|
住職の独り言」・・・・その108![]() 当関東地方は、先月(2月)は二度に渡り、記録的な大雪にみまわれ、各地に大変な被害がもたらされました。 ここ熊谷も、二回合計で1メートルを超す積雪となり、大混乱となりました。当山近くのコンビニもしばらくの間、品不足が続き商品の陳列棚が空きだらけという状態が続きました。同じ県内の秩父地方では、孤立してしまい、不自由な生活を強いられた方々が沢山おりましたし、雪害のため尊い命を落とされた方も出てしまいました。そうした方々に比べて、この辺りは、夏は少々暑く、大雪になると商店の陳列棚に品物が少なくなる程度のことで済む、恵まれたところで生かさせていただいているとおもうと、本当に有り難い限りです。 さて、今月は虚空蔵菩薩さまについて語ってみたいと思います。 ご先祖様のご供養に欠かせない十三仏様のうち最後に登場される仏さま、33回忌の本尊様です。虚空蔵さまの梵字は「タラーク」といいます。 また、虚空蔵菩薩さまといえば、「十三詣り」と称して、虚空蔵菩薩さまに13歳になった子供が参詣する習慣が各地あります。東北地方では、村の虚空蔵菩薩さまに青年がおこもりをする風習もあります。 なんとなく、虚空蔵菩薩さまという菩薩さまは、お名前がいかめしいのか、観音さまや、お地蔵さまほど身近ではないようですが、逆に、いいしれぬ信頼感をいだく菩薩さまでもあります。 「十三詣り」といい、青年のおこもりといい、虚空蔵菩薩さまが、青少年に縁が深いことに気づかれたことでしょう。 虚空蔵菩薩さまをご本尊にまねいて修する密教の修法に「虚空蔵求聞持法」というものがあります。これはちょうど奈良時代の末から、僧侶のあいだで大切にされた修法で、有名なことでは弘法大師が、世の中の数ある宗教の中で、仏教がいちばんすぐれているとされて、力強いおちかいをたてて、あの怒涛の荒れ狂う室戸岬の厳下に修されたのが、この「虚空蔵求聞持法」でした。 「虚空蔵求聞持法」をくわしくいうと「虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」といいます。「能満諸願」とは、どんな願い事もかなえてくださる、といういみです。「最勝心陀羅尼」とは、いちばんすぐれた仏さまの心をあらわす陀羅尼という意味でしょう。そして、「聞持法」というところがポイントです。「聞持」ということは、聞いたことを忘れずに記憶しておくという意味です。ですから「求聞持法」というのは、聞いたり学んだりしたことを深く記憶して忘れないようにとするひとのための修法ということになります。 「虚空蔵求聞持法」に「ひとたび耳にふれれば文章もその意味もすぐわかる」とか、「これを一回おぼえれば、永遠に忘れることがない」、さらには、「そのほかいろいろな福やご利益がいただけることはかぎりない」とあります。 これから仏教の膨大な経論を勉強していこうとする若い僧侶にとって、これほどありがたい功徳はありません。その時代の僧侶たちは、競ってこの修法を学び、そして修しているのです。 「十三詣り」にしても、「青年合宿」ともいうべきおこもりにしても、前途洋々の青少年たちが、賢く、健やかに生きていけるように、こうした虚空蔵菩薩さまのご利益にあずかろうする信仰といえます。 虚空蔵菩薩さまについては、多数の経典がのこっていますが、西方はるかの香集世界というところで、勝華敷蔵仏という仏さまのもとで修行していた虚空蔵菩薩さまは、80億ものお仲間の菩薩さまといっしょに、われわれの住んでいる娑婆世界においでになって、破悪業障陀羅尼すなわち悪いおこないのむくいが清らかになる陀羅尼をお説きになり、この世のひとびとのあらゆる願いを満たし、福徳を与えてくださったといわれています。 虚空蔵菩薩さまの頭上には、如意宝珠が飾られていて、その如意宝珠そのものが、仏さまの教えやいましめをのべているといいます。摩尼珠印という印をもっていて、押された夢をみると、覚めたのちに罪をのぞく意味の文字が残っていたということです。「十三詣り」で額に印を押すのも、そういうお経の話に由来するのです。 あまり自由自在に、さまざまな功徳を与えてくださる虚空蔵菩薩さまに、仏弟子の舎利弗は、「虚空のように尽きることのない庫蔵は、どのような修行をして身につけられたのですか」と質問します。虚空蔵菩薩さまは、それに答えて、「虚空のように果てしないわたしの功徳の力は仏さまになろうと、想像もできないような長いあいだの修行をしてはじめて獲得したものです。」 と説かれます。 「虚空蔵」というお名前は、かぎりのない功徳とたたえられたそのお徳をいいあらわしているのです。
|
戻る |