住職の独り言」・・・・その140

 お寒くなりました。
 早いもので、今年もあと一カ月となりました。今年は、秋が短く、いきなり冬になってしまったようです。当地方も11月に積雪があり、ビックリしました。これから本格的な冬に向かってどうなるのでしょう。気象情報では連日、半月から一カ月先の気温、と言っております。
 関係はないかもしれませんが、天候が不順ですと、人の心も荒れてしまうのではないかと思われてしまいます。

 さて、今月は歴史上に名を残していませんが、天台宗にとって偉大な功績を残された名僧をご紹介させていただきます。
 平安時代の初め延暦23年(804)、伝教大師さまは天台の法門を学ぶため、弟子の義真さまをっ通訳に伴い、命がけで海を渡って中国に行きました。その義真さまは後に初代天台座主になりました。
 伝教大師さまは中国での修学でたくさんの成果をおさめて帰国しましたが、その間、天台大師智顗禅師の拠点で天台の教えのふるさと、天台山国清寺の中に一堂を建てたのでした。それは、後に弟子達が中国に来て勉強できるように、という願いからです。

 こうした伝教大師さまの遺志を継いで、最初に中国に命がけで渡ったのが、後に第3代の天台座主となる慈覚大師円仁さまです。円仁さまは承和5年(838)に第17次遣唐使船で入唐したのですが、その時もう一人の天台僧、31歳の円載さまも一緒に中国に渡ったのでした。すでに高度の仏教研究を済ませている僧が短期間中国で勉強する請益僧としての入唐でした。他方、円載さまは長期間中国で勉強する留学僧として中国に渡ったのでした。円仁さまは、その著『入唐求法巡礼行記』に記されているように天台山行きを許されず、唐朝廷から帰国を命じられましたが何とか中国に留まり、約10年の巡礼行の末に多くの成果を携えて帰国し、天台宗を大成させた高僧として有名です。円載さまは、ともすればそうした円仁さまの栄光の蔭に隠れてしまいそうな存在です。しかし円載さまも伝教大師さまの遺志を継いで、中国でひたむきに修学に取り組んだ日本天台僧だったのです。

 円載さまは、和州(現在の奈良県)出身で、幼くして伝教大師さまの弟子となりましたが、弟子の一人としてとうとう師の期待を実現する時が来たのです。円載さまは留学僧として天台山で修学することと、5年間食糧などを給することを唐朝廷から許可され、天台山に向かったのです。その時、帰国を命じられていた円仁さまから大事な文書を託されました。それは比叡山の天台僧たちの法門上の疑問をまとめたものでした。円載さまは天台山の天台僧から決答を得て日本に伝えるという大切な任務を円仁さまからまかされたのです。天台山を代表する学僧の広修さまと維蠲さまの決答を受けた円載さまは、すぐさまこれを比叡山に伝えました。また、聖徳太子さまの『法華経義疏』や仁明天皇の皇后さまから託された衲袈裟を天台山に納めました。その後は留学僧として研究精進する他、維蠲さまの下でまだ比叡山に伝わっていない法門の書写などに専心したのでした。

 しかしその後に不運が待っていました。「会昌の破仏」です。道教に狂った皇帝の武宗は、仏教をはじめ、キリスト教、ゾロアスター教、マニ教など道教以外の宗教をすべて弾圧したのです。当時、都の長安にいた円仁さまも還俗させられて追放され、帰国を求めて二年間も各地を流浪しなければなりませんでした。全国の寺院が破壊され、260,500人の僧尼が強制的に還俗させられて寺を追われた時、天台山の諸寺も例外ではありませんでした。外国僧であった円載さまも還俗させられたのでしょう。後に入唐した智証大師円珍さまは、円載さまが天台山近くの町で還俗させられた女性と畑を耕し、蚕を飼って暮らしていたと伝えています。しかし唐の朝廷からの援助もなくなった中、異国で生き延びるためには他にどんな方法があったのでしょうか。当時の状況を知らない円珍さまは批判的ですが、中国の還俗僧や還俗尼僧もこうした生活をしていた例が多かったといいます。

 嵐のような破仏が終わると、ふたたび円載さまは求法活動を再開します。まず円珍さまを案内して天台山から長安に行き、一緒に清涼寺の法全さまから金剛界と胎蔵界の灌頂を受けました。円珍さまが帰国した後、入唐してきた真如法親王さまの求法活動のために尽力したり、皇帝の宣宗に召されて仏教の講義をして紫衣を拝領するなどの活躍をしたのでした。
 こうして入唐から39年後の乾符4年(877)、すでに70歳の老境にありながら円載さまは、それまでの求法活動の成果である数千巻の仏教書と儒教書をたずさえて李延孝の船で帰国の途についたのでした。しかしなんという不運でしょうか、逆巻く波涛の中で船が大破して沈没、すべての乗船者とともに円載さまは大海のもくずとなってしまったのです。文字どおり、命がけの入唐求法でした。しかし生前に比叡山に送った決答や書写した経論は、後の日本天台仏教の礎になったのです。






合掌
「中国に渡った日本天台僧 -円載さま-」

平成28年12月1日











 今年も一年間、お付き合いいただき誠にありがとうございました。
 良くも悪くも、新たな年を迎えることができる、ということは有り難いことでございます。
 明年 平成29年が皆様にとって幸多き、充実した一年になりますように、ご祈念いたしております。
 では、みなさま良い年をお迎えくださいませ。           合掌九拝

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