住職の独り言」・・・・その88

 いよいよ6月。梅雨入りの季節となりました。
最近の天候は、不順ですね。7月のようなお天気になったかと思うと、3月の気温になったり。はたまた、さっきまで真夏のような太陽が出ていたと思うと、にわかに黒雲がわき上がり、突風、落雷、ヒョウ、豪雨と、大荒れの天気になったりと。
 気象情報も、昔は確率が低く、あまりあてにできませんでしたが、最近はかなりの確率で当たるようになってきました。お陰で早めの対応ができるようになり、その分被害も最小限で抑えられているのかも知れませんが、反面、自然への脅威が失われ、言葉悪いですが、自然をなめてかかる風潮がうまれているのではないか、と考えてしまうのは小生の考え過ぎでしょうかね。

 さて、先月、慈覚大師円仁さまのお話を致しましたが、慈覚大師さまは沢山の功績を残された方ですので、もう一回引き続きお話させて戴きたいと思います。

 小生、先月、天台宗埼玉教区檀信徒会の研修会に参加し、慈覚大師さまゆかりの地、幼少時代を過ごされた地方を参拝してまいりました。
 延暦13年(794)、下野国都賀群、今の栃木県下都賀郡の地に慈覚大師さまはお生れになりました。生家壬生氏のお宅ゆかりの地には壬生寺というお寺が開かれています。また、壬生氏の菩提寺で、9歳から15歳まで修行されたお寺は、大慈寺という古刹です。ここで広智さまという住職の下で出家得度し、やがてお師匠様に連れられて比叡山に登り、伝教大師最澄さまのお弟子となるわけです。 慈覚大師さまの生地あたりは、近くに公式に僧侶になるための戒律を授ける戒壇をもつ薬師寺もあり、東国の中心ともいうべき地方であったということが想像できます。

 延暦16年(797)に伝教大師さまが比叡山に経典をそろえようと計画すると、薬師寺の道忠さまとそのお弟子の広智さまなど多くの僧侶たちが、写経に協力をおしまなかったことが伝えられています。
 弘仁8年(817)には、伝教大師さまは、慈覚大師さまをともなって上野国(群馬県)緑野寺から、大慈寺にやってきます。それは『法華経』によって日本中を救おうとする拠点である宝塔を計画する旅でした。 慈覚大師さまの功績は、もちろん天台宗の充実、唐に仏法を求め、天台宗の密教を完成させたこと、比叡山の横川を開いたこと、如法写経、お念仏、在家への救済の確立など数え切れないほどです。しかし、私達にとって、もっとも具体的、直接的なご恩は、全国に多くのお寺を開かれたことです。
 それは、南は九州から、中国地方、近畿地方、中部地方、関東地方、そして東北地方にまで及びます。とくに東北地方では、「お大師さま」といえば、慈覚大師さまを指すほどです。

 慈覚大師さまの開創、中興などと伝えられるお寺は、『全国寺院名鑑』によれば、青森県1、岩手県15、宮城県11、秋田県2、山形県12、福島県12と東北地方だけで53ヶ寺になります。そのなかには、下北恐山円通寺、岩手水沢の黒石寺、松島瑞巌寺、箟峰寺、秋田象潟の蚶満寺、山形県山寺立石寺、福島県龍興寺などなどかずかずの名刹が含まれます。そのほか、幻の寺津軽十三千坊なども慈覚大師さまの開基であると伝えられていますので、実態はもっともっと多かったことでしょう。 現存するお寺でも残念ながら現在は、他宗になってしまっているお寺もあります。
 東国のうち関東でも、茨城県12、栃木県24、群馬県7、埼玉県21、千葉県31、東京都24、神奈川県14の計133ヶ寺が慈覚大師さまに関係があり、その中には、日光の輪王寺や、浅草寺などの寺々が含まれます。

 これらのお寺の開創年代は、天長年間そして、嘉祥、貞観年間、とくに後者にかたまっていますが、慈覚大師さまのお名前に託した勧請開山という場合もあるのではないかといわれます。平成25年に1150年の御遠忌を迎えるにあたり、改めて慈覚大師円仁さまゆかりの地方、お寺を巡りそのお徳を偲んでみて下さい。



合掌

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