「住職の独り言」・・・・・その4

こんにちわ

 ご無沙汰いたしました。
皆様如何お過ごしでしたか? 日々秋の色合いが濃くなり、標高の高いところから、紅葉狩りのニュースが届くようになりました。
 当山の境内もいつの間にか、夏から秋へと衣替えが進み、蝉の鳴き声に変わり、ムクドリやヒヨドリなど秋の鳥のさえずりで賑やかです。

 先日、お檀家さんのご法事の折、ご親戚の方から「ご住職のお寺のご本山は,宗旨は・・・?」と訊ねられました。そのお方の菩提寺は真言宗とのことで、色々両宗の比較などをしながら時間を過ごさせていただきました。

 わが天台宗は、今から1200余年前、伝教大師最澄さまによって開かれ、総本山は比叡山延暦寺であります。そのルーツはそれまた200年程さかのぼり、中国の天台山でお悟りを開かれた天台大師智(ちぎ)禅師におよび、この天台大師は中国の小釈迦と呼ばれた方で、仏教の源流お釈迦さまにつながっております。
 比叡山は、後の鎌倉時代新たな宗派を開かれた数多くの名僧を輩出し、日本仏教の母山と言われております。天台宗の教えの中心である「法華一乗」(ほっけいちじょう)とは、『法華経』を根本経典とし、密教・禅・戒律など全仏教を抱いており、後に慈惠大師良源(じえだいしりょうげん)や惠心僧都源信(えしんそうずげんしん)によってもたらされた念仏を含め、「四宗融合」と呼び、“すべての存在は本来仏である”という法華経の教えに融合する、と説いております。
 天台宗では本尊様は、『法華経』に出てくる一切の仏・菩薩・明王・諸天は久遠実成の釈迦如来と同一体であると考えられています
 つまり、釈迦如来以外他の諸仏も、釈迦如来が身を変えて現れた姿であるから、それぞれの本尊様は、他の諸菩薩でもよい、ということなのです。

 天台宗の教えの基本は、「教観二門」(きょうかんにもん)です
「教」とは、教相(きょうそう)のことで、天台大師智によって説かれた教えが中心で、お釈迦様が説かれた教えの相とはどんなものなのか真相を明らかにしようとすることです。
「観」とは、観心のことで、摩訶止観(まかしかん)に代表される観相行です。一般には「座禅」と呼ばれておりますが天台宗では禅と呼ばず「止観」と呼びます。これは悟りを開くための実践方法で止観とは精神を集中し、正しい智慧を掘り起こし、すべてのものごとを正しく観極めることです。天台宗の止観は、「法華経」の教えの実践なのです。
 
 天台宗の立場を具体的にあらわしますと、「朝題目 夕念仏」(あさだいもく ゆうねんぶつ)と言われます。
 朝のお勤めに『法華経』を読みお題目を唱え、夕のお勤めには『阿弥陀経』を読み念仏を唱えます。他宗の方々からすると、とても受け入れられるものではないことですが、天台宗ではごく自然に行われております。

 天台宗は古くから、日本仏教の根源をなしてきました。その教えは、日本仏教のすべてを包み込み、『法華経』に説かれている生命観・浄土観・自力・他力などすべてをふくんでいるからなのです。

合 掌
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