垂らしました。カンダタは目の前に下りてきた糸を必死で登って地獄から抜け出そうとしました。ずいぶん登ったので、一休みして下を見ると、無数の亡者が登って来ていて、糸はいまにも切れそうです。思わず「これは俺の糸だ、下りろ」と叫びました。そのとたんに、綱はプッツリ切れてカンダタはもとの地獄に戻ってしまいました  というお話です。
 なぜ、お釈迦さまは試すようなことをされたのだろう  地獄まで行って助けてあげればいいじゃないかと思ったのです。でも、誓願を遂げて浄土を持たれた如来は、あちこち行くわけにはいきません。しかたないので、大日如来のようにお不動様に姿をやつしたり、釈迦如来のように脇侍(わきじ)の文殊、普賢両菩薩のほか、八部衆に至るお付きが代わりに活躍します。阿弥陀如来も誓願通りに迎えに来るものを山の向こうの中空でお待ちです。枕もとへは観音さまか勢至さまを遣わされます。お釈迦さまもクモの糸を垂らすしかなかったのです。
 実は、お坊さんもあの世での仕事があります。地獄の世界を駆け巡って、人々を救わなければなりません。「寺の住職は、あんなにたくさんの坊さんに葬式してもらわないと成仏できないのか」と皮肉を言われたことがありましたが、坊さんの葬式は成仏のためではなく、教化がこの世からあの世へ移る励ましの式ですから「遷化(せんげ)」といい、盛大にお送りするのです。そんなわけで坊さんになると死ねなくなってしまいます。
合 掌
平成28年11月1日
H28.10月のことば 『ゆうぎ(遊戯)』
 ユゲと読むと仏教語となり、こころのままにふるまうという意味になります。ユウギも無邪気に遊ぶようすですから、見ていても楽しいですね。しかし、ユウギには社会性を身につける遊びという教育目標があります。一方、ユゲ(遊化)にも僧が遊行しながら、人を善に導くという意味が含まれていて、物見遊山とは全く違います。
 2004年のインド洋大津波は、アジアのリゾート地を襲って世界中の観光客を巻き込み、多数の死者を出しました。ここで気になったのは遊びに行っていて亡くなったことを引け目に思っていることです。仕事中の天災だと同情が集中しますが、遊びあっての人生です。いや、遊ばない人生は眠れない日々以上に苦となります。人とは生きているだけでは満足できない生き物ですが、遊びはそれだけで楽しめますから大事なのです。

 体重が重く、体格のいい人(とは限りませんが・・・)は、座禅止観をすることがまさに苦行以外の何ものでもありません。しかし、曹洞宗を開かれた道元禅師は座禅を「安楽の法門」と言ったそうです。たしかに、肉体的苦痛で自死する人は稀ですが、精神的苦痛は人を死に駆り立てます。ところが、シビレが切れると悩みも痛みも吹っ飛んでしまいます。悩みはシビレ一つに勝てないことを知らされます。
 また、道元禅師は著書『正法源蔵』の中でやたらと「楽」という言葉を使って、楽しめというのです。曰く「布施は願楽なるべし」  させて頂くのが楽しい、「仏を求むるは欣楽すべし」  仏道修行が楽しくてたまらない、また曰く「(仏を求める心は)髙き色に会わんと思うべし」  素晴らしい女性に恋するような情熱を持て  です。
 お釈迦さまもまた、楽しむのは怠けるのとは違う、と言っておられます。苦行をやめられたのも、きっと苦しさや辛さからは何も生まれてこない、と悟られたからです。

 仏教は正しいから学べというのではなく、学ぶと人生が楽しくなるのです。お釈迦さまの45年間の説法を遊行と言います。きっと、多くの人に出会い、喜びの顔に接することが楽しかったのでしょう。これが学び難き仏教を学び、生き難き人生を生き抜く秘訣でありましょう。


