住職の独り言」・・・・その144


 各地から、春の訪れをつげる便りが届くようになりました。当山の境内も、木々の芽吹き、春の花の開花、冬眠していた小動物の活動など、日々目を楽しませてくれております。皆様の周りではいかがですか。新年度の始まりで、何かとお忙しい時期ではありますが、こんな自然の営みに目をむけていただくと、ほっとして心癒されるものです。

 さて、代表的な仏教用語で、『生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)』という言葉がございます。ご存知の方も多いと思います。今日は、この『会者定離』についてお話ししてみましょう。
 親鸞聖人の歌に「会者定離ありとはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりけり」というのがあります。 出会った者には必ず別れがあるということです。このことに異議をとなえる人はいないでしょう。この別れの中で人々はどれだけ多くの涙を流してきたことでしょうか。

 お釈迦様は、「今まで人が愛する人との別れの中で流してきた涙と、大海の水とどちらが多いであろうか」と弟子たちに質問したそうです。その時に「愛する人との別れに流した涙の方が多いとおもいます。」と答えると、お釈迦様はたいへん満足されたそうです。
 これはひとつの喩ですが、いかに人間は多くの人々と別れてきたかということを示したものでしょう。お釈迦様の説いた八つの苦しみの中には「愛別離苦」と示されているのです。

 人生は出会いの素晴らしさにつきる、と言われることがあります。しかし、その出会いは必ず別れをともなったものなのです。「出会いによって人生は豊かになり、別れによって深くなる」という言葉もございます。
 私たちは成長するにしたがってさまざまな人々に出会います。幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学、そして社会で多くの人々と出会いを果たす。その中で人はさまざまなことを学びます。その学びが人を豊かにし、これが出会いの素晴らしさです。まして、素敵な人との出会いは生きる喜びを与えてくれます。この人と一緒にいたい、生涯を共にしたい人との出会いによって結婚という道に進むこともあります。
 しかし、その素晴らしい出会いが、別離によって切り裂かれることもあります。寺の住職という立場上、この悲しみを数しれず見てまいりました。子供を失ったご両親、つれあいをなくして生きる気力をなくしてしまった人など、千差万別です。出会いの素晴らしさは、別れの悲しみをそれ自身のうちに包み込んだものなのです。

 さきに、「別れは人生を深くする」と言いました。どういうことでしょうか。ある女性は30代後半の時、つれあいを病気で失いました。余命6ヶ月と宣告されてその女性はあわてました。色々な宗教の門をたたきましたが、残念ながら亡くなってしまいました。
 新居を建設中であった彼女は「家などいらないから何とか助けたい」と考えたそうです。しかし、思いはかないませんでした。お通夜の時、僧侶が、「人間の思いはなかなか遂げられない。どんな愛おしい人であっても思うように助けることもできない。無力なものです。私たちはこの身の事実に目覚めて生きていかなくてはならないのです。」というようなご法話をされたそうです。

 一生懸命聞いていたものの、それが受け止められない。納得できず「それにしてもなぜ私のつれあいがしななければならないのか」という思いで一杯だったという。誰もがこのような思いを抱くのではないだろうか。ある人は「それほど悪いことをした覚えがないのに、なぜこんなことが起きるのか」と言いました。
 これらのことは、私たちの思いをはるかに超えたところで起こるもので、悪いことをしても、しなくても悲しいことは起こります。それを受け止めるしか他に道はないのです。
 つれあいを失った先ほどの女性が、七回忌の法要の時にこう言われたそうです。「あの人が亡くなったおかげで、人生というものがどのようなものなのか、ということが少しわかったような気がします。」
 もちろんつれあいが亡くなってよかった、というものではないのです。大事な人が亡くなって、始めて大切なことに目を開かれた、と言っているのです。それまで6年の歳月が必要であったのです。この女性は素晴らしいと思います。たった6年でこの大切なことに気づき始めたのです。そこから彼女の仏法への学びが始まった、ということです。

『会者定離』
 相会う者も必ず離れなければならない、ということを身近に経験して彼女の人生はより深くなったのです。大切な方を失って、その時は涙にくれていても、時間の経過の中で次第に悲しみは薄くなり、亡くなった方の命のメッセージを受け取ることなく、過ごしてしまう人の方が多い中、彼女は素晴らしい人生を送ることでしょう。
 人間は出会いと別れを繰り返してきました。そして人間は、人類の誕生とともに命の別れの中で多くの涙を流してきました。悲しいときは涙を思いっきり流せばいいのです。そして涙が止まった時、その涙の意味を問いかけてみましょう。なぜ人に別れがあるのか。それは出会いが因となっていることに気づくでしょう。別離の時まで、その出会いを大事に育んでいきたいものです。

合掌
「会者定離」

平成29年4月1日

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