R1.12月のことば 『奥様・山の神(おくさま・やまのかみ)』
 社寺には奥之院の存在するところがありますね。これにならってか、江戸時代、身分の高い武士の屋敷では、主人以外の男性が入ることのできない奥まった建物を作り、ここに夫人を住まわせました。このことから奥に住む夫人を奥方様、奥様と呼ぶようになり、その呼称が一般に広がり、他人の夫人を敬って奥様と言う習慣が生まれたようです。
 現代の奥様達は、奥になど納まっていないで表に姿を現すばかりか、積極的に外に出るのが当たり前のようになりました。中には外にばかり出ていて、奥様の呼称よりそとさま(€・・・・)の方がピッタリと思われる夫人も多くなりました。
 では、奥様のことを山の神とも言うのはどうしてでしょうか?いろは歌を思い出してみてください。「うえのおくやまけふこえて・・・」。
 そうですね。やま(・・)(かみ)にはおく(・・)があります。(かみ)(かみ)をひっかけた言葉あそびですが、面白いと思いませんか。もちろん本物の山の神は山を支配する神様で、山の動植物にその影響を与えます。
 昔、農家では、この神様が春になると山を降りて田んぼに宿り、秋にはまた山にお帰りになると考えました。今でも田んぼのことをヤマと言ったり、田んぼの神様を山の神様と言ったりすることから、田んぼの神様と山の神様が同一神であることは容易に想像できましょう。春と秋にはおはぎやもちを供えてこの神様を送迎する民間信仰も、今に伝えられています。またこの神様に豊受大神(とようけのおおかみ)とか大山祇神(おおやまつみのかみ)という具体的なお名前をつけてお祀りする神社がありますが、一般的には(やしろ)を作らず、単に田の神、山の神として敬っていることが多いようです。いずれにしても山の神は動植物を(はぐく)む有り難い神様です。
 各家庭の山の神=奥様も、子宝を育み、家庭に食事を与える有り難い存在です。山の神のご託宣(口やかましい奥さん)をよく聞いて、豊かな家庭をエンジョイすることにいたしましょう。
合 掌
令和元年12月1日
R1.11月のことば 『アイウエオ・いろは』
 「これが○○のアイウエオだ」とか「○○のいろは(・・・)から始めましょう」という表現がありますね。
日本は昔、文字を持たない国でしたが、仏教とともに伝来した漢字や悉曇(しったん)(インドの音声語)に(もと)づいて、日本語の発音が文字化され、整理されました。
 アイウエオは悉曇(しったん)五十字門に(もと)づいて日本語の発音を組織的に図式化したものですね。五十音図の最初のものは、11世紀に作られたとされる醍醐寺(だいごじ)蔵「孔雀経(くじゃくきょう)音義」ですが、江戸時代に契沖(けいちゅう)というお坊さんが、東密悉曇学(とうみつしったんがく)の代表作¬=浄厳(じょうごん)の「悉曇三密鈔(しったんさんみつしょう)」によって現行の五十音図を作成しました。日本語の音を仮名(かな)で5段10行に配列、ア行のイ・エがヤ行に、ウがワ行に重複しているので、つごう五十音となるわけです。以前、ほんの少しだけ梵語(古代インド語)を習った時、アで始まりンで終わる梵語の配列が日本語によく似ているなあと思ったことがありました。実は、日本語の方が梵語を真似て整理されたものだったというわけです。どうりで仁王様のア・ウン像の説明が、インド・日本と別なのにピッタリ合うわけです。
 一方、いろはの方はアイウエオの成立時より時代が(さかのぼ)ります。平安時代に弘法大師が、日本の字音に仏教的意味を持たせ、しかも重複することなく並べて歌にしたものと言われています。「色はにほへと散りぬるを、我が世たれそ常ならむ、有為の奥山けふ超えて、浅き夢みし酔ひもせす、ん」というこの歌は「諸行無常(しょぎょうむじょう)  是生滅法(ぜしょうめっぽう)  生滅々已(しょうめつめっち)  寂滅為楽(じゃくめついらく)」という涅槃経(ねはんぎょう)に出てくる雪山偈(せつせんげ)とピッタリ符号します。最近では弘法大師の作ではないとも言われておりますが、いずれにしても仏さまの教えを歌ったものであることは確かです。
 日本の言語文化は、まさにインド伝来の仏教文化に()うところが大きいと言えましょう。
合 掌
令和元年11月1日
R1.10月のことば 『大人・小人(だいにん・しょうじん)』
