![]() いよいよ師走に入り、今年も残り少なくなってきましたネ。 当山でも、本格的に初詣の受け入れ準備が始まりました。 当山にお祀りしている「元三大師さま」は、霊験あらたかな厄除のお大師さまです。 元三大師さまとは、天台宗第十八代座主、慈慧大師 良源さまが永観三年(985)正月三日に、74歳で遷化されたご命日にちなんで、親しく元三大師と申しあげるのです。 元三大師さまは、天台座主として平安時代の末に、荒廃した比叡山を復興し、僧侶の規定を整備するなど、天台宗をふるいおこすとともに、奈良仏教の学僧と対論してだれもが仏になれるとする、一乗仏教を確立しました。 また、偉大な密教修行によって霊験を得られ、多くの人々の苦難を救われた数多くの例が伝わっています。 比叡山の北の峯にある横川を開かれたのは、第三代座主慈覚大師円仁さまですが、そのあとを慕って元三大師さまは、横川を本拠として活躍されました。横川には御廟(みみょう)と呼ばれる元三大師さまのお墓があります。比叡山では元三大師さまは、今でも生きていらっしゃるとみんな信じています。 元三大師さまに対する強い信仰は、角大師や豆大師のお札、全国の社寺にある元三大師さまが制定された「おみくじ」を通して、いよいよ盛んになっています。 角大師のお札は、厄除けのお札として、新年になると家々の門口に貼られます。二本の角、とがった耳、大きな目、あばら骨のすけて見える怪異な体、どう見ても魔物のように見えるこのお姿は、元三大師さまが魔物を降伏しているときのお姿を、お弟子さんが描写したものだと言われています。厄病をもたらす魔物の力があなどりがたいことを知った元三大師さまが、降魔の修法の力を持ってこれをくじき、力弱い人々を厄病の魔物から護ってやるために、みずからのおそろしい降魔の姿を写して配らせたものが、このお札です。 豆大師のお札には、九段にわたって三十三もの元三大師さまのお姿が並んでいます。豆粒のように元三大師さまが描かれているので、豆大師と呼んでいます。その昔、農民が深く元三大師さまを信仰し、比叡山の横川におこもりをしましたが、その留守に村が水害に襲われたのでした。しかし、篤い信仰にこたえられた元三大師さまが、三十三人の童子に身をかえて、その農民の田畑を護ったという故事によるものです。 このほか、眉目秀麗な元三大師さまのお姿に心を奪われた宮中の女官の前に、醜怪な鬼の姿を現わして、その執着を解かれたことや、宮中の修法では、ご本尊の不動明王とそっくりな姿となって、人々の信仰をたかめたという話しも伝わっています。 現在からすれば、常識を超えた不思議な話しと受け取られますが、そのどの話しも元三大師さまが、いたずらに霊験を競ってみせたわけではなく、修練を積んだ行法の力で、苦難にであっている人々をたちどころに救ってやろうとする、大きな慈悲心のあらわれであるといえるでしょう。 元三大師さまは、仏さまが姿を変えて現れた権者であるといわれます。私たちはその威大なお力を素直に信じて、その大慈悲心にまずつつまれることが必要です。そのうえで、不足・不満・不安を正直に吐露してみたらよいのです。心願が無理からぬことであれば、かならずかなえてくださいます。利己的で過分な願いであったなら、厳しくたしなめてくれるはずです。 ご利益は、心身をととのえ、さらに本当の仏の教えのなかで向上していく、基盤をつくるためにもたらされるのです。元三大師さまに対してみずから恥じない人、前向きに生きる人にその慈悲の手がさしのべられます。 皆様も、新しい年を迎え、初詣におでかけになりましたら、元三大師さまを思い浮かべ、無心でおみくじをひいてみてください。 では、少し早いかもしれませんが、今年もお付き合いいただき有り難うございました。来年もよろしくお願いいたします。 来る年が皆様にとって幸多き年となりますよう。また、世界中の人々に平和が訪れますよう祈念しつつお別れいたします。
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