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住職の独り言」・・・・その64![]() しかし、考えてみればこの梅雨の時期、雨が降らないと困ることがたくさんあります。主食であるお米作り、田んぼに水が無ければ田植えが出来ません。野菜も水が無ければ枯れてしまいます。人間を含めてすべての生き物は水が無ければ生きていけません。水は生命の源といっても過言ではありません。地球に水があったからこそ生命が誕生し、我々が生きていられるのです。 というわけで今月は、仏教の源、お釈迦さまについてお話してみましょう。 お釈迦さまは実在の人物です。様々な修行をして悟りを得て、生きているうちに仏陀(目覚めた人・悟った人)となった人間です。お釈迦さまの存在は、1896年、アショーカ王が建てた石柱が発見され、碑文にシャーキャ族の聖者ブッダがこの地で誕生したことが記されていたこと、その一年後には、ルンビニーの近くの古墳から骨壷が発見され、遺骨はお釈迦さまのものであると記されていました。 仏典に「お釈迦さまの遺骨のひとつはシャーキャ族の故郷に持ち帰った」とあることから、その仏典が実証され、お釈迦さまが実在の人物であることがわかりました。 まず、お釈迦さまのお名前から見てみましょうか。 ご存知の通り、お釈迦様にはたくさんのお名前があります。まず、お名前のことからはじめてみましょう。 お釈迦さまの本名(幼名)は「ゴータマ・シッダールタ」。ゴータマとは種族の名前で、最も優れた牛、という意味があります。シッダールタは、すべての目的がかなえられる、という意味です。現在でもインドでは牛は大切にされています。お釈迦さまの時代、牛は神聖な動物でありました。 王子様の出生を待ち望んでいた王様が喜んでつけたことが、うかがえます。 お釈迦さまは「釈迦牟尼」を略したもので、梵語の「シャーキャムニ」がもとの言葉です。釈迦はシャカ族出身、牟尼は聖者、世尊は最も尊い人という意味です。「仏陀」は梵語のブッダの漢訳で、悟った人、真理に目覚めた人を意味します。 ![]() 誕生の地は、カピラ国のルンビニーという村で誕生されました。経典では、「この村は沙羅の樹が繁り、お釈迦さまの誕生の時、すべての樹木の花が一斉に咲き、木々を、美しい多くの鳥たちが飛びまわり・・・云々」とあります。 しかし、マーヤー夫人は王子を産んで七日目に亡くなってしまいました。王子の暮らしは何不自由ないものでしたが、もの心ついた時にはすでに母はいなかったのです。 お釈迦さまの誕生にはさまざまな伝説があります。その代表的なものが、お釈迦さまはマーヤー夫人の右脇から誕生され、お生まれになるとすぐに七歩あるいて「天上天下・唯我独尊」と宣言した、ということでしょう。お釈迦さまの誕生仏をみると、右手は天を指差し、左手は地を指しています。「点にも地にも我一人」というと高慢に聞こえますが、この言葉の意味はもって違うところにあります。一人ひとりの人間の存在がいかに尊いかを表現しているのです。 ゴータマ・シッダールタと名づけられ、王子として何不自由なく成長したお釈迦さまは、16歳の時、従妹ののヤソーダラーと結婚し息子ラーフラが生まれました。ラーフラは後にお釈迦さまの十大弟子に名を連ねています。 そんなある日、父である王が王子に春の野に出ることをすすめました。そこで王子はお城の四つの門から順次出かけることにしました。これが「四門出遊」のお話です。 まず東門から外に出てみました。すると、一人の老いさらばえた老人と出会い、王子は自分もいつかこうなるのか、と思うと遊ぶ気にはなれませんでした。 次に南門から外に出てみると、病気に苦しむ人に出会い、やはり遊ぶ気にはなれませんでした。三度目は西門から外へ出てみました。そこで見たものは横たわる死者でした。人間はいつか死ぬ、王子はまたしても城に帰ってしまいました。 最後は北の門から外にでてみました。そこで王子は、一人の出家僧に出会いました。その修行僧の堂々とした姿に王子は深く心を動かされ、老・病・死の苦しみから脱するには出家しかない、と決意したのです。王子29歳の時です。 修行者となり一人城を出たシッダールタは、北インドの国々を修行して歩きました。マガタ国の王舎城では、二人の師ヲ訪ね精神統一によって無執着の境地になる修行を短期間で習得してしまいましたが、老・病・死の苦しみから脱することは出来ませんでした。 真の悟りを求めてこの地を去り、いよいよ苦行林に向かいます。そこでの修行は「過去・現在の修行僧の中で、私以上の苦行はだれもしなかったであろうし、将来の修行僧もしないであろう」と自ら語ったほど過酷なものでした。昔のインドでは、苦行によって奇蹟的な神通力が得られる、と考えられていたのです。 厳しい修行は6年間続きました。シッダールタの身体は限界まで衰弱してしまいました。がそのような過酷な修行をしても、心の平安、悟りを得ることはできないとわかり、苦行を捨てるのです。 