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住職の独り言」・・・・その71![]() 日めくり暦もずいぶん薄くなりなりました。根がノンビリ屋の小生ですので、気ばかり焦って仕事の進まない相変わらずの年の瀬を送っております。皆様はどんな毎日をお過ごしでしょうか? お忙しいところ、ご来山いただきまして有難うございます。しばしの間、今年最後のつぶやきにお付き合いの程よろしくおねがいいたします。 池の中に咲く蓮華は、車の輪のように大きく、青色の蓮華には青い光、黄色の蓮華には黄色い光、赤色の蓮華には赤い光、白色の蓮華には白い光があり、それぞれ清らかな香りを放っている ![]() これらのさまざまな色の蓮の中でも、特に尊重されているのが白蓮華で、サンスクリット語では「プンダリーカ」といい、それを漢音写したものが「分陀利華」なのです。 実は、あの有名な「妙法蓮華経」という経典の中に出ている蓮華の原語も「プンダリーカ」ですから、もし正確に翻訳すれば、「妙法白蓮華経」ということになります。 それでは、なぜ仏教においてこれほど蓮の花を重視するのかといますと、蓮という植物が、汚い泥の中に根を置き、しかも、きたない泥水の中を通って成長し、やがて水面に出て咲く花が、まったく汚れなく美しいからなのです。 ![]() だからこそ、かの日蓮上人(日蓮宗の開祖・1282年寂)も、自分の名前の一部にこの「蓮」という文字を用いておられ、それによって、煩悩多き現実の世界の中で、さとりという清らかな花を咲かせなさいよ、と信者の人びとの発心をうながしているのではないでしょうか。 さまざまな色の蓮の中でも、日本においては仏式の葬儀式は紙で作った白蓮華が、仏国土(西方極楽浄土)をあらわす花として用いられています。 たしかに白という色は、あらゆる色の原点であって、どんな色にも変わり得るもとの色である。とはいえるかも知れませんが、現実の問題としては、白ばかりではなんとも淋しいのではないでしょうか。 「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」 と原典にあるように、それぞれの色の蓮は、それぞれの色を持っているからこそ尊いのであって、もし、すべての蓮が同じ色になってしまったのでは、あまり価値はなくなってしまうのではでしょうか。 たとえば、一つの学校には校長先生・教頭先生・主任・一般教諭・生徒・用務員・給食係・養護教諭、等々さまざまな人がいるわけですが、それらのどの一人が欠けていても学校は成立しないのです。 校長先生は一人いればよいのですから、何人もの校長がいては混乱することになってしまいますし、生徒がいなければ、いくら立派な先生がたくさんいても、教えることはできないのです。 それに、校長はかつて先生の一人であったはずですし、そのもっと前には、生徒の一人であったはずなのです。 ![]() すなわち、校長が校長としての光を発揮し、一人一人の生徒が生徒としての光を発揮したとき、その学校は社会の中で高く評価されるようになるのですから、その中の一つだけがいくら光っても、他が光っていなければ、存在価値は当然ながら薄れてしまうのではないでしょうか。 前述のように、仏教においては蓮の花をたしかにさとりのシンボルとして大切に扱っているのですが、白い蓮の花ばかりになってしまったら、まことに味気ないことになってしまうでしょうし、ましてや、すべての花が蓮ばかりになってしまっても、今度は蓮そのものの価値も消えてしまうのではないでしょうか。 ![]() 「自分はけっこうましだよな」 などと考えているよりも、少なくとも、 「無理かもしれないけれど、蓮華をめざして精進してみよう」 と考えた方が、はるかに意味があるのではないでしょうか。 ただ、西方極楽浄土の蓮の池に咲く一輪の蓮華になるように努力することは尊いのですが、自分がそのように清らかな心を持っていないことに気がついたときに、私たちのだれが、 地獄は一定すみかぞかし (地獄こそまちがいなくわたしが行かなければならない世界である) 『歎異抄』 と言い切れるでしょうか。 朝早く、蓮池の中の一輪の蓮が、パッと咲いた姿を眺めたときに、自分自身の心の汚れに気 がつき、いくらがんばってみても、自分はとうていこんな汚れなき蓮華になれそうもない、ということがわかるのです。 そして、そのときこそすべてを仏さまにまかせきる信仰が生まれ、その信仰の中に生きて行ったときに、それまでは自分の力で生きているんだ、と考えていたものが、 『生かさせていただいている』 と変わってくるはずですから、そこに喜びも感謝の心も自然に湧いてくることになるのでしょう。 今年も一年間、お付き合いいただき誠にありがとうございました。 前半はサボってしまい皆様には、大変ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。 今後、繰り返さぬよう肝に銘じております。 明年 平成23年が皆様にとって幸多き、充実した一年になりますように、ご祈念申し上げます。 では、みなさま良い年をお迎えくださいませ。
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