 いろいろな施設で入場券を買う時、窓口によく大人(だいにん)はいくら小人(しょうじん)はいくら、と書いてあるのを見かけますね。もちろん大人(おとな)おとなと読ませ、小人(しょうじん)こどもと読ませ、これらを分けて料金をいただこうというのでしょうが、どこからが大人(おとな)でどこからが小人(こども)なのか。まさか背の高さや太り具合で区別はしないでしょう。在学校や年齢で区別するのでしょうか。それにしても中学生は大人なのか小人なのか、扱いに困ってしまいますね。中学生は感じやすい年頃ですから「もう大人なんだから・・・・」と言われたあとに「小人のくせに・・・・」などと言われると本当に悩んだりします。
 大人になるって本当はどういうことなのでしょうか。実は大人は元々(ぶつ)菩薩(ぼさつ)の呼称だったのです。それが敬意を表して長老(ちょうろう)をもそう呼ぶようになり、徳のある人を誰でもそう呼ぶようになり、だんだん下がって、一人前のものを一般的にそう呼ぶようになりました。だから本来は大人になるって大変なことだったわけです。遺経(ゆいきょう)には、八大人覚(はちだいにんがく)といって大人(おとな)であるための八つの条件が示されております。すなわち、少欲(しょうよく)知足(ちそく)遠離(おんり)精進(しょうじん)不忘念(ふもうねん)正定(しょうじょう)智慧(ちえ)不戯論(ふけろん)を行ずることがそれですね。また「()く忍を行ずる者は(すなわ)ち名づけて有力(うりき)大人(だいにん)となす」ともありますから、堪え忍ぶことが文字通りの大人(おとな)しいことなのかもしれません。体だけ大きくなって(とし)だけとっても、仏道を修めなければおとなにはなれません。
 伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)様は「大道未だ弘まらず、大人(おこ)り難し」といわれました。はやく道を求めて大人になりましょう。また、小人とは大人の反対語で、閑居(かんきょ)して不善をなす(やから)が小人です。いわゆるこどもは子供であって小人という蔑称(べっしょう)はあてはめるべきではないと思うのですが・・・・。
こどもの中にも大人が居て、おとなの中にも小人が居ます。
合 掌
令和元年10月1日
R1.9月のことば 『大丈夫・丈夫(だいじょうぶ・じょうぶ)』
 「丈夫な子に育つ」とか「この綱は丈夫だ」とかいうあの丈夫です。
丈夫に大をつけた大丈夫も志村けん(・・・・)の「大丈夫だあ~」で、小さな子供にまですっかりおなじみになってしまいました。 また(ころ)んだら誰かが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれますが、いったい大丈夫とはなんなのでしょう。
 如来十号に調御(じょうご)丈夫というのがありますが、これは私たち人間を調えてくれる者(・・・・・・・・・・・・・)という意味を持つ如来の尊号です。また、丈夫拝(じょうぶはい)といえば全身を使う五体投地の礼拝のことで、男子のする礼拝の仕方、といわれました。これは坐ったままでする女人拝(にょにんはい)(つい)になっていました。丈夫の下の文字(・・・・)だけをとれば(おっと)という字で、男性をさす言葉だということがわかります。こうしてみると、丈夫とは人間のこと、特に男性をさす言葉だったようです。女性にして丈夫なら女丈夫(じょじょうぶ)というそうですが、とにかく人間で、男性で、男性の中の男性であれば、強いもの頼れるものでもあるわけで、「正道を実践して退転しない者」の意から転じても不思議ではありません。「德山(とくざん)もし丈夫なりせば婆子(ばす)勘破(かんぱ)する力あらまし」という文に見られる丈夫とは、この実践修行者のことであり、「観音大士(かんのんだいし)は大丈夫なり」などという時の丈夫は、救済を実践する力強い菩薩ということです。
 このように色々な使い方をされる丈夫ですが、要するに、男の中の男であり、人間の中の人間であり、人間をリードして力強く仏道を進む者こそ真の大丈夫ということでしょう。私たちも仏さまの調御(ちょうご)をあおぎ、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の我もまた大丈夫ならんと修行させていただくことに致しましょう。あなたは大丈夫・・・?
