住職の独り言」・・・・その63
 こんにちは。
記録的な暖冬といわれた冬将軍もお帰りになられたようで、春本番が近づいてきました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
 
弥生3月すべての生命が活動を始める季節です。
日本人にとって3月と言えば、桃の節句とお彼岸ですね。最近の若い方々には、卒業式・転勤など旅立ちの季節と言ったほうが身近でしょうか。
 小生は、これでも坊さんの端くれですので今日はお彼岸のお話をしてみたいと思います。ただお彼岸の話と言っても以前にもお話したこともありますし、皆さんもすでにお聞きになられた方も多いと思いますので、ここでは一般の皆さんからよく寄せられる質問にお答えする形でお話ししてみたいとおもいます。

お彼岸とはどんな日なのでしょうか?
お彼岸と言えば、思いうかべるのはお墓まいりですね。お彼岸の中日のテレビニュースでは各地のお墓まいりの映像が流されます。お彼岸はお墓まいりをする日にちがいありませんが、それでは答えになりません。
彼岸とは彼の岸のことで、向こう側の岸を意味します。向こう側の岸とは、迷いや苦しみ、煩悩のない浄らかな世界です。彼岸に対して、煩悩にさいなまれているこちら側の世界を此岸といい、私達の暮らしているこの娑婆世界のことをいいます。

彼岸の源吾はパーラミターという昔のインドの言葉と聞きましたが、
どんな意味があるのでしょう?
彼岸という言葉は仏教用語で、源吾はサンスクリット語のパーラミターです。これを漢字にしたのが波羅密多で、到彼岸を意味します。到彼岸とは、彼岸に到るということで、悟りの世界へ到ることです。
仏教では悟りの世界へ到るため、六つの徳目をあげ、これを六波羅蜜といいます。彼岸に到るための六つの乗り物と考えたらいいでしょう。
人生には様々な困難があります。この困難を川にたとえると、最も大きな川は人間がもつ煩悩という川かもしれません。その川を渡り人生の最終目標である彼岸に到れ、と仏教は教えているのです。お彼岸とは、あの世のことではなく、この現実の世界を理想社会にすることなのです。

お彼岸と先祖の供養はどんな関係があるのですか?
年間の先祖供養といえば、お彼岸、お盆、それに年回法要などがあります。お盆は年に一回、先祖が里帰りする日といわれています。
それに対してお彼岸はには、先祖の眠る墓地に出かけ、お花やお供物、読経、塔婆建立などによって先祖の供養をするのがならわしとなっています。
ひと口に先祖といいますが、時代を遡ると想像を絶するほどの数になります。菩提寺には代々の先祖が眠っています。お彼岸には墓参をして先祖に感謝をするのです。そして自分もよりよき人になれるよう願うのです。
「私が、今、ここに生きていられるのは、ご先祖様のおかげ」なのです。お彼岸はそれらのことを教えてくれる、日本独自の仏教行事でもあるのです。

お彼岸のお墓まいりは、なぜ大切なのですか?
なぜ功徳が大きいのですか?
お墓参りはいつしなければならない、という決まりがあるわけではありません。ただ、普段は日常の雑事に追われお墓まいりもままなりません。そこで、年二回、春分の日と秋分の日をはさんだ前後七日間に、仏教の修養を集中的に実践し、その意義を忘れないようにと定めたのがお彼岸の一週間です。
ところでお彼岸の初めを「彼岸の入り」、真ん中を「中日」、終わりを「彼岸明け」と呼びます。言い換えれば、かぎりある命を、どう生きたらよいかを教えているともいえます。
お彼岸の中日は、昼と夜の長さが同じことから、仏教の説く中道にたとえられています。中道とはかたよらない心のことでもあり、この日はお墓まいりには最もふさわしい日である、といえるのではないでしょうか。

先祖供養には、どんな意味があるのですか?
最近は、先祖供養を軽く考える人も多くなりました。しかし、先祖がいなければ今の自分もいないわけです。遡れば無数ともいえる自分の先祖の血は、どれほど薄くなろうとも自分には流れているのです。現在の自分のおおもとは父母、祖父母ですが、そのもとは、もっと先の先祖です。私たちはこの事実に気づき、先祖を敬い、その恩に感謝しなければいけません。お彼岸は、その絶好の機会です。

お彼岸は日本独自の行事といいますが、その歴史は・・・?
お彼岸はインドや中国にはない日本独自の仏教行事です。日本では、はるか遠い昔から太陽を信仰するならわしがありました。それを「日の願」とか「日願」と呼んでいました。それが彼岸になった、という説もあります。
今ではあまり聞かなくなりましたが、太陽のことを「お天道様」と呼びあがめていたのはその名残りといえます。このような太陽信仰と農業儀礼が仏教の教えと結びつき、現在の形になってきたのがお彼岸だとされています。
お彼岸の法要は、平安時代にはすでに行われていたことが、『源氏物語』の記述からもわかります。鎌倉時代には武士の間に広がり、一般民衆の間に浸透したのは江戸時代になってからのようです。お彼岸詣でや彼岸参りが盛んに行われるようになり、暦にも、春と秋の七日間と定められました。
明治11年、「春分の日」が春季皇霊祭、「秋分の日」が秋季皇霊祭とされましたが、戦後の昭和23年、国民の祝日となって現在に到っています。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、
どんな意味があるのですか?
「暑さ寒さも彼岸まで」よく聞く言葉ですね。昔の人はお彼岸の時期を「彼岸ふりわけ」と呼んでいました。なぜでしょうか。
春のお彼岸のころになると、厳しかった寒さもゆるみ春の気配を感じるようになります。また、秋のお彼岸のころになると、夏の暑さもやわぎ、涼しい秋の気配を感じるようになります。この時期は季節の境目にあたることがわかります。
とりわけお彼岸の中日(春分の日・秋分の日)は昼夜等分といって、昼と夜の長さが同じになります。この日は太陽が真東から上がり真西に沈む日であります。どちらにもかたよらないということから、仏教の説く中道の教えにかなう、とされてきたのです。

「今日 彼岸 菩提の種を 蒔く日かな」の、
種とはどんな種ですか?
私たちが生きているこの現世は、悩み、迷い、心配事が絶えません。だれもが静かに幸せに暮らしたいと願っていんます。そのためには仏教の教えが必要です。お彼岸はその絶好の機会です。
「今日 彼岸 菩提の種を 蒔く日かな」という句の種を蒔く日とは、菩薩即ち仏さまの境地に到るためにはどうすべきか、その第一歩を自覚する日、ということです。
たとえ小さな一歩であってもいいのです。このお彼岸という日に第一歩を踏み出そうではないか、と呼びかけている句であります。

 他にも沢山のご質問を受けておりますが、代表的なものを幾つかご紹介させていただきました。
また機会がありましたらお話させていただきたいと思います。
 皆様の中にも、日頃から疑問に思われているようなことがございましたら、ご遠慮なく当HPの掲示板やメール等でお寄せ下さい。
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