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住職の独り言」・・・・その109 大雪にみまわれた2月。その後3月前半は真冬並みの寒さ。という気候もようやく春らしくなってまいりました。境内も春の花々が我先にと彩りはじめ、軒下で飼育しているメダカも、日中は水面で餌をねだって泳ぎまわっています。世間では、消費税増税で右往左往しているようですが、来年10%になることもお忘れなく。 さて、今月は、勢至菩薩さまについておしゃべりしてみます。 勢至菩薩は、阿弥陀如来の脇侍として観音菩薩とともに極楽世界に住し、いつも人びとを助け護り、また人びとが命尽きるときには、阿弥陀さまや観音さまなどとともに来迎し、阿弥陀さまの西方極楽浄土に導いてくださる仏さまです。 勢至さまは、このように観音さまといつも一緒におられます。その姿も『観無量寿経』というお経には、「勢至さまには、頭のいただきに小高くなっている肉のかたまりがあり、それは紅い蓮華のように美しく輝いている。その上には一つの宝瓶があって、この宝瓶の中に智慧の光が盛り込まれ、この光によって人びとが救済されている。この勢至さまと観音さまとは、この宝瓶以外は身体の大きさはじめ、すべてが同じ姿である。」と説明があります。 このように観音さまと勢至さまは身体恰好がまったく同じで、また仲のよい兄弟のようにいつも一緒におられるのですが、実はこのお二人は前世では兄弟であったという有名な前世物語があります。 昔、お釈迦さまが前世では長那という名前であったとき、妻マナシラとの間に早離と即離という二人の兄弟をもうけた、二人の母であるアナシラは急に病気になり、二人の愛児につねにさとりを求める心を忘れないようにとの遺言を残して亡くなった。そしてそのあと二人は継母を迎えることになった。ある時、父である長那が長い旅に出かけた留守に、継母は二人をだまして南方の孤島に送ってしまった。 二人の兄弟は、疲れと飢えの苦しみの中で嘆き悲しみながら死を迎える。命尽きようとする時、兄の早離が弟の即離に向かっていう。「どんなに嘆いても、ここは無人の離島であり、救われる望はない。しかし弟よ、不運な自分たちにも、きっと救いの道がある。それは亡くなった母の遺言の言葉を思い出すことだ。母はさとりを求める心を忘れないようにと言われた。弟よ、自分たちはやがて短い命を終える。しかしいずれはどこかに生まれ変わるであろう。その時には、親との死別、人に欺かれる悲しみ、疲れや飢えの苦しみ この悲しみや苦しみを、必ず次の世で思い出し、そこで苦しみ悩みに沈む人びとを救おうではないか。この誓い、この願いを発こして死を迎えよう。」兄は弟に懸命に説き、やがて二人は安らかな微笑みさえ浮かべて、命果てたという。この兄が次の世の観音さま、弟が勢至さま、実母が阿弥陀さまとなったのである。 この前世物語には、観音さま、勢至さまの菩薩のこころがとてもよく表れています。苦しみ、悲しみに打ち沈んでいる人びとを救うために、この世にあらわれた仏さまたち。苦しみ悩むすべての人びとを限りない慈しみのこころをもって救うことが使命なのです。 勢至さまは、大勢至、得大勢至、大勢志などとも呼ばれ、読んで字のごとく大いなる勢力を得たものという意味です。『観無量寿経』には「智慧の光をもってあまねくすべてのものを照らし、一切の生きとし生けるものを悪の世界(地獄、餓鬼、畜生道の三悪道)に堕ちて苦しんでいるものを照らして、その苦しみを除き、救い上げることに、この上ない最上の力を持っている。だからこの菩薩のことを大勢至と名づけている」とあります。 菩薩さまはこのように、智慧の光をもってすべての人びとを救い上げます。これは「三人寄れば文殊の智慧」ということわざにも云われる智慧の文殊さまとも並んで、智慧を代表する仏さまと言えるでしょう。それは勢至さまの頭のいただきにある宝瓶の中に智慧がいっぱいに盛り込まれていることからもよく分かります。 そしてそのお姿は合掌されています。この両手を合わせる合掌の形は、蓮の華の蕾を表しています。まだ開いていない蓮華は、池に喩えられる私たちすべての人びとの心の中に、ほのかに育ちはじめたさとりを求める心、つまり菩提心をあらわしています。勢至さまは子の蓮華の蕾、私たちの菩提心を傷つけることなく、大事に育てられているのです。「虚空蔵」というお名前は、かぎりのない功徳とたたえられたそのお徳をいいあらわしているのです。
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