「住職の独り言」・・・・その45

 10月6日は仲秋の名月。世間一般に「十五夜」と呼ばれておるようでがんす。
今年は旧暦が少し遅いようで、今が昔ならまだ8月というわけですな。皆さん知ってました・・・
十五夜さまって8月15日なんですよ。
 普段はほとんど気にしてませんが、あらためてみると旧暦と新暦ではこんなに季節感が違うんですなあ~。
地球の温暖化で、ますますこの季節感の違いに拍車がかかっているようですし、新暦だけで比べてみても、季節がずれてるように感じるのは小生だけではないと思うのですが、いかがでがんす・・・?
 
さて、十三仏さまも残り四仏なりました。今月で打ち止め・千秋楽とさせていただきます。
それでは、皆さまよくご存知の阿弥陀さまから始めます。

阿弥陀如来(あみだにょらい)  三回忌(さんかいき)
 「阿弥陀如来」と呼んでも「阿弥陀仏」と呼んでも同じことで、それは他の如来についても同様です。西方極楽浄土におられます。そこで、この阿弥陀さまの名を唱えれば、極楽往生まちがいないというので、「南無阿弥陀仏」と念仏します。(南無とは信じるということ)
 この阿弥陀さまの浄土のことを説いた経典が『阿弥陀経』『無量寿経』『観無量寿経』の三つです。そこで阿弥陀如来は別名「無量寿如来」とも「無量光如来」とも呼ばれています。極楽浄土の教えを説く主ですから、仏教宗派的には「浄土教」の教主であり、その宗派の寺院では最も大切な仏さま(本尊)として信仰されています。
 また、阿弥陀さまは甘露王といい、仏さまのお説教の声を現しています。悲しみ、苦しみの中から、救いを求める人がいれば必ず心を慰めてくれる真実の言葉を聞かせて下さるのです。
 小さなお子さんを亡くされた母親が、後でおっしゃった言葉ですが、「この子は長らえて私に育てられる身でありながら、死んで私を育ててくれる。」と言っています。
母親としてこの子を育てる立場であったはずなのに、この子に死なれてみて、今では、この亡き子によって私は大きく育て成長することができたと言っているのです。
 この母親は、亡き子によって人生の真実を聞くことができたのでしょう。
 私たちも亡き人から学んで、仏心を育てていきたいものです。



大日如来(だいにちにょらい)  十三回忌(じゅうさんかいき)
 密教の世界での心理の根本ある仏さまが「大日如来」です。太陽の光がどんなところにも偏りなく届くように、宇宙の全体を統一する最高の仏さまです。
 この仏さまは悟りの智慧が完成して、宇宙虚空に充満していることを表しています。
 お経の言葉に、独生・独死・独来・独去 とあります。一人で生まれ、一人で死に、一人で来り、一人で去る、と書きます
 しかし、これは孤独という意味だけではないようです。独という字は独立独歩という字です。他の何ものにも比べられない尊厳あるいのちを生き死にしているのだ、という意味です。
 そういういのちの尊さは、太陽のように、大日如来のようにすべての人びとにいき渡っているのです。そのいのちを生き切ることが仏さまの智慧であります。
密教がよりどころとする経典は、『大日経』『理趣経』『金剛頂経』などがあります。

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)  三十三回忌(さんじゅうさんかいき)
 「虚空」とは、カラッポという意味ではありません。無尽蔵であること、広いこと、大きいこと、限りないことです。虚空蔵菩薩は、そのように広大無辺で無尽蔵の福徳と智慧を持った菩薩さまです。この仏さまを本尊として信仰し、その名を唱える修行法である「求聞持法」というのは、記憶力が増し、頭がよくなるものだそうです。弘法大師空海上人もその修行をしたといわれます。右手に智慧をあらわす宝剣、左手に福徳をあらわす蓮華(ハスの花)または如意輪珠(願いが思いのままにかなうという宝珠)を持っていますが、例外もあります。
 虚空蔵菩薩さまは一切世界は心の中にあるから、善も悪も、愛も憎しみも、迷いも悟りも、すべては「空」の悟りで包んでゆこうという仏さまです。
 かけがえのないこの人生での、尊い出会いと、いのちの繁がりを感謝の心で包んでいきたいものです。
合 掌

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