合 掌
平成28年10月1日
H28.9月のことば 『みじん(微塵)』
 仏教の宇宙観は微細でもあります。物質を極限まで分割していって、これ以上分割できない最小の物体を極微(ごくび)と言います。この極微を中心に原子が集まると微塵となり、地・水・火・風の四大要素として、重い、熱い、潤い、動きなどの特徴を帯びます。などと物理学の講義を聞いているようです。結局、頭の中で考えた分割で実態はないのですが、それを考えたことそのものがすごいと思います。
さて、この四元素が集まると物体が生じます。この結合が解けてしまうと消滅し、空に戻ります。それでお坊さんは病気を「四大不調(四要素がうまくいかない)」と言い、死を「四大分離」と言います。その生滅を包括することで、金魚のエサの微塵子(みじんこ)、野菜の微塵切りなどと使われます。
 野菜の微塵切りで思い出しましたが、日本の広い地域(地域によって異なりますが)で墓参りや盆供養に「水の子」を供えたり、播いたりします。ふつうは洗い米に、微塵切りにしたキュウリ(ハスガラ)、ニンジン(カボチャ)、ダイコンなどを交ぜたものです。お祝いには米とアズキだけで供え、あとで炊き込んで護符(ごふ)といていただきます。この習慣を、インド旅行のときにクシナガラの田舎で偶然目にしました。

 早朝、お釈迦様の荼毘塚(だびづか)にお参りしたときです。土造りの粗末な家から婦人が出てきて、土皿に入れた花びらと米を呪文を唱えながら()いています。当時、年間500万人もの餓死者が出るといわれたインドで、この米は一日の食分をさいた貴重な米のはずです。最初の一播きは天に向かって、今日ある恵みを神に感謝します。次は大地に向かって播きます。乾季のインドはカラカラの赤土で、鳥のついばむエサもありません。生きとし生けるものへのささやかな分かち合いなのです。
 そして、最後はできるだけ遠くへ投げます。これが最も大事なのですが、日本人が忘れ去ろうとしている心でもあります。最後の一播きには、この貴重な米に欲しい、惜しいという悪心をつけて捨てるのです。寺社の賽銭箱に喜捨と書かれているのは銭に悪心をつけて捨てるからです。布施の金品はさしあげるのに、賽銭はなぜ投げ捨てるのか?への答えでもあります。「欲を放たれば、心が満てり」という世界でもあるのです。

合 掌
平成28年10月1日
H28.8月のことば 『だ び(荼毘)』
 荼毘は火葬のことです。
 人を葬る方法はさまざまですが、葬儀の目的は、腐っていく遺体の処理と死んだ人の記憶の処理にあります。火で焼く、土に埋める、鳥獣に与える、海や川に流したり、野山にさらす、ごく稀に食べることもありました。火で焼けば、煙となった個人の魂が天に戻ると思いました。毎年緑の生命を生み出す大地に埋めると、芽吹いて再生します。鳥に捧げれば、大空に舞い上がり、獣が食べれば命が巡ります。海や川に流したり野山にさらせば、自然の循環の中に戻って浄化されます。
 インド人の想いは、白い屏風のように浮かぶヒマラヤの雪の峰_神々の座に帰ることです。そのヒマラヤから流れ出る水で身を(すす)ぎ、ついにはその川に骨を流します。川は流れ下って海に至り、龍の起こした竜巻によって天空へと戻っていき、清らかな雪となってヒマラヤに降ります。その故に、ヒンドゥーの人びとは死期が近づくと、聖地ベナレスを目指します。沐浴(もくよく)場のすぐ上手に火葬場があり、ここで焼かれた遺体はすぐさまガンジス河に流され、理想の終焉を演出するのです。

 お釈迦さまは、ご自分の死期を悟られると、最後の旅を生まれ故郷へと取られました。何不自由なく育ったカピバスドウ、城の門を出るたびに感じた生老病死の無常の苦しみ、愛馬とともに城を捨てた45年前が頭をよぎられたでしょう。もし、無事にカピラの町に着かれたら、次の歩みはと考えたとき、それは北に連なる神々の座しかありません。残念ながら、歩みはクシナガラの沙羅(さら)の林で止まりました。
 北枕(きたまくら)病臥(びょうが)するお釈迦様の姿で、頭を北に向けて涼しく、足を南に向けて暖かくという頭寒足熱(ずかんそくねつ)、そして半身で西を向くと心臓が圧迫されない楽な寝方でした。そのままの姿で亡くなられたので、北枕は死の代名詞となってしまい、不吉だと嫌われています。

