住職の独り言」・・・・その62

 皆様ご無沙汰いたしました。
いかがお過ごしでしょうか。時の流れは早いもので、今年も一月が終わってしまい、2月に入り寒さの中にも此処かしこに春の気配を感じられるようになってまいりました。 こうして近づく春の足音を感じられるということはありがたいことだとつくづく実感しております。

 2月と言えばお釈迦さまのご命日涅槃会です。2月15日の前後、各お寺さんではお釈迦さまのお徳を偲んで、法要など様々な行事が行われます。
当山でも、15日一日限りですが、本堂に涅槃図を掲げ、みなさまにお参りしていただけるようにいたします。

 さて、これは誰もが知る所ですが、仏教という宗教はお釈迦さまによって完成されたものと考えられております。お釈迦さま以前にも仏教という信仰はありましたが、近世では仏教=お釈迦さまというふうに定義づけられております。今月はそのお釈迦さまが涅槃に入られ、現世からそのお姿を隠された月ですので、仏教そのものの雑学についてお話してみたいと思います。

 まず仏教といえば、お寺ですよね。お寺って何なんでしょう。
 お寺の始まりはお釈迦さまの精舎だといわれています。つぎに、お釈迦さまを慕う人たちがお釈迦さまの舎利(お骨)をまつりそこが布教の拠点となりました。今では仏教を慕う人たちがお寺の周りでお墓を建てています。お寺の本来の目的は仏教を伝えるところ、仏法領として人々が集い、法を聞き、修行をするところなのです。だからこそ、ここに眠るご先祖様は訪れる子孫が教えに励み幸せな生活を送る様子を見て安心して眠れるというものです。
 
次に、お寺といえば檀家さんがつきものです。しかし、お寺によっては檀家さんを持たず、信者さんだけのお寺もたくさんあります。
 檀家の本来の意味は「檀―サンスクリット語でダーナ、布施・施しをする人」のことです。仏教信者は仏の道に入る修行法の一つとして施しをしなければならないという教えがあります。したがって広い意味で信者さんはすべて「檀家」なのです。また、日本ではお寺からお坊さんを通じて法の教え「法施」を受け、信者さんはそれに対して「財施」を施しますから、お寺は檀那寺あるいは菩提寺(願いをかけた寺)といいます。お寺に所属する信者さんはお檀家さんといわれることになります。
 
仏さま・ご先祖さまなどを拝む時に必ず合掌しますね。(時折、お寺の本尊さまの前で、手を打ってお参りしている方もおりますが・・・) 私たちは昔から、右手を仏さま、左手を自分に例えこの二つの手を合わせることによって仏さまと一つになれると言われてきました。乱れがちな心を一つにして二つの手を合わせ、心静かに仏さまを拝むことで私たちの命が仏さまに通うように思われるのが合掌の心です。両手をやさしくしっかりと合わせるのが基本ですね。仏様の前では神社と違いポンポンと拍手はしないようにしましょう。

 よく小生もお檀家さんや、参拝に来られた方に「ご先祖さまのたたりというものはあるのか?」と聞かれます。結論から言えばありません。たとえば皆さんもいずれは必ずご先祖さまになられます(早いか遅いかは解りませんが…)。その皆さんが自分の子供やお孫さんにたたるということが考えられるでしょうか。こうした考えが入り込む余地は私たちの心の隙間にあります。親孝行をしなかったとか、あの時こうしていればよかった、といった後悔や後ろめたさの気持ちに不安や恐れが結びつきます。いずれにせよ「親孝行したい時に親は無し」。悔いを残さない毎日を送りましょう。

 仏教の力で、亡くなった方の供養と両輪をなすのが、現世利益です。現世とは過去・未来に対するこの世のことです。無病息災・福徳円満などの願いが現世利益です。仏教は広い意味でこのような願いを聞き入れます。しかし、この世の中自分の利益と他人の利益が一致することは多くはありません。また自分の利益のみを願うことも仏教の精神からすると反します。仏教教義の根本となっているのは「縁起」の思想です。
 それは自分という存在は常にありとあらゆる人との相依相対の関係の中においてはじめて存在しているという考え方です。裏を返せば他人の幸福がないかぎり自分の幸せもないわけです。こうした立場に立って祈り行動すれば、ご利益は自他を分かたず必ずやって来るものです。

 もう一つ、「お坊さんのお布施が高い」ということがよく陰で言われています。これは現在、世の中で「お布施」の本来の意味が間違って解釈されているから言われてしまうということもあります。(確かに中には、小生もびっくりするようなお布施をされた方のお話しも耳にしたこともありますが…)
 読経をしていただいたお礼に差し上げるお金がお布施のすべてではないのです。布施には、財施(ざいせ)・法施(ほうせ)・無畏施(むいせ)の三種類があります。物のある者は物を、知恵のある者は知恵を、力のある者は力を、それぞれ自分にできる範囲で施しをするのが布施です。ただし、布施には大切な約束事があります。施したことに伴いがちな「・・・してあげた」というとらわれの気持ちをもたないことです。施した人の心と施された物と施しを受けた人の関係がお互いに何の負担もなく清らかであることが大切です。無畏=安らかな心 を施すことが最上の布施です。お寺に差し出すお布施は、法施と財施の施し合いと言えるでしょう。奪い合いの世界から与え合いの生活に入ることが仏教の理想実現の一つの手段だと思います。
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