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「住職の独り言」・・・・その44 初秋の候 みなさまお元気であらっしゃいますか・・・ 夏バテなんぞでダウンしてる方はいませんでしょうな。 小生、今年の夏は例年になく忙しく動き回っていたせいか、暑さによる疲れは感じておりませんが、ここ数日筋肉痛が出てこまっとります。 ![]() 東南寺から帰って、3日間自坊でお盆の残務整理や、秋の諸行事の準備などをして月末29日からは、比叡山宿坊でのご詠歌の中央研修会に出講し、31日に帰宅。 最後の仕上げが、11日から2泊3日で天台宗開宗1200年を記念して、檀家の皆様70余名の引率をしての比叡山の参拝旅行です。参加者の取りまとめや、バスの号車振り分け、宿泊の部屋割り当、昼寝をしながら夜も寝ずにガンバってま〜す。 さて、前触れが長くなってゴメンナサイ。では、本題に入りますので心して舟をこぎながらご覧ください。 今月は十三仏の七番目の仏さま、薬師如来からはじめます。 薬師如来(やくしにょらい) 七七日(しちしちにち<四十九日・満中陰>) ![]() 四十九日という期間は、人間としての煩悩や感情や運命への恨み、あるいはお互いのしがらみも、そろそろ清算できるころというきかんのように思います。 薬師如来の願いは、人間の煩悩や迷いという病気を癒すことであります。辛い心を薬師如来の功徳にすがって癒されていきたいものです。とくに天台宗の本山延暦寺の根本中堂には、宗祖伝教大師さまが刻まれた薬師如来像が、ご本尊としておまつりされています。 どうぞ、悲しみも、辛さも、仏さまに任せ、仏さまの大きな心に包まれて、癒されていきたいものであります。 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ) 百か日(ひゃっかにち) ![]() その字のままに、人びとの生きるこの世のことは自由自在にお見通し。人びとから救いを求められれば、それがどんな状況であっても対応できるようにと、姿も形も必要な持ち物も(手が足りなければ千本でも)何でも用意して救いに来られるという、実に慈悲深い菩薩なのです。 観音さまは、阿弥陀如来の脇侍としての立場とは別に、「法華経」でも説かれており、単独でも信仰されています。観音さまのお住まいは、補陀落という霊地だとされ、中国や日本(熊野など)にその伝説の霊場が多くあります。 百か日のことを中国の言い方では「卒哭忌」といいます。嘆くことを卒業する日という意味であります。家族との死別は本当に悲しいことでありますが、悲しみが悲しみを再生して、人の心を愚痴にしていくようでありますと、かえって亡き人も安らぎの世界に落ち着けないでしょう。 『観音経』の中に「海潮音」という言葉が出てきます。海の潮鳴りの音ということです。海の潮の音は全てを包み込んでしまう大きな音です。小さな雑音は皆消えてしまいます。 苦しいときは観音さまを念じると観音さまに共鳴してその声は海鳴りのように大きく広がっていって、細かいこと、大したことでもないのに引っ掛かっていた感情など、すべてを許し包み込んでくれる大きな心に恵まれるのです。どうぞ、観音さまを念じてご先祖さまとお互いが共々海鳴りのような観音さまの心に包まれていきたいものです。 勢至菩薩(せいしぼさつ) 一周忌(いっしゅうき) ![]() この菩薩は単独で仏像になることは稀で、いつも三尊形式の中の一尊としておられます。その点で、単独で信仰される観音菩薩とは対照的な、地味な仏さまです。 越後の良寛さまの辞世の歌といわれているものに、 形見とて何か残さむ春は花 夏ほととぎす秋はもみじ葉 という和歌があります。 自分の生きた証は、この美しい自然の中にあるという意味でしょう。あるいはこの美しい自然に包まれていたら、いのちも心も心底落ち着いていけるというような意味にも受け取れます。 亡き人の人間味が、美しい形見として私たちに残されています。その想い出が私たちを支えてくれます。 勢至菩薩さまは、一切を包む光明でわけ隔てなく包んでくださる仏さまです。自然の美しさが私たちを包んでくれるように、仏の光明に包まれて安らぎに落ち着いていってほしいものです。
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