合 掌
令和元年9月1日
R1.8月のことば 『ご馳走さま(ごちそうさま)』
 「ご馳走さま」というと、いまでは食事のときの言葉と思われておりますが、その文字を考えると、どうしてそんな言葉になったのか不思議に思いませんか。
 馳走とは馬車を(はや)くかけ走らせるとか、年月が走るように過ぎ去るといういみです。古文書(こもんじょ)に出てくる馳走は、だいたいそのような意味で使われています。これが、人をもてなす意味に用いられるようになったのは、日本だけの、それもかなり時代が下がってからのことらしいのです。
 もちろん、食事を用意するためには材料を求めたり煮炊(にた)きをしてかけまわることから、食事などのもてなしをする意味に変化したのでしょうが、その意味に変化させる日本人の心を考えてみましょう。お坊さんは食事の時おとなえごとをしますが、その五観(ごかん)()の第一に「(こう)の多少を(はか)り、()来処(らいしょ)(はか)る」という文句があります。これは「多くのおかげを思い、感謝していただきます」と現代風に言いかえられていますが、この心が「ご馳走さま」の心ですね。
 ご馳走さまだけではなく、お世話さま、ご苦労さまなど、日常よく耳にする挨拶(あいさつ)言葉はその多くが、相手の立場に立ってその労をねぎらい感謝する言葉です。日本人の美しい言葉としては、まず「ありがとう」が第一にあげられるそうですが、これらもありがとうにおとらず美しい言葉(・・・・・)と言えるでしょう。
 自分が多くのおかげをいただき、生かされている。だからそれらに感謝せずにいられない。こういう日本人の生き方を大切にしたいものですね。感謝の言葉にはきっと美しい花が咲いてゆくことでしょう。
合 掌
令和元年8月1日
R1.7月のことば 『流布・流通・渡りに船(るふ・りゅうつう・わたりにふね)』
 法華経薬王品(やくおうぼん)に「我が滅度(めつど)(のち)所有(しょう)舎利(しゃり)亦汝(またなんじ)付属(ふぞく)す。(まさ)流布(るふ)せしめ、広く供養(くよう)(もう)くべし」という句がありますが、この句からわかるように、流布とは本来、世間に広く伝えることであり、仏の教えが遠くまで流れ広まることをいいました。流布が今でもルフという仏教読み(呉音(ごおん))で使われていることをみれば、これが仏教語であることを納得(なっとく)していただけるでしょう。
 一方、流通はルズウという仏教読みを離れて、リュウツウという漢音(かんおん)で一般に親しまれるようになりました。流布も流通もほぼ同じ意味ですが、「経典を広く伝えるため、弟子にこれを与える旨を表す経典部分」は、流通分(るつうぶん)といわれております。今日(こんにち)、流通といえば経済用語であってこれが仏教語などとは思いもよらない人が多いのですが、流通物(るつうぶつ)とは本来、世の中に広め伝えるべき仏教のことであり、流布、流通すべきものの元祖は仏教に他ならぬことを知っておきたいものです。
 次に、渡りに船という句ですが、これも薬王品にある句が一般に広まったものです。薬王品には法華経が大いにみんなのためになるということを、色々なものに(たと)えている部分がありますが、その一節に「・・・・子の母を得たるが(ごと)く、渡りに船(・・・・)を得たるが如く、(やまい)に医を得たるが如く・・・・」というのがあるんですね。人生の荒波に()まれてアップアップしている私たちですが、波間に流布、流通するものをよく見定めて、仏教という渡し船に出会ったらいち早くこれに乗って、悟りの岸に向かうことができれば幸だと思うのです。また、仏教者は、人々が仏法に接することのできる機会を多くして、人々がいつでもこの渡し船に乗れるよう配慮すべきであると思うのです。これが本当の「渡し船」なのですから・・・。
合 掌
令和元年7月1日
R1.6月のことば 『障 害[礙](しょうがい)』