 お位牌を安置する四華(しか)台は、お釈迦さまの寝床の陰をつくった沙羅の木です。悲しみのあまりに枯れてしまったので白い紙で作ります。一週間後、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の帰りを待って火葬され、その遺骨を巡って危うく戦争が起こりかけたと仏伝は伝えています。

合 掌
平成28年8月1日
H28.7月のことば 『あうん(阿吽)』
 アウンというと神社の狛犬を思い出します。大きく口を開けたほうがアで、口を結んだほうがンだとおしえられました。少し学がついてくると、梵字(ぼんじ)(サンスクリット)という古代インドの経典文字のアが最初、フーンが最後の字音なので、アウンは万物の始まりと終わりを象徴しているのだと習いました。山門の両脇のおそろしげな仁王様も、口を開けた阿形(あぎょう)吽形(うんぎょう)が対になってお寺を守っておられます。ところで、狛犬は犬ではありません。インドに由来するライオンです。韓国の高麗(こま)から渡ってきた犬のようなもので狛犬となりました。インドでは獅子は百獣の王ですから、仏様に例えられます。また、その説法はすべての動物を従わせるライオンの吠え声になぞらえ獅子吼(ししく)といいます。お釈迦様の威徳を伝えるアショカ王柱にはライオンが頭飾りされていて、現在のインドの象徴にもなっています。
 もう一つ、アウンの呼吸という使い方をします。息がぴったり合うことです。密教では、阿字や吽字の内包する密教哲学が論じられますが、阿はすべての始まりであり、吽は一切の帰着であると言われています。これから阿を出息(しゅっそく)、吽を入息(にっそく)としてとらえる解釈が生まれたのです。
 たしかに息とは不思議なものだと思います。チベットに行った経験を持つ友人の話ですが、首都ラサは富士山より高いので心配した通り軽い高山病になり、吐き気と頭痛に悩まされました。本当は半分以下しか酸素がないのですから、動作もゆっくり、しゃべるのもスローで、それでも3回に1回は深呼吸をすべきなのですが、つい、いつもと同じペースになりチアノーゼが起こります。その上、食事も、排便もおしゃべりもすべてが有酸素運動だと納得させられたそうで、その呼吸が寝ている間も絶えず、規則的に行われ、酸素が体中を巡っている奇跡に感謝したそうです。
 座禅止観では、姿勢を正しく保つことと呼吸を整えることに全神経を集中します。まず、体中の空気を追い出すように出息します。そうすると自然に肺に空気が満たされます。あとは、放っておいてもスムーズな呼吸が続きます。息は吐くのが難しいといわれます。吐きさえすれば、次の息は自然に肺に入ってきます。だから、人間の最後の息は吸って吐けずに止まってしまいます。お医者様が「ただいま、息を引き取れました」と宣告されるわけです。これが「ハキトラレました」では粗大ごみになってしまいます。さらに、ちゃんと息を吐かない人は生命力が弱くなります。つまりハカナイ人になってしまいますのでお気をつけください。
 冗談が過ぎたので、元に戻します。吐くのに一番よいのは笑うことです。笑いは吐く息で成り立っています。笑うのが健康によいと言われる所以です。逆に泣くのは吸う息ですから、体にも心にも悪いのです。もう一つ、大事な吐く息があります。歌を歌うことです。これからカラオケのマイクを放さないようにしてください。
 狭い産道を抜けるときに、赤ちゃんはすべてを絞って捨てます。生まれた瞬間に横隔膜が動いて空気が肺を満たし、「オギャー」と産声・・・阿音えお発して人生が始まります。そして「ウーン」と黙るまで、すべてあなたしか生きられない、あなただけが味わう人生だと肝に銘じて生きてください。

