「住職の独り言」・・・・その33
朝夕は、だいぶ秋の気配が漂ってまいりました。しかし、日中の日差しはかなりきついものがあります。
夏の疲れが出て、体調を崩されている方はおりませんでしょうか。小生は、お蔭様ですこぶる元気に過ごさせていただいております。
先月のこのページで、「天台宗開宗1200年慶讃大法会」の期間を 平成16年度〜20年度まで とお話しましたが、[平成15年度〜19年度まで]の誤りでした。暑さのせいで頭がボーっとしてたようで申し訳ありませんでした。お詫びをして訂正させていただきます。
今月は、“宗祖伝教大師最澄上人”についておしゃべりしてみたいと思います。
私たちが日頃読んでおります「観音経」の中に、次のような言葉があります。
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真観清浄観 |
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広大智恵観 |
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悲観及慈観 |
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常願常瞻仰 |
ここには五つの観という文字がありますので、観音様の五観の修行をあらわす言葉として有名です。
観音様はすでに仏さまになられていのにもかかわらず、私たち衆生の苦悩をすべて救いきるまでは、菩薩の位にとどまって、この五観の修行を続けていこうと決心されて、日夜私どもを見守り救いの手をさしのべておられるのです。
最初の真観とは、ものを正しく観ることです。この世のすべてのものは、縁によって成り立っています。縁とはその時々の条件とでも申しましょうか。水にしても気温が下がれば氷となり、気温が上がれば水蒸気となるように、これが水の実体であると決めることができません。即ちそれは「般若心経」で説かれている「空」の語で表現するしかありません。このように、すべてのものの本質を「空」なるもの、常に条件次第で変化する無常なるものとしてとらえる見方を真観といいます。
この真観を成就しますと、すべとのものに対する執着心がなくなります。すべてのものを清らかな思いでみることができます。これが清浄観です。
こうして執着の心、とらわれの心がなくなりますと、一切を平等にとらえ眺める、広く大きな智恵の心がそなわってきます。これが広大智恵観です。
この広大智恵観がそなわりますと、自己と他との隔たりが除かれ、他人の苦しみをわが身の苦しみとして、うけとめる心が出てまいります。これが悲観です。この悲観が心の中にゆきわたった時、それはおのづから、他人の苦しみを除いてあげなければならないという救いの行動にとうつっていきます。これが慈観であります。この五観の修行を未来永劫に続けておられるのが、観音様であります。
私たちは、この観音様の尊いお心を仰いで、私たちみづからも観音様にあやからせて頂こう、ただ観音様にお頼みするだけだなく、私たちも観音様の一分身として人々のため、社会のためにはたらかせて頂こうと誓いをたてねばならないのです。このことを「常に願い常に瞻仰すべし」とお経にはとかれているのです。
この観音様のお心に生きる人間(これを「菩薩」といいます。)になることをみづからも決意され、また同志のお坊さん方には勿論、日本全国の人々にもそうなってもらいたいと願われて、比叡山に修行の道場を立てられ、天台宗をお開きになったのが、わが宗祖伝教大師最澄さまです。伝教大師さまはこのお心を「山家学生式」の中で次のように述べられています。
「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。」「乃ち道心ある仏子、西には菩薩と称し、東には君子と号す。」「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。」と。
ここにいう「道心」とは、先の観音様の五観の中に示された願い、即ち覚りへの道を求め続けるとともに、人々の苦しみをわがものとうけとめて、衆生済度の行にといそしむ心をいいます。そのために伝教大師さまは「大乗戒」を提唱して、この戒のこころを日常にいかして、生ける菩薩として人々と共にこの国の平安を祈り行動されたのであります。
この伝教大師さまの広大な願いは、そのご存生の間には結実しませんでしたが、そのあとをつがれた慈覚大師円仁さま、智證大師円珍さまはじめ多くの高僧方によって立派に完成され、天台の教えは朝廷はじめ人々の救いの教えとして栄えたのです。
その一例として、明治になるまで代々の天皇陛下即位式に「観音経」の言葉が用いられ、この言葉を天皇陛下が守ることをお誓いになった事実をあげることができます。即ち代々の天皇陛下はみづから観音様になられることを、国家国民に宣言されたのであります。私はこの事実こそ、皇室に伝わる「無私」のみ心の源泉の一つをなしていると思います。このような教えを開き遺された伝教大師さまこそ、日本国民の心のみ親と仰がれてもよいのではないでしょうか。比叡山が日本仏教の母山といわれているのですから。
では皆さん、秋の夜長、虫たちの鳴き声に耳を傾けながら、積読になっている本のページを開いてみてはいかがでしょう。
合 掌 |
※文中の写真は住職が先日長野県善光寺へ行った際に撮影した「本堂」「参道・表参道」です。 |
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