住職の独り言」・・・・その115

阿閦<あしゅく>如来さま-

 早いもので、10月に入り衣替えのシーズン。北海道の高地からは冠雪、紅葉の便りも聞かれるようになりました。
 先日、テレビ番組で、2050年頃になると紅葉がクリスマスの頃になる、という予想がされておりましたが、まさに今のまま温暖化が進めばそれもありかなと、思いますよね。
関東地方で、南国の果物が栽培され、北海道がお米の主生産地になる、という話も聞いたこともあります。
 同じ頃、国連で温暖化に関する各国首脳会談が開かれたようですが、もはや机上で議論する時期ではなく、国を挙げて、国がリードして行動を起こさなくてはならない時期になっているのではないでしょうか・・・? いかが思われますか。

 小生、政治経済に関しては、ほとんど無知なものですので、ぼろがでないうちにそろそろ本題に入ることにいたしましょう。
 今月は、阿閦如来さまについてつぶやいてみたいとおもいます。 以前、十三仏さまについてお話した時、少しふれさせて頂いておりますが、もう少し詳しくお話いたします。
皆様にはあまり聞きなれない仏様だと思います。ご先祖さまを供養するときには欠かせない仏さまです。
 『阿娑縛鈔<あさばしょう>』という天台密教の修法や作法、図像等の集成書には、阿閦<あしゅく>如来さまのお姿について『六種曼荼羅釈』に云うとして次のように述べられております。 
 その尊容は、ほとけ様の相好を具していて、(衣は)偏袒右肩<へんだんうけん>。左(手)は金剛拳にして袈裟の角を持し、腕をひるがえして心にあて、右手は五指をのばして、右ひざを覆って、指先は地につける。全跏跌坐<ぜんかふざ>にして蓮華座に坐す。と、また他本に、(その身体は)黄金色であると述べております。
 偏袒右肩とは、衣を身に着けるのに、左肩から右脇の下へ斜めにかけることをいいますが、これはほとけ様を拝むときには、ほとけ様を中心にして、右廻りに回り、しかも右肩を露わすことで敬意を現す行為です。
 金剛拳とは、金剛石(ダイヤモンド)のように堅固で破壊されることがないほど、しっかりこぶしをにぎることです。
 全跏跌坐とは、胡坐<あぐら>に似ていますが、足の甲を反対の足のももの上に乗せる坐法で、片足だけを反対のももに乗せる半跌坐に対して、両足を乗せるから全跏跌坐または結跏跌坐ともいいます。
 『阿閦仏国経』によると、過去に東方一千仏刹(千の仏国土)に阿比羅提<あびらだい>(妙喜国)という世界があって、大日如来さまが諸菩薩のために説法し六度無極<ろくどむごく>の行を説いていました。その時一人の比丘が大日如来さまに「私は今、菩薩の所行を学ぼうとしております。」というと大日如来さまは「菩薩行は、はなはだ難しい。どうしてかというと、菩薩は一切の物事に対して瞋恚<しんに>(いかり憎む心)を発することがない。」と答えました。
 この比丘はさらに続けて、「私は今より、この上ない正しい真道意の心を発し、願を起こして瞋恚を断じ、婬欲を断じて最正覚を成じます。」と発願したのであります。
 これを聞いて諸菩薩達は皆この比丘を阿閦と号し大日如来さまも大いに歓喜して阿閦と呼び称えました。
 阿閦とは「動揺せしめざるもの、不動なるもの」を意味し、大日如来さまを始めとする諸菩薩の前で発願し堅く誓ったことが堅固であったことによるのでしょう。
 その後、この阿閦比丘は大日如来さまのもとで功徳を積み、ついに阿比羅提世界で成仏し、現在もこの国において、説法しているといいます。
 阿閦如来さまの信仰は古く大乗仏教の興隆と共に最も早く説かれます。お釈迦さまが滅せられてから500年ほどして大乗仏教が興りますが、当初は仏塔が信仰の対象でした。
 仏塔には献華や献供して、その前で瞑想をします。そして次第に宗教的な欲求に応じて、救済仏の教理が起こってきたと考えられており、これが「観仏三昧」であります。
 大乗仏教の経典にはこの仏塔信仰を説くものが多く、特に『法華経』は仏塔と密接に結合しておりますし、阿弥陀さまの浄土も仏塔をモデルにして考案されたようです。
 仏さまの救済には阿弥陀さまのほかにも、今回の阿閦如来さまや薬師如来さま、さらには将来仏としての弥勒菩薩さまなどが私たちを救ってくださる仏さまとして説かれてゆきます。
 これらの諸仏は「誓願」を立て、弘願<ぐがん>の鎧をきて衆生を救済する点に大きな特徴があります。それゆえ、大変身近な地蔵菩薩さまや観世音菩薩さまなども、私たちを救済するまでは、自ら仏(如来)とならないという誓願を立てるのです。
 また、阿閦如来さまは『妙法蓮華経』化城諭品<けじょうゆほん>には前世は大通智勝<だいつうちしょう>如来さまの十六王子の一人として登場し、やはり東方歓喜国において現在も説法している様子が現されております。

 本日も、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
仏さまのような高い誓願を起こし、実行することは大変難しいことですが、身近で私たち凡人にも出来ることを見つけて、誓願を起こし、一歩一歩、仏性の華を開かせるよう精進してまいりましょう。


合掌九拝


平成26年10月1日
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