 愛欲の克服についてお釈迦さまは、興味深い話を残されています。弟子の阿難は大変な美男で、あるとき一目惚れされて女性に付きまとわれてしまいます。そのストーカーにお釈迦さまは、「娘よ、阿難と添いとげるには、阿難と同じ高い境地に至らねばならない」と出家させます。その女性は阿難に愛されたくて一生懸命修業を積み、もっと大きな愛に目覚めることができました。小さな快楽は小さな人間しか作らないともいいます。
合 掌
平成28年7月1日
H28.6月のことば 『そそう(粗[麁]相)』
  ついうっかりして失敗するのをソソウといいます。これはオシッコをおもらししたのを上品に言った!のではなく、仏教の人生観を表す重要な言葉です。
 もともとは「麁四相(そしそう)」といって、あらゆる存在は生じ/その態を保ち/変化し/消滅します。それを人の一生に当てはめると「生老病死」となって、麁は人生をダイナミックに動かしていく煩悩に当たります。しかし、本能とはいえ煩悩の命ずるままに動かされているのでは動物であり、あまりに粗野です。失敗や間違いが絶えませんので粗相ということばができました。麁(正字は麤)は鹿が三匹、ばらばらにいる様子で「あらい」という意味ですから粗が当てられています。しかし、現代のように手前勝手の傍若無人(ぼうじゃくぶじん)となれば、このような奥床しい情緒は失われ、粗野な連中が、そそっかしく粗雑に振る舞い、人にあるまじき粗暴な言動に満たされて・・・・・。
お粗末なことです。

 まことに煩悩とは扱いにくいものです。ないと人生は無味乾燥となり、あり過ぎると苦しみに苛まれます。たとえば、煩悩の王といわれる「愛欲」には、あらゆる欲が絡み合い、あらゆる悪が渦巻き、あらゆる苦悩が降りかかります。お釈迦さまは「愛欲」は善を喰う悪魔で、ありとあらゆる善を滅ぼすとまで言っておられます。
しかし、これなくしては人類の生存、発展はありません。いや、苦しみは減っても生きていく楽しみがなければ何にもなりません。さすがのお釈迦さまも「こんな欲は一つで幸いだ、二つあったら聖者は出ない」と言われ、もろもろの苦悩を受けることを覚悟しなさい。と言われました。つまり、悩み苦しんだ上でしか真の解決が得られない問題なのです。結局、仏教を説かれて2500年、いまだに世界は愛憎にまみれ、争い、傷つけ、殺し合っています。

 愛欲の克服についてお釈迦さまは、興味深い話を残されています。弟子の阿難は大変な美男で、あるとき一目惚れされて女性に付きまとわれてしまいます。そのストーカーにお釈迦さまは、「娘よ、阿難と添いとげるには、阿難と同じ高い境地に至らねばならない」と出家させます。その女性は阿難に愛されたくて一生懸命修業を積み、もっと大きな愛に目覚めることができました。小さな快楽は小さな人間しか作らないともいいます。
合 掌
平成28年6月1日
H28.5月のことば 『女 郎(じょろう)』
 女郎とは遊女のことで、あからさまにいえば売春婦ですから、もっとも仏教語からかけ離れています。もともとは、上臈(じょうろう)と書いてお坊さんの位を表しました。もちろん、原始教団には階級はなかったのですが、規律を守るためや指導者を決めるのに、年齢ではなく正式に弟子となった年月で、上下を決めました。これを法臈(ほうろう)といいます。いまでも修行道場では、1分でも先に入門した方が先輩です。世間での地位や学歴は一切問いません。法臈を重ねるとだんだん席次も上がってきますので、そういう僧を上臈と呼んだのです。この言葉が宮中に入り、上級の女官を上臈と呼びました。
 これから転落の道が始まります。古来、尊敬を表す言葉がおとしめられていく例は多々あります。あなた様がキサマになり、おん前がオマエ、奥方がオクサン、貴族女性の尊称だった女房も、いまではそんじょそこらにいっぱいいます。上臈も公家(くげ)から武士に政権が移っていくとともに、女郎となって遊女の名称となってしまいました。
 お釈迦さまはだれでも悟りを開いて覚者(かくしゃ)になれると、男尊女卑や階級差別を排除されましたが、家系を絶やさないために女性の出家修行だけは認めませんでした。ご自身も息子ができて初めて城を捨てられたいきさつがあります。しかし、お釈迦さまの養母と妃が出家を求めたとき、阿難の説得もあってとうとう女性の弟子を持たれました。しかし、当時のインドの激しい差別意識の中では、男性より規則を課さねばなりませんでした。いまでも南方仏教国では、男子250戒、女子348戒と女性の方が厳しくなっています。