 運動会に障害物競走という種目があったり、身体に不自由なところのある方々を身体障害者と呼んだりで、障害という言葉も一般的となっていますね。本当は障害の害は当て字で、本来は障礙(€しょうがい)または障碍(€しょうがい)(碍は礙の略字)と書き、『ショウゲ』と仏教読みをいたします。
 障礙(€しょうげ)の意味はもちろん精神的なもので、さとりを得るために除かなければならない(€さわ)りや(さまた)げとなるものをいいました。この障礙には四種類ありまして、
①仏法をそしること、②自己に執着すること、③苦しみを恐れること、④生きとし生けるもののためになろうとする心がけが無いこと、が数えられます。この四つが基本的な障礙ですが、いまの国語では拡大解釈されてハードルやハンディキャップまで障害に加えられ、読み方が変えられた上、字も礙から害に変えられてしまったようです。

 仏教でいう障害はあくまでも心の問題であり、私たちの心にたまる塵芥(ちりあくた)をさす語です。心は本来清らかで明るいものなのですが、この塵芥が障害となって自由を失うばかりか、暗く悩める姿となってしまっているといえるでしょう。この心の本来の姿を取り戻せるのは私たちめいめいでしかありません。自分の心を救えるのは自分しかないということです。ちょうどお腹が空いているときに、他人にご飯を食べてもらっても自分のお腹は減ったままのように、他人に勉強してもらっても自分の知識は増えないように、他人に修行してもらっても自分の心は救われないままです。自分が食べ、自分が勉強してこそ、自分の体が出来、自分が賢くなるように、自ら自分の心をきれいにするのでなければなりません。
 よく自分の悩みを他人のせいにする人がいますが、それでは一生悩んだまま救われることなどないでしょう。自分の障害は自分で取り除いてゆきたいものです。
合 掌
令和元年6月1日
R1.5月のことば 『あま・尼・比丘尼(あま・あま・びくに)』
 皆様は「あま」というと何を想起なされるでしょうか。古代には漁業をもって朝廷に(つか)える部民があり、これを海部(€あまべ)と申しました。そのことから現代でも、海にもぐって魚介類や海藻をとる人をあま(・・)(男性は海士(あま)・女性は海女(€あま)と書く)と言ってますね。
ところで、今ここに取り上げたいのは、もう一つ想起される「尼」についてです。尼という文字は、「人に近づきならぶ意」であり、釈迦牟()・陀羅()など仏教語の音写用文字に使われました。尼に「女性」の意味が付加されたのは、ビクシュニの音写語として比丘尼(€びくに)と書かれてからでしょうか。また尼を<あま>と訓ずるのは、梵語で母を表す阿摩(€あま)(アンバー)に由来します。和訓だと思ったあま(・・)がインド語だったというわけですね。
 仏教教団の始めの頃お釈迦様は、女性が及ぼす出家者への感覚的魅力を警戒し、女性の出家を許可しませんでした。しかしその後、お釈迦様の育ての母・摩訶波闍波提(€まかはじゃはだい)(マハーパジャティ)の熱心な懇願に応じ、遂に女性の出家を許さざるをえなくなったそうです。このお方が仏教教団最初の比丘尼ですね。また、日本での最初の比丘尼は、敏達天皇13年に高麗の帰化僧・慧便について得度なされたという善信尼(鞍部主司馬達等の娘)です。
 今では一般に、出家して僧籍に入った女性を比丘尼と言い、これを省略して尼とか尼僧さんと言っていますね。尼は本来尊称として使われてきたのですが、これを「あま」と訓じ、時には(ののし)りの()として一般女性につかわれるようになったことは、残念というほかありません
そのせいか尼僧自身が()を付けて呼ばれることを嫌がるようになり、最近は名前を拝見しただけでは、男僧か尼僧かわからない時代となりました。
 尼がどうして尊称でなくなったかはともかく、最初は(あま)<母の意>が、文字通りお釈迦さまのお養母(かあ)様だったことを覚えておいてほしいものです。
