住職の独り言」・・・・その155

 みなさまこんにちは。
 先月から、人生の新たなスタートを切った皆さん。新しい環境に慣れましたか。それともなじめず別な道を模索していますか。どちらにしても他人のことではありません。自分自身のことです。今自分の置かれている環境は、他人がつくりだしたものではありません。自分が望んで飛び込んだもの、あるいは自分自身で作り上げたものです。自分で対処していくしかないのです。他人のせいにしたり、他人任せにしていたのでは、何の解決にもなりません。助言、手助けをしていただくことはよいことですが、最後は自分自身の問題であることを忘れずに。
 さまざまなことで下を向いている方、何はともあれ顔を上げて、真っ青な空、生気に満ちた新緑の木々の葉をみてみましょう。必ず、自分の周りが違って見えてくるものです。

 さて、昔からよく言われてきたものに「女性は、幼にしては親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う」という、いわゆる「三従の教え」と呼ばれるものがありました。
 こんなことを言うと、男女同権が主張されている現代の世の中から、それこそはじきとばされてしまいますが、少なくとも千数百年にわたって、昭和20年8月15日の、第二次世界大戦終了日までは、厳然として日本の社会の中で教えられ続けてきたのです。
 もっとも、こういう観念は、何も日本だけにあったわけではないようで、古今東西を問わず、近代になるまで、地球上のあらゆるところで存在していたのです。

 実をいいますと、日本における嫁と姑の問題の根本原因は、こういた三従の教えにあったように思われます。人間である以上、だれだって一生の間自分が従わなければばらない相手ばかり持っていては疲れてしまうでしょう。
 かつての日本女性は、どこかに自分が従わなくてもよい、いや、自分が逆に従わせることができるような存在はないかと、必死になって探したにちがいありません。その結果、自分の子に従わなければならないけれども、その子のところに嫁いできた嫁に従う必要はない、ということに気がついたのでありましょう。そこで、いわゆる「嫁いびり」なるものがはじまったのではないでしょうか。
 それは、子供のころから誰かに従わなければならなかった女性が、齢を取った時に、やっと従わなくてもよい相手を見つけたのでありまして、それこそが嫁であったのです。
 だからこそ、かつて日本文学の中では、常に姑の嫁いびりの問題が取り上げられてきましたし、現実社会の中でもどれほど多くの家庭内で、姑のために泣かされてきた嫁がいたか数えきれなかったくらいなのです。

 第二次世界大戦後、日本社会は大きく変わりました。それまでの価値観の大部分は崩壊し、しかも、色々な理由によって、社会全体が核家族化して、姑と嫁とが同居する割合は極めて小さくなってしまったのです。たとえ姑と嫁が同居している場合でも、勢力関係は逆転し、嫁の姑いびりがはじまってしまったのです。
 それでは、もはや「老いては子に従う」といった人間関係は、現代では何の意味も持たないのでしょうか。いやそれどころか、おそらく現在すでに姑と呼ばれる状態にある人たちに言わせると、「私たちは充分子供だけでなく、嫁や孫にだって従わされているじゃありませんか。これ以上どうやって誰に従えというのですか」ということになるかもしれません。
 しかしながら、やはりわれわれは、この教訓を守り続ける必要があるのではないでしょうか。高齢化社会といわれるようになってから久しいのですが、すでに老齢期を迎えた老人が、「今の若い者が言ったりやったりしていることはなっとらんよ。自分たちが若いときには、もっともっとましだった。あんな連中の言うことにしたがっていたら、社会全体が堕落してしまうだろう。彼らこそ、我々の言うことに耳を傾ける必要があると思うよ」などと言っていては、いつまでたっても社会の中の平和は訪れないでしょう。
 よく考えてみると、我々がまだ若かったころには、年取った人たちから、前述の言葉と同じような、「今どきの若い者の言うことや、やることなんかに従えないよ」と言った意味の小言を常に言われてきたのではなかったでしょうか。
 歴史は繰り返す、と言われますが、若者と老人の間には、常にある程度の心の闘争は存在するのです。

 たしかに、親にとってみると、子供というものは、どんなに大きくなっても子供ですから、その子が言うことややることは、危なっかしくて見ていられないものなのです。
 このことは、自分が子の親になってみるとよくわかるのです。
しかしながら、子の意見を全く聞かずに、自分の我ばかりはって、自分の意見だけを主張しているようでは、ますます親と子の心が離れて行ってしまいます。
 親というものは、いつまでも生きていられるわけではないのですから、いずれは子供をこの世に残して死んでゆかなければならないのです。
 それならば、その子の意見もよく聞いて、親として子としてお互いの立場を尊重しながら、なすべき役割を分担していくほうが家族全体にとってみてもよいのではないでしょうか。
 そうすれば、老いた親は、家族にとってよいおじいちゃん、よいおばあちゃんと感じられますから、自然に大切にされるようになるのです。


合掌
「老いては(すなわ)ち子にしたがう」

平成30年5月1日


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