 以前、耳にしたお話ですが、カンボジア難民救済のため、タイへ行ったお坊さんの話ですが、タイ政府や国連に認められた活動に対して、タイの新聞が「妻帯し、破戒の日本僧が身を挺(てい)して難民を救っている。それに比して、徳も高く戒も遵守しているタイ僧が、その戒律ゆえに手をこまねいているのは残念だ」という社説を出しました。タイ僧の戒律には、「お金や異性に触れてはならない」、から「異性の夢を見てもいけない」まであって、これではとても救援活動はできません。その社説以来、税関で荷物調べをされていたのがフリーとなり、民衆と同じ席次だったのが国王の次の壇上に迎えられるなど、大変な待遇の変化がありました。名実ともに、というのはなかなか大変なものです。
合 掌
平成28年5月1日
H28.4月のことば 『がたぴし(我他彼此)』
 ガタピシなんて、戸締りの悪い戸が、ガタガタする音から出た擬声語(ぎせいご)だとばかり思っていましたら、これが仏教語と知ってびっくりしました。我(私)と他(他人)/彼(彼岸=あの世)と此(此岸(しがん)=この世)と相反して、同時には成り立たないものを並べたのです。つまり、ものごとが対立してうまくいかないことを表しています。

 たしかに、夫婦仲良く、と言っても結局は他人です。最近、熟年離婚が流行っているそうで、定年退職の夜、「長いことお世話になりました」と退職金の半分を持って、妻に家出されてしまいます。夫には思い当たるふしがなくてただ唖然とするだけです。働いて給料を妻に渡せばそれで充分と思ってきた世代のお父さんの悲劇です。気がつけば妻どころか、あれだけ親しくゴルフをした取り引き先も、家にまで呼んで可愛がった部下たちも、だれ一人として声をかけてくれません。ガタピシする間もなく、押しても引いても開かない雨戸になってしまっていました。人も物も、あまり自分勝手だと調子が悪くなってしまいます。やはり相手のことを思いやる柔軟な心が大事なのです。
 ところで、同じような慣用句に「タソガレ」と「カワタレ」があります。タソガレは夕刻のことで黄昏と漢字で書きます。夕闇に紛れて「誰ゾ彼ハ」と見分けにくい時間帯です。では「カワタレ」はどういう漢字を当てましょうか、そうです「彼ハ誰ゾ」となります。カワタレ時とは明け方の薄暗さを意味しています。妻問(つまど)(こん)だった平安貴族の朝帰りは、明るくなってだれなのかすぐバレてしまいます。いずれにせよ、他人のことは気になりますが、自分のことは棚に上げるのが人の常といえましょう。

 仏教ではこの我が曲者(くせもの)です。我を張る、我が強いのガですが、私たちの苦しみの根源はこの“自分のもの”という意識にあります。この世は縁の集まりで存在し、縁によって変化し、縁がなくなれば消滅します。縁は自分の都合のいいようには働きませんから、こうしたからといってこうなることはなく、自分の心や体さえ自分の思い通りにはなりません。だから、あてにならない我を捨てて、自分を自分たらしめている本質(真の自我)を?めというのが、仏の教えです。