六年間の苦行が無益であると知ったシッダールタは、尼連禅河に入り、苦行の汚れを落としますが、簡単に体力は回復しません。そこへスジャータという一人の村娘が現れ、娘から乳粥の供養を何日も受け体力を回復しました。 シッダールタは尼連禅河のほとりに一本の菩提樹を見つけ、その木の元で東を向いて坐り「真理を悟るまで、坐りつづける」という決意のもと深い瞑想に入りました。この間、美女の誘惑、悪魔の襲撃など様々な攻撃が仕掛けられましたが、これらはすべてシッダールタの心の中にある煩悩だったのです。これらの煩悩をすべて克服します。これを仏伝では「降魔成道」と呼んでいます。 坐り続けて七日目、12月8日宵の明星が美しく輝くころ、ついに悟りを得られ、仏陀となられたのです。この時、35歳でした。これを「成道」といいます。成道とは、道を成就した、という意味です。 悟りとは一言でいえば「真理に目覚めること」です。お釈迦さまが悟ったことは、この世の真実なのです。「人間は欲望が強く我に執らわれて生きています。我に執らわれてはいけません。すべてのものを不変と考えるのは間違いです。その迷いが苦しみを生むのです。我執から開放されれば苦から抜け出すことが出来る」これがお釈迦さまのお悟りです。 お釈迦さまは悟りをひらかれても、すぐには説法を始めませんでした。自分の悟った真理は難しく、とても一般の人々には理解できないであろうと考えたからです。これに対して、梵天は教えを説くよう説得をくりかえし、ようやくお釈迦さまは、「耳ある者たちに甘露(不死)の門は開かれた」答え、説法を決意し立ち上がりました。これを、仏伝では「梵天観請」といいます。 初めての説法の地はサールナートの「鹿野苑」です。相手は以前お釈迦さまと共に苦行をした5人の修行者たちでした。5人の修行者は、お釈迦さまに対して、苦行を途中でやめ脱落した男だから敬意を表すのはやめようと相談していましたが、お釈迦さまが近づいてくると、その威厳にみちた態度・言葉にたちまち納得してしまい、お釈迦さまに帰依してしまいました。この時の説法が「初転法輪」と呼ばれるもので、これこそ仏陀となったお釈迦さまの第一声、仏教の始まりでした。 お釈迦さまが悟った真理とは、縁起の理法、すなわち、いかなるものも独立して存在するのではなく、常に他のものと関係しあっている。苦しみの原因はものごとを固定的にとらえ、執着するからである、としました。 5人の修行者に対してお釈迦さまは「四諦八正道」と「中道」の教えを説いた、とされています。四諦とは、「苦・集・滅・道」の四つです。 @ 苦諦―人生は苦の連続。 A 集諦―苦の原因を考え、それを明らかにする。 B 滅諦―区の原因を知り、それを滅すること。 ![]() 八正道は、 @「正見」(正しく見る) A「正思惟」(正しい考え) B「正語」(正しい言葉) C「正業」(正しく生きる) D「正命」(正しい生活) E「正精進」(正しい努力) F「正念」(正しい自覚) G「正定」(正しい精神統一) 中道とは、ふたつの極端からはなれた、かたよらない心、生き方です。 5人の修行者への説法を終えたお釈迦さまは、ヤサという長者の息子など次々と説法をします。ヤサへの説法は在家の信徒に対する初めての説法でした。こうして仏教の信徒・修行者は確実に増えていきましたが、まだ拠点となる場はありません。 やがで1000人の弟子を率いたお釈迦さまは、当時インドの大国、マガタ国に入りました。マガタ国のビンビサーラ王は、お釈迦さまの教えを聞いた王は大変よろこび、感激した王は王舎城郊外の竹林園に精舎を寄進しました。これが「竹林精舎」です。これが仏教教団の僧の最初の宿舎です。その後、コーサラ国の長者、スダッタから「祇園精舎」の寄進をうけました。 お釈迦さまは故郷のシャーキャ国にも入ります。そこでは息子のラーフラ、父のシュッドーダナも帰依します。また、後にお釈迦さまの十大弟子の一人となる従兄弟のアーナンダも出家しました。 父王の死後、養母マハーバジャーパティ、妻のヤソーダラーも出家しました。女性初の出家者です。のちに比丘尼の教団も生まれました。 やがて歩き続けて45年間、お釈迦さまもすでに八十歳になって、最後の旅が始ります。常にお釈迦さまにつかえ助けてきた智慧第一の舎利子、神通力第一の目連も今は亡く、弟子のアーナンダを連れた旅でした。長年の旅の疲れもあったのか途中、食あたりにかかってしまいました。そして、クシナガラまで行った時、お釈迦さまは右脇を下にして、沙羅双樹の下に横たわると、「この世は無常である。私が亡くなっても、怠りなく精進せよ!」と述べると静かに目をとじ、涅槃に入られました。涅槃とは梵語のニルバーナのことで、火を吹き消した静かな状態のことをいいます。お釈迦さまが亡くなられたのは、紀元前383年ごろの2月15日。日本ではお釈迦さまの入滅を偲び、「涅槃会」の法要が営まれます。 |
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