合 掌
加藤朝雄著 「暮らしの中の仏教語」より
令和元年5月1日
H31.4月のことば 『聖域・聖典(せいいき・せいてん)』
 「この法律に聖域はない」などと誰かが発言していましたが、きっと≪例外は認めない≫と言いたかったのでしょう。
 辞書で聖域を引きますと、①戦火などを及ぼしてはならない地域 ②問題として取り上げてはならない事柄 等と出てきます。その程度の解釈なら、前のような発言が出てくるのは当然かもしれません。
 本来の聖域とはもちろん、清浄で尊い境地、言語でいうニルヴァーナ(さとり)の世界を指す語です。この世界は、凡人が入り込むすきまのない地域であり、凡人が如何ともしがたい聖そのものしかありません。

 仏教教団は、この聖域(仏教読みではショウイキ)にあこがれ、聖域に住む人ブッダになることを目標とする人々の集まりと言えるでしょう。聖域に住む人を聖人(ショウニン)とも呼んでいますが、この聖人も時代とともに使い方が変化してきたようです。仏教内部でも、上人より更に尊い人ということで、宗祖などを聖人(親鸞聖人等)と尊称しています。
 おそれおおいことですが、お釈迦さまのように、ブッダの列に加わらんと修行するのが仏教徒であり、史上、聖域に達した方々もおられるということです。
 また、この聖人達の残された書物を聖典といいます。経典と言えばいわゆるお経のみを指しますが、聖典とは経・律・論の三蔵全体を指す言葉といえましょう。私たちは仏教聖典によって精進する必要があるのです。

 とにかく、聖とは仏さまとお悟りに関する語でした。他の宗教や政治家がこれを借用するのはかまいませんが、聖域にあらざる聖域があったり、聖典にあらざる聖典があったり、はては聖人を名乗るペテン師が出たりすることのないよう、願いたいとおもいます。
合 掌
平成31年4月1日
H31.3月のことば 『制止・停止(せいし・ていし)』
 今は「相手の言動をおさえとどめる」などの意味に用いられている制止ですが、本当に制止しなければならないのは何でしょうか? 仏教事典には「欲望を制し止めること、戒の異名なり」と出ておりました。欲望を制止することは、自分本来の姿のたちかえることであり、そのためには戒を保つことが一番です。制止の状態とは右にも左にも傾かず、前にもかがまず、後ろにもそり返らず、中道実相と一体になることであり、坐禅の姿に一致します。
 制止も戒も中道も同じことだと言われても(わか)りずらいでしょうが、同じことを違う角度からとらえたと考えたらどうでしょう。
 本来の制止をすれば解るかもしれません。
 次に停止とは一般的には、呼吸が停止するとか、車を停止線に止めるとか使われていますが、これも本当に停止(仏教読みはチョウジ)しなければならないのは私達の邪心に他なりません。仏教では五停心観(じょうしんかん)と言いまして、邪心を停止する五種類の観法があります。つまり、①外界が不浄だと観じて、(むさぼ)りの心を停止する不浄観 ②相手の立場に立って(いか)りの心を停止する慈悲観 ③物事の道理をよくみて愚痴(ぐち)の心を停止する因縁観 ④広い世界をよくみて我見を停止する界分別観 ⑤呼吸を整えて散乱の心を停止する数息(すそく)観です。貪、瞋、痴、我見、散乱という五つの心の(あやま)ちを停止して得られる仏道修行の成果を五停心位(じょうしんい)と言います。
 私達凡人は、わかっていてもなかなか本当の制止や停止ができません。自動車を制止したり停止したりすることは結構得意なんですが、自分の心にブレーキ操作することは難しいですね。運転手が事故を起こさないためには、アクセルよりブレーキ操作に注意するように、人生に事故を起こさないためには、心の中の煩悩というアクセルよりも、戒というブレーキに意を注ぐことが大切ではないでしょうか。
合 掌
平成31年3月1日