合 掌
平成28年4月1日
H28.3月のことば 『しゃかりき(しゃかりきーになって働く)』
 やっきになっていただこうとする、お釈迦さまの超能力のことです。
 お釈迦さまは大変な力をお持ちでした。神通力(じんずうりき)と言います。なかでも人を見抜く力は、過去と未来にわたってですから、どんな占い師もおよびません。お釈迦さまの説法はこの力を駆使して、相手の能力や心の状態を見抜き、その場の雰囲気に合わせて、適切な比喩(ひゆ)も用いて行われました。いかに心を捉えたかは、十大弟子の智慧第一といわれた舎利弗(しゃりほつ)が、お釈迦さまの一言で250人の自分の弟子を率いて傘下(さんか)に入ったことでも明らかです。また、女連れで遊びに来ていた良家の若者たちを「財物を取って逃げた女を探し出すのと、自分自身を探し当てるのと、どちらが大事だろうか」とたちまち出家させてしまったのです。
 もちろん、具体的な奇跡も起こしました。カッサバ三兄弟を帰依させた神通力の対決がとくに有名です。毒蛇の巣食う神殿で一夜を過ごしたみごとな霊力で、一挙に1000人の弟子が増えました。また、ダイバダッタの謀反で、お釈迦さまに向けて放たれた狂った象はまるでネコのようにおとなしくなったと伝えられています。
 けれど、お釈迦さまは弟子に向かって現世利益を目的とした呪術や、占い、予言を行ってはならないと戒めています。逆にいえば、人びとが宗教者に求めることは2500年来変わっていないともいえます。しかし、お釈迦さまは神通力をつけてはいけないといっているのではなく、正しい修行よって自然に超能力が備わると言われ、人を導き、救うためにのみ使われるものだと諭しました。実際、お釈迦さまと同等の神通力を得た目連(もくれん)も、自分の死を知りながら、一切の超能力を使わずに甘んじて死を受け入れました。お釈迦さまもまた、チュンダの布施した食事に毒があることを予知されましたが、他の弟子にはそれを食べさせずに、自分だけで食べ、病を得て亡くなられました。

 臨終の枕飯はお釈迦さまの復活のために天界から届けられた「香飯(こうはん)」だったそうです。しかし、お釈迦さまは「人と生まれ、人として死す」とその霊薬に箸をつけられませんでした。本当は余命をあと20年持っておられたそうですが、すべてを弟子や信者の福分として残されたと伝えられています。
合 掌
平成28年3月1日
H28.2月のことば 『ひ ん(品―がよい)』
  好ましいとか質がいいというヒンは仏教のボン(品)から来ています。
阿弥陀如来の浄土・極楽に往生するものを、その積んだ功徳で9つに分けました。上から○上品(じょうぼん)上生(じょうしょう)中生(ちゅうしょう)下生(げしょう)、○中品(ちゅうぼん)/上生、中生、下生、○下品(げぼん)/上生、中生、下生、となります。それぞれの人に、それぞれの浄土と9種の阿弥陀仏が用意されています。これから、上品(じょうひん)なとか下品(げひん)なという言葉も生まれました。
 私的には、吾が名を唱えるものはみな浄土に救うといわれるのだから、一律でよいと思うのですが導くのに不都合なのでしょう。ちゃんと、死者を迎えるとき、説法なさるときの手の形(印)が九つとも違います。もともとは、定印(じょういん)だけですから。のちの人々がこの世の利権をあの世まで持ち込もうと考えだしたのかも知れません。

 仏教では10を完全な数と捉えます。すると、9は一つ足りないこととなり完全ではないことを表します。九界は地獄界から菩薩界までの迷いの世界ですが、仏界を加えて十界となります。この九界はすべて成仏の因となりますから、九因一果といいます。また、九品のように最小の素数3の乗数9を吉数として使うことも多くあります。密教僧や山伏が切る九字印などがそうです。仏教の母国インドでは仏教とは数パーセントです。しかし、ヒンドゥー教の第9番目の聖者として尊崇されていますが、どちらの意味か気になります。
 ところで、日本では特に100で世界が変わると考えました。たとえば、生まれてから100日目はモモカで、お母さんのオッパイの世界から人の世界に入ったしるしとして、米粒を食べさせます。人としての祝いは99歳(白寿)までで100歳になればもう仙人の世界です。亡くなって100日を百か日といって、観世音菩薩を奉じて供養しますが、これも人間界のしがらみを捨て去って仏の世界に入ったことを意味します。観世音菩薩とは人びとの声にならない苦しみを観て取り、その人の望む姿に身を変えて救ってくださる菩薩です。日本でも中国でも、最も人気のある仏さまです。お百度を踏むと願が叶うのは、叶わなかった世界が叶う世界に転じたのです。
平成28年 2月1日