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住職の独り言」・・・・その126![]() この季節、とかく夏の疲れが出て体調を崩しやすいですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 さて、今月は吉祥天という仏様についてお話してみたいと思います。 吉祥とは字のごとく、めでたいきざしとか、よい前兆という意味ですので、吉祥寺あるいは吉祥院といったお寺が全国に数多くあります。この場合は「きちじょう」と読みますが、仏さまとまりますと「きっしょう」と読んでおります。私たちに吉祥を与え、幸福を授ける女神です。 数多くの仏さまを大きく分類しますと、釈迦如来に代表される「仏部」の仏様たち、観世音菩薩のような「菩薩部」の仏様たち、お不動様が所属する「明王部」の仏様たち、そして今回の吉祥天のような「天部」の仏さまたちと、四つに大別することができますが、「天部」の仏さまたち以外は、どちらかというと、私たちを救ってくださったり、仏法を守護してくださる勇壮な男性としての仏さまがほとんどでした。もちろん仏さまですから男女を超越した存在ではあります。しかし、観音様の中には「多羅女神」から転化した女性的な、仏さまもおりますが、日本において明瞭な形で女神としては表現されていないのです。 しかしながら今回のような「天部」に属する仏さまに目をむけますと、「弁財天」「伎芸天」「鬼子母神」など多くの女性の仏さまがいらっしゃることに気付きます。 やはり「天」には天女のような美しい女性がふさわしいのでしょうか。 インドでは一般に神々のことを「ディーバ」といいますが、訳しますと「天の」とか「天空にある者」という意味で、漢訳仏典では「天」と訳されます。ですから、「弁財天」「帝釈天」などというときの「天」は「神」の意味になります。インド最古の聖典であります『リグ・ヴェーダ』以来、多数の神々を拝んできましたが、それらの一部は仏教のうちに取り入れられ現在でも熱心に信仰されております。 今回の「吉祥天」もやはりインドの「神」であります。「吉祥天」はシュリー・デーヴィーの訳で、シュリーは「幸運」を、デーヴィーは「女神」を意味します。幸運の女神シュリーはまた、ラクシュミーとも、マハー・デーヴィー等と呼ばれたり、蓮の花を手に持ったり、その上に立っていることからパドマー(蓮華女)などとも呼ばれました。このシュリー・ラクシュミー女神は、ヒンドゥ教の主神ヴィシュヌ(仏教では毘沙門天)の妻です。 古代インドの大部の叙情詩『マハーバーラタ』によりますと、この女神は大海より出現したとされます。 この物語によりますと、太古、神々は不死の飲料アムリタ(甘露)を得るために亀王の背にマンダラ山をのせ、その山の周囲に大蛇を巻きつけ、両端を阿修羅たちと共にひっぱって、大海を攪拌しました。海から太陽や月が生じ、白衣をまとったシュリー女神も生じたといいます。ヴィシュヌはこの女神を妻にしたというものです。 インドで仏教経典に組み入れられ中国から日本に伝わってまいりますと、奈良時代には、東大寺、法隆寺、薬師寺といった南都六宗の寺々にも多くまつられるようになります。そのお姿は、豊な肉体を裾長い衣服でまとい宝冠をかぶって、ふっくらとしたそのお顔立ちは、まさに唐代の貴婦人を思わせるものです。右の手は下に下げて施無畏印の形をとり、左の手には宝珠を捧げて、蓮台に立ち、又は座しています。 『金光明最勝王経』等の記述に従って、稱徳天皇は神護景雲元年(767年伝教大師誕生の年)に勅を発し諸国の国分金光明寺において七日間のあいだ、吉祥天を本尊として日頃の罪過を懺悔すると共に、天下泰平、五穀豊穣を祈願する「吉祥悔過法」の行法を行わしめました。この功徳によって、風雨は時に順い五穀は成熟し万民は快楽し十方の有情は等しくこの福を授かったとされます。 『金光明経』にはこの経を読誦して、諸仏世尊及び天女を供養すれば、皆満足を得ると明されております。
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