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住職の独り言」・・・・その143![]() 冬の寒さもようやく峠を越したようで、当山の境内も、あちらこちらで、春の気配を感じられるようになってまいりました。小生もそろそろ冬眠から覚めなければ・・・ 月日の経つのは早いもので、つい先日まで年末の慌ただしさ、新年のお屠蘇気分によっていたと思ったら、もう弥生3月。 3月と言えば、卒業のシーズン。卒業といっても学校からの卒業だけでなく、色々な卒業がありますよね。そして少し早いですが、4月になれば入学。物事の新しい始まりです。 さて、今月は昨年12月に続き、中国へ渡った天台宗のお坊さんのお話です。 平安時代の中頃になっても、中国に渡る日本の天台僧たちは沢山いました。その中に寂昭(寂照とも書く)という僧がいました。 大臣・納言につぐ重職の参議に任じられた大江斉光の子として生まれた寂昭さまの出家前の名は、大江定基といいました。詩文にすぐれた文人としても知られていた定基さまは、三河守(現在の愛知県東部地方の長官)として現地に赴任している時に最愛の妻に先立たれという悲哀を味わいます。この世のはかなさを知ったことをきっかけに出家した定基さまは、寛和2年(986)に名を寂昭と改めて、寂心さまの弟子となりました。 寂心さまは出家前の名前を慶滋保胤といい、『日本往生極楽記』や『池亭記』など、平安時代を代表する漢詩文の大家として高名な人でした。『往生要集』の作者として有名な恵心僧都源信さまの下で修行に励まれました。寂昭さまもまた源信さまの下で修行されると同時に、諸国を巡歴修行して三河聖と呼ばれるようになりました。 師の寂心さま亡き後の長保4年(1002)、寂心さまは中国の仏教霊場として名高い五臺山巡礼を思い立ち、朝廷に渡宋の許可を願い出ました。6月18日に都を出立することが決まると、それ以前に寂昭さまから受戒したいと願う多くの人々が身分の上下を問わずに寺に押しかけました。寂昭さまのような優れた僧が日本からいなくなることを人々は惜しんだのです。この寂昭さまが母の逆修のために法華八講を催した時のことを、『続本朝往生伝』は、「この日だけで500人の出家者がおり、女性などは自ら髪を切り、牛車から講師に差し出して受戒を求め、寺のまわりは聴聞の人々で垣をなし、読経や説教に皆涙をながした」と記しています。 8月に九州を船出した寂昭さまは9月に明州(現在の寧波)に上陸します。そして翌年9月、源信さまから託された天台教学上の27の疑義「台教問目27条」を、宋代の天台の碩学、四明知礼さまに提示して答釈を求めたのです。知礼さまは寂昭さまを賓客として遇する一方、じっくり時間をかけて答釈を作りました。 ようやく答釈ができたので、これを持って帰国しようとしたところ、謁見した時に一目でその人格に惚れ込んでいた丞相(宰相と同意で、皇帝を助けて政治を行う最高官)の丁晋公さまから懇願されて宋地に留まることになり、答釈は丁晋公さまの臣下の者が日本に届けることになりました。こうして寂昭さまは、丁晋公さまが姑蘇(蘇州)に建てた呉門寺に住むことになったのです。 当時の宋朝は、積極的な対外政策をすすめていましたが、日本とは正式な国交が途絶えていて情報が不足していました。そうした中にあって、寂昭さまは日本の国情を広く伝える役目も果たされていたようです。宋朝の正式な歴史書『宋史』の中には「日本国伝」という一項がありますが、ここには宋朝の楊億から受けた日本に関する質問に、寂昭さまが答えた内容が書かれているのです。ちなみに楊億は、寂昭さまを「仏教はもちろん、その他の学問にも広く通じた人物である」と評しています。その寂昭さまは、自分の中国巡礼記の『来唐日記』を遺しましたが、散逸して現存していないのは残念なことです。 その後、皇帝の真宗に拝謁した寂昭さまは重用され、蘇州の僧禄司(僧官の長)に任命されました。蘇州の近辺は、盛んに法華懺法などが修される天台系の寺院が多数ありました。そうした中にあって、寂昭さまが報恩寺内に普門院という一つの堂を建立して修行をはじめると、そこから人々の信仰の輪が広がって皇帝も注目するところとなって、やがてこの寺は多くの堂塔を擁する広大な寺院となり、報恩寺と甍を並べるようになったのです。三十数年後にここを訪れた日本天台僧の成尋さまは、普門院の偉容に驚き、その中の円通大師影堂で寂昭さまの画像を拝した時の感激を「悲涙感喜」と記しています。 寂昭さまはついに帰国することなく、宋の景祐元年(1034)に73歳でその生涯を閉じられ、皇帝からえん円通大師の大師号を賜与されました。ゆかりの普門院は寂昭さま創建時は報恩寺の一堂でした。その報恩寺の北寺塔(旧称、報恩寺塔)が現存しています。塔そのものは南宋の紹興年間(1131~62)に再建されたものですが、水の都として知られる名勝の蘇州を訪れる時には、寂昭さまを偲んで北寺塔を訪れたいものです。
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