住職の独り言」・・・・その90

 朝夕は、ほんの少しだけ秋らしさが顔を見せてくれるようになりましたが日中の日差しはまだまだ真夏。熊谷地方では連日猛暑日が続いております。
 どうした訳か、今年は暑い暑いと言いながらも、その日の最高気温が全国一番になった日がありません。利根川をはさんで対岸の群馬県館林市に連敗中です。今年は勝てないかもしれません。聞くところによると、熊谷の観測所の周辺が公園のように整備され、今までより風通しがよくなり、それで気温の上がり方が少し内輪になったのではないか・・?と言われております。
 しかし、「暑いぞ熊谷!!」 には変わりがありません。まだまだ、アツベェ〜(熊谷の暑さを表したキャラクター)が活躍しそうです。

 さて今月は「歓喜天さま」という仏様についてお話してみようと思います
熊谷市妻沼(旧大里郡妻沼町)という所に、聖天山歓喜院長楽寺という真言宗高野山派の大きなお寺さんがございます。日本三大聖天の一つとされ、埼玉の小日光とも呼ばれており、近在では妻沼の聖天さまとして親しまれております。
寺伝をお聞きしたところ、治承3年(1179)妻沼地方を本拠地としていた武将齊藤別当実盛が、守り本尊である大聖歓喜天(聖天さま)を祀る聖天堂を建立したのが始まりで、その後建久8年(1197)良応僧都(実盛の次男)が聖天宮の本坊として歓喜院長楽寺を建立し、十一面観音を本尊としたそうです。
この聖天堂、現在の建物は、享保から宝暦年間にかけて再建されたもので、このほど修復工事が行われ、創建当時のきらびやかな極彩色の彫刻が蘇り、今年五月には埼玉県内で建築物としては初めての国宝の指定を受けました。

 この「歓喜天さま」(聖天さま)は、正しくは「大聖歓喜自在天」とお呼びしますが、一般的には「聖天さま」と申し上げたほうが解りやすいとおもいます。
「聖天さま」の信仰は密教の隆盛と共に平安時代にはかなり行われていたようです。先ほど「大聖歓喜自在天」と言いましたが、これはインドのサンスクリット語で「マハー・アールヤ・ナンデケーシュヴァラ」を訳したものです。
 古来インドでは「三神一体」の概念があり、ブラフマー、ヴイシュヌ、シヴァの三柱の神が宇宙の創造、維持、破壊をつかさどると信じられていました。

「聖天さま」は、このシヴァ神とその妃パールヴァテイの息子として現われます。別名には種々ありますがその中で、皆さまが耳にされたことがあると思われるのが「ガネーシャ」でしょう。

「ガネーシャ」の信仰は現在でも南インドにおいて顕著ですが、そのお姿は、象の頭をもち巨大なお腹を持ったすがたをし、象頭の牙が片方かけています。手は四臂で、ネズミの上に乗っています。
象の頭になっていることについては諸説ありますが、その一つは、父シヴァ神とパールヴァテイが象に変身しているときに生まれたと言われ、一方母パールヴァテイが沐浴しているときに、その場に入ろうとしたシヴァ神をガネーシャが阻止したために、シヴァ神が怒ってガネーシャの頭を切り落とし、怒りが収まって最初に出会った動物の頭を与えたとする説などがあります。
また牙が片方である理由は、カイラーサという山でシヴァ神が眠っているときにパラシュラーマがシヴァ神に逢いに来たが、ガネーシャが阻止したので両者が争いになり、このとき牙を失ったというのです。

 ガネーシャは父シヴァ神の軍隊即ち眷属の大将を仰せつかっていました。この軍隊は極悪で諸悪を平然と行う集団でした。しかし悪ばかりでなく善行もしたようで、ガネーシャには3000の子供がいて、左の1500の子供達は諸悪を行い、右の1500の子供達は一切の善利を行ったといいます。
 ガネーシャは別名「ヴィナーヤカ」とも呼ばれますが前述した単身のお姿の他に、双身のお姿(父母が抱擁している)があります。それは、悪の限りを行う「ヴィナーヤカ」に対して観音さまが大慈悲心をお発し、慈善根の力を持って女性の身に転じて「ヴィナーヤカ」の前に現われました。彼は美しい女性を見て欲心を発し女性を抱こうとしました。このとき女性は次のように言うのです。
「私は昔より、よく仏さまの教えを受けてきました。あなたが若し私に触れようとするならば私の教えに従ってください。
まず一つは、私のように未来世を尽くすまで、仏さまの法を護りますか。
次に、私に従って諸々の修行僧を護って障礙をしませんか。
次に、私に従って今後毒をしませんか。
以上のことが守れるならばあなたは私の親夫となることができるでしょう」と。

これを聞いた「ヴィナーヤカ」は語ります。
「私は縁あって今、汝に会うことが出来ました。これからは汝の言葉に従って仏法を護っていきましょう」と。

この時美しい女性は微笑みを含んで「ヴィナーヤカ」を受け入れたのでした。この美しい女性とは十一面観世音菩薩であったと伝わっております。以後「ヴィナーヤカ」は仏法守護の神となり、現在では智慧、夫婦相愛、子授けの神となって広く信仰されております。

このようなインド神話にもとづく歓喜天さまの物語から私たちは何を学ばなければいけないのでしょうか。
第一に、歓喜天さまに身を変えた観音さまは三十三身に体を変現されて人々の心の状態に適応して説法されます。
『観音経』でいう「婦女身を以って得度すべき者には即ち婦女の身を現じて為に法を説く」ことをしてくださるのです。
 第二に、私たち人間のどうしようもない煩悩をも、聖天さまは大きな慈悲心を持って受け入れながらも、煩悩を仏心へと導いてくださる、仏様であるということが言えるでしょう。
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