住職の独り言」・・・・その121


 ようやく春らしい気候が続くようになりました。桜前線も確実に北上しているようです。しかし油断は禁物です。この時期、日々の気温の差が一番激しい季節です。油断をして体調を崩さぬよう十分お気を付け下さい。

 さて今月は、普賢菩薩についてお話してみたいと思います。
 華厳経というお経の中に善財という名の少年が仏道を求めて、次々に仏教の先斥(善知識)を訪ねながら、南へ南へと旅を続ける物語が説かれています。いわゆる善財童子の求法物語です。善財童子は智慧を代表するとされる文殊菩薩に勧められて、ただひたすら純粋に教えを求め、善知識を求めて旅に出ます。そして永い旅路の果て、最後の善知識として五十三人目に現れてくるのが普賢菩薩さまです。
 善財童子が普賢さまのところにやってくると、普賢さまは座禅を組んで瞑想に入っていました。そして驚くことにその身体からは無数の光明が放たれています。 しかもよく見ると、身体の一つ一つの毛孔から無数の光を放って、一切の世界を照らしています。普賢さまはやがて禅定から立ち上がって、善財童子に向かって、「少年よ、私の清浄な身体をよく観察せよ」と語りかけます。

 普賢さまは神通力をもってこの不思議な光景を善財童子に示しました。私たちも善財童子とともにこの普賢さまの身体をよく観察し、考えてみましょう。
 普賢さまの一つの毛孔からは、無量の香雲を出して世界を和ませています。また別の毛孔からは仏国土を出して、たくさんの仏・菩薩が、あらゆる衆生を救済している姿が現れます。このように普賢さまの身体のどこを見ても、すなわち毛孔一つ一つの中に、菩薩としてのあるべき理想の姿が現出されているのです。そしてすべての衆生を救わんとするその心は、あたかも虚空のごとく、一切の障害のない広大無辺の心です。少しでも執着するところがあれば、限りなくあらゆる衆生を救うことができません。虚空に等しい広大な心、これが菩薩の慈悲の心なのです。普賢さまはその心身に菩薩のあり方を集約して示しました。そのことから普賢さまは、菩薩の智慧を代表する文殊さまに対して、菩薩の慈悲の行を代表する菩薩として存在します。
 そして普賢さまの身体の毛孔一つほどのわずかな部分に、虚空に等しい無限の世界が展開されるということは、私たち人間の心にも、あらゆるものを限りなく受け入れることが可能である、すなわち菩薩の心の世界に入ることができることを示してもいるのです。普賢さまは善財童子に最後の説法をします。「仏の清らかな身体は、いかなる世界にも比べようがない。また仏の功徳を説き尽くすことはできない。この真理を聞いて喜び、信じて疑うことのない者は、すみやかに究極の目覚めに到達して、仏と等しくなるであろう」と、善財童子に予言をします。
 この言葉を聞いた善財童子は、近い将来、仏と等しくならんと新たなる決意をするのです。普賢さまの最後の説法は、善財童子や私たちにとってさらに真理を求めていく新しい門出となってくるのです。
 普賢さまは、この華厳経の中だけではなく、その他いろいろな経典の中にも現れてきますが、中でも法華経に説かれる普賢さまは、私たちにとっても頼もしい菩薩として登場します。法華経二十八品のうち最後の普賢菩薩勧発品の中で、普賢さまは「仏滅後の濁悪の世の中で、もし救いを求めてこの経典を望む者があれば、私は六牙の白象王に乗ってそのところに現れ、その人々を護り心を安じさせよう」と誓います。つまり普賢さまは法華経を受持し、その教えのもとに精進するものがいれば、その者を守護する菩薩として現れるのです。

 さらに観普賢菩薩行法経では、普賢さまは善財童子のように真理を求める者に対して、自分の身に積もったもろもろの罪、そして人間として生きていく限り犯さざるを得ないあらゆる罪障を、心から反省する、つまり懺悔することを人々に勧めます。私たちがこの世で真理を求めて生きていくその根底には、厳しい自己反省が必要不可欠であることを説きます。これを受けて中国天台宗の開祖である天台大師は、この世の真実の姿をみる修行の一つとして法華三昧を説きます。これは普賢三昧とも呼ばれ、道場で懺悔を主にする行をしていると、普賢さまが六牙の白象に乗って現れ、私たちが悟りに至るための励ましをしてくれるという信仰からきたものです。

 普賢菩薩さまは、十三仏の四週目の仏さま。また、文殊さまと共にお釈迦さまの脇持仏でもいらっしゃいます。
合掌
平成27年4月1日


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