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童歌・まとめ
各歌に記された事象に対応する火星の逆行現象
・ 「ずいずいずっころばし」 氷上川継の乱 天応二年閏正月十一日 西暦782年3月3日
西暦782年2月1日頃~4月15日頃 火星がおとめ座(秋分点方向)からしし座にかけて逆行
・ 「あんたがたどこさ」 魚住景固の暗殺 天正二年正月十四日 西暦1574年2月15日
西暦1574年4月10日頃~6月25日頃 火星がさそり座アンタレスに近づいたあと逆行
・ 「とおりゃんせ」 徳川家光と鷹司孝子が正式に婚礼 寛永二年八月九日 西暦1625年9月10日
西暦1625年8月25日頃~10月30日頃 火星がうお座(春分点方向)で逆行
・ 「かごめかごめ」 本居宣長が『古事記伝』執筆準備開始 明和元年 西暦1764年
1764年5月10日頃~7月5日頃 火星がさそり座で逆行
・ 「はないちもんめ」 内戦による米価高騰をきっかけに起きた武州世直し一揆 慶応二年六月 西暦1866年7月
西暦1866年12月~1867年2月 火星がふたご座で逆行
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以下、再び箇条書きにして、包括的な意味を探ります。
「あんたがたどこさ」は「佐々成政」らを従えた「織田信長」の台頭のことを歌い
「ずいずいずっころばし」は「筒井順慶」らを従わせた「羽柴秀吉」の台頭のことを歌い
「とおりゃんせ」は「公家」を従わせかけた「徳川家」のことを歌い
「かごめかごめ」は「本居宣長」とその「業績」のことを歌い
「はないちもんめ」は「徳川家」の凋落に伴う「民衆」の台頭のことを歌っている
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日本書紀に記された反逆の年代と、計算上の火星の逆行の年代が一致するということは、奈良時代人が既に火星の逆行の年代をさかのぼって計算できていたということであり、奈良時代人にできて近世の公家にできない訳がありません。
つまり、火星の逆行の時期は、観測をしなくても計算で導き出すことができたはずであり、「あんたがたどこさ」の“うら”の文章の「空のもやが増して」には別の意味が込められている可能性があります。
「ずいずいずっころばし」の“うら”の文章の「ちと高津人 斎つ名で印籠 御知り」は「大内義隆」という武将のことを表しています。
その大内義隆が招いた多くの公家の中に三条公頼という人がいて、大内義隆に対する家臣の謀反が起きた際に、招かれた多くの公家と共に三条公頼も殺され、そのことにより公家の人員不足が起こり、その人員不足を救ったのが細川幽斎であったことを表わしていると考えています。
実際に、細川幽斎が三条西実枝から古今伝授を受けたのが元亀三年~天正四年(西暦1572年~1576年)のことであり、天正二年(西暦1574年)に起きた魚住景固の暗殺が火星の逆行の時期から逸れていることと辻褄が合います。
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中国で童謠・螢惑(けいわく)の影響が最も盛んであったのが魏・晋(西暦220~420年)の時代であり、「馬毛名歌合」が示す「記紀」の時代とほぼ一致します。
中国のこの時代の流行を、倭国の同時代の歴史に反映させて、奈良時代人が「記紀」を編纂したのかもしれません。
また、中国のこの時代の「童謠」を手本にして、江戸時代から近代に至る何者等かが、五つの「童歌」を作ったと、筆者は推測しています。
ただし、単に手本にしただけではなく、奈良時代から近世まで連なる「公家」の伝統が背景には存在するのかもしれません。
童謠・螢惑の詳細については KUSHIDA'S WEB SITE http://www1.odn.ne.jp/kushida/ をご参照ください。
「蛇行法則」が成り立つ歌
・ 藤原浜成(西暦724~790年) ねずみの家の謎歌 (火星)
・ 源順(西暦911~983年) 馬毛名歌合 (火星)
・ 江戸時代~近代 五つの童歌 (火星)
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五つの童歌の中で「かごめかごめ」以外の四つの事象の元号の示す年が「二年」となっていることから、「かごめかごめ」に表された事象である「本居宣長」の活動を示す年譜の中で、「元号二年」の中に当てはまる事象がないか調べてみました。
