住職の独り言」・・・・その123

 皆様いかがお過ごしですか… 5月は高温少雨で、当地方の農家の方々、特に野菜を栽培しているかたは、大変困ってい ます。しかし、これも自然現象ですので、なんとも仕方ありませんね。
 それに加えて、箱根や浅間山など各地の火山がなんとなく不穏な動きをしております。先日は、当埼玉県北部を震源としたやや大きな地震もありました。日本列島全体の地下で異変が起きているようです。歴史に残るような大災害が起きなければいいなと、念じております。

 さて、今月は、ある意味日本中の方が知っている仏さま、帝釈天(たいしゃくてん)についてお話してみたいとおもいます。
 昨年、熊谷市仏教会の研修で、映画「寅さん」で有名な柴又の帝釈天さまを、初めてお参りさせていただきました。江戸川沿いの入り込んだ民家の間にある題経寺さんというお寺です。四天王の中の増長天(ぞうちょうてん)広目天(こうもくてん)をお祀りした、格調高い二天門をくぐると、左側に、これまた立派な木造の帝釈堂があります。
 ご本尊様は拝めませんでしたが、畳敷きの広い外陣にしばらく坐っておりますと、帝釈天さまのご利益でしょうか、僧侶の小生でも心が安んでまいりました。その後、お寺の僧侶にご案内いただき総欅造りのお堂を拝観。外壁は一面、木彫りの法華経説話が彫られていました。また客殿の床の間には日本一を誇る、樹齢1500年と伝えられる南天の床柱がありました。
その後は、お決まりの寅さんの門前の家並みと、寅さんのお団子を満喫してまいりました。

 話がとんでもないほうへ反れてしまいました。本筋へもどし、帝釈天さまについて考えてみましょう。
 まず帝釈天さまが住んでいる場所から始めますと、仏教の宇宙観では、その中心に須弥山(しゅみせん)という恐ろしく高い山(8万由旬(ゆじゅん)、80万km)があって、その頂上に喜見城(又は善見城)という居城があり、ここが帝釈天さまの住んでいる所です。廻りには三十三天が住む宮殿があって、その城は七重の造りという、大変立派なお城のようです。帝釈天さまは、この三十三天の王として君臨します。
 もともとインド最古の聖典『リグ・ヴェーダー』における最大の神で、ライテイ神の性格をもち、理想化されたアーリヤ戦士の姿をしている英雄神であり、とても力が強いことで知られています。後に仏教に取り入れられて、梵天と共に仏教を守護する護法の善神となったのです。
 仏教の善神として取り入れられた理由は、帝釈の釈は百に通じ、昔生活に苦しみ、なにも食べられない人々に100回も大施会(ほどこしの食事)を設けたことによるもので、これを「一百遍大無遮施会(いっぴゃっぺんだいむしゃせえ)」といいます。
 またこの天は、人々の善悪を主宰する神として信ぜられておりますが、
長阿含経(じょうあごんきょう)』というお経 には、月のうち3日、8日15日を三斎の日(特に仏教の戒律に従って生活する日)と定めて、これに反した人は、善法堂にいる帝釈天さまに報告されます。
 報告を受けて帝釈天さまは次のように申しました。
 もし世間の衆生(我々)の悪が多く、父母に孝せず師長を敬せず、斎戒を修せず、貧乏の人々に施しをしないことを聞くならば、善神たる諸天衆が減損してしまい、悪神たる阿修羅(あしゅら)衆の増益となって、これを愁うことになる。又これらが反対であれば、皆大いに歓喜するであろう。

 ここに出てくる阿修羅との間には、おもしろいお話があります。
 阿修羅は血気さかんで、闘争を好む鬼神の一種として知られていますが、元来は善神でありました。
 阿修羅には舎脂(しゃし)という、めっぽう美しい娘がおりました。阿修羅には自慢の娘で、やがて帝釈天に引き合わせて、嫁入りさせようと考えておりました。ところがある時偶然にも、舎脂と帝釈天さまが出くわしてしまったのです。帝釈天さまはあまりの美しさに妃にすべく、そのまま連れて喜見城に帰ってしまったのです。
 ここから阿修羅と帝釈天さまは犬猿の仲になったのでした。阿修羅は度々喜見城を攻めたてます、天の王たる帝釈天さまには、かなうはずもなく、毎回退散させられました。その後舎脂には子供が授かり、父親である阿修羅に会わせるために、そっと喜見城を出てゆくというお話に続きますが、ともあれ、阿修羅の娘は大変美人であったらしいのです。

 国内で見られる帝釈天さまのお姿は色々ですが、長い袖の衣を着た、端正な顔容をしており、その衣の中には鎧が見えかくれして、悪人を力強く罰する姿勢は、くずしておりません。仏教を心から信奉し、帰依する人々に対しては、全力を持って守護し、導いてくださるのです。
 柴又の帝釈天さまの門前で育った寅さんは、人々に施しをすることがとても好きでした。(おのれ)を忘れて他を利することに徹した寅さんの生き方に多くの人々が感動させられましたが、これも帝釈天さまの教えなのです。否、映画の作者は、帝釈天さまの生まれ変わりを描きたかったのかもしれませんね。

合掌
平成27年6月1日

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