H31.2月のことば 『あの手・この手・奥の手』
 人間が他の動物と違うことのひとつに「手を使う」ことがあげられますね。人間は4本足のうち前の2本を手に進化させて、いろんなことをしてまいりました。2本の手は大変役立ってきましたが、2本ではとても足りないお方もいらっしゃいました。たくさんあれば、あの手この手を使って何でもできる、いよいよとなったら奥の手もある。
 手が2本しかない人間社会で「あの手この手」というと、いろいろな手段方法を指し、「奥の手」はとっておきの手段方法を指しますが、あの手この手という発想の元祖は千手観音様でしょう。
 千手観音様は六観音のおひと方で、限りない慈悲を表す菩薩様です。あまたの衆生をあわれんで救いとらんとするためには、2本の手ではとてもたりません。そこで我が手を千本に増やし、文字通りあの手この手奥の手で私たちを助けてくださいます。梁塵秘抄(りょうじんひしょう)に「万の仏の願よりも千手の誓いぞ頼もしき」とあるとおりでしょう。千の慈悲の手をそなえて、生あるものをどの手で救おうかと工夫なさっておられるのですね。
 また、千手観音様はインドのシヴァ神に比肩する実力者で、日本では奈良時代から信仰されている延命(えんめい)滅罪(めつざい)除病(じょびょう)の観音様です。そのお姿は、四十二()・二十七面で表されているのが普通ですので、千手と言っても、広大無辺を千という数で表現したのだと考えるのがよいでしょう。唐招提寺金堂の千手観音像は、実際に千の手を持っておられるそうですが・・・
 千の眼をもって常に私たちを見守り、千の手で油断なく救いとってくださるなんて、有り難いではありませんか。私は、プール監視をこの観音様に頼んだら最高だろうなどと、失礼なことを考えてしまいましたが、微力な人間である私たちにもできることは、せめて精神だけでもこの観音様に(なら)うことでしょう。そして、この2本の手を有効に生かし、世のため人のために使いたいと念じてやまない次第です。
合 掌
平成31年2月1日
H31.1月のことば 『本尊様(ほんぞんさま)』
 「せっかく良い縁がきたのに本尊様がさっぱりだ」などと言えば、あることの中心人物とか当人をさすこともある本尊ですが、もちろん本来は人間をさす言葉ではありませんね。礼拝の対象として寺院に祀られるもっとも主要な仏さまのことで、数ある仏像中、真ん中に祀られているので中尊といわれることもあります。そしてお寺で何が一番大切かと言えば、この本尊様に他なりません。また何様を本尊様とするか定められている宗旨もありますが、おおかたの寺院ではその縁起によって本尊様が定まっているようです。いずれにしても、本尊様ほど大切なものはないのですが、今日のお寺詣(てらまい)りの様子をみると、そのお寺の本尊様のことなど知らないままにお参りしている人が多いようです。
 初詣(はつもうで)や観光などはこの最たるものと言えましょう。できれば、そのお寺の本尊様がどんな仏様なのかくらいは知っておいてほしいものです。本尊様次第ではお参りしないなんてことになっては(かど)がたちますが・・・

 もっとも、何様が祀られているか無関心という点では仏教より神道の方がひどく、たとえば神前結婚で、なんという神様の前で挙式したのかチャンと言える人などほとんどいないと言ってよいでしょう。日本人の信仰形態としては本尊様など何様でもよく、有り難そうな雰囲気が大事というむきもありますね。考えようによっては、この方がみんなと仲良くするために望ましい形なのかもしれません。外人には奇異に思われるでしょうが、本尊様が何様であろうと、人が大切に思うものは自分にも同じとして、いろんな神様や仏様を拝んだり、信仰の違う相手の宗教行事におくめもなく出席し、その儀式に平気で参加する_こんなあり方が暮らしの中から生まれた智恵であり、日本宗教が世界に誇る長所なのかもしれません。
合 掌
平成31年1月1日