まず、安永二年(西暦1773年)、彼が四十四歳の春に、自画自賛の肖像画を描き、
めづらしきこまもろこしの花よりもあかぬいろ香は桜なりけり
という歌が添えられています。これは朝鮮や中国よりも日本の方が優れているという「愛国心」と「他国への思想的反抗」を詠んだ歌と考えられ、この年の太陽暦の1月1日頃から2月15日頃に、火星がかに座で逆行しています。
また、火星の逆行とは重ならないのですが、天明二年正月(西暦1782年2月)に、師である賀茂真淵の十三回忌追悼歌文集『手向艸』を編み、この年の八月に『天文図説』、九月に『真暦考』が成っています。
さらに、これも重ならないのですが、彼が六十一歳の寛政二年八月(西暦1790年9月)に、自画像を描き、
しき島のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花
という歌を添えています。この年の十一月には上京して天皇の新造内裏への遷幸を拝観しています。
○ 「自画自賛」の絵と歌を作成 安永二年春 西暦1773年春
西暦1773年1月1日頃~2月15日頃 火星がかに座で逆行
○ 賀茂真淵の十三回忌追悼歌文集『手向艸』を編む 天明二年正月 西暦1782年2月
○ 自画像と歌を八月に作成 天皇の新造内裏への遷幸を十一月に拝観 寛政二年 西暦1790年
以上を踏まえて、改めて箇条書きにします。
・ 「ずいずいずっころばし」 氷上川継の乱 天応二年閏正月十一日 西暦782年3月3日
西暦782年2月1日頃~4月15日頃 火星がおとめ座(秋分点方向)からしし座にかけて逆行
・ 「あんたがたどこさ」 魚住景固の暗殺 天正二年正月十四日 西暦1574年2月15日
西暦1574年4月10日頃~6月25日頃 火星がさそり座アンタレスに近づいたあと逆行
・ 「とおりゃんせ」 徳川家光と鷹司孝子が正式に婚礼 寛永二年八月九日 西暦1625年9月10日
西暦1625年8月25日頃~10月30日頃 火星がうお座(春分点方向)で逆行
・ 「かごめかごめ」 本居宣長が愛国的かつ他国への反抗的な歌を詠む 安永二年春 西暦1773年1~3月の間の頃
西暦1773年1月1日頃~2月15日頃 火星がかに座で逆行
・ 「はないちもんめ」 内戦による米価高騰をきっかけに起きた武州世直し一揆 慶応二年六月 西暦1866年7月
西暦1866年12月頃~1867年2月頃 火星がふたご座で逆行
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結論
「かごめかごめ」に隠された本居宣長の業績からは、彼の愛国心が導かれます。
そして、「愛宕神社の虚実」では、神代の神々を介した、神功皇后と豊臣秀吉の結び付きから、朝鮮半島への倭・日本の出兵にまつわる説話・歴史が見出されます。
さらに、「あんたがたどこさ」には、細川幽斎の古今伝授との関わりが暗示されています。
他方、「ずいずいずっころばし」には、奈良時代と戦国時代を複雑巧妙に入り組ませた謎が展開されています。
また、「とおりゃんせ」には、古代の源順になぞらえて、家光と孝子の不仲、ひいては、徳川幕府と公家の緊張関係が描かれています。
最後の「はないちもんめ」では、幕末の混乱が迂遠な手法で織り込まれています。
このような愛国心などを手掛かりとした「歴史の栄枯盛衰」が、五つの童歌全体を用いて表現されています。
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<参考図書>
・ 広辞苑 第五版 岩波書店 1998年
・ 世界大百科事典 第2版 日立デジタル平凡社 1998年
・ 【換暦】暦変換ツール http://maechan.net/kanreki/
・ Stella Theater Pro Version2.66 Toxsoft 2008年
・ Newton キトラ古墳で発見された古代の星図 1998年7月号
・ 本居宣長 人物叢書 新装版 著者:城福勇 吉川弘文館 2005年
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かごめかごめ ずいずいずっころばし あんたがたどこさ とおりゃんせ はないちもんめ
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