H15.12月のことば『お不動さま』(おふどうさま)
 仏さまといえば、阿弥陀さまや観音さまなどのように、やさしい柔和なお顔をしています。
 しかし、『お不動さま』は、すべてを焼き尽くすようなすさまじい火焔光を背負い、右手に剣を、左手には繩を持ち、口を固く閉じ、額に水波のような皺を寄せ、時には左目を閉じ、時には両眼を見開いたその眼光は見るものを射すくめています。まさにそのお顔、お姿全身すべて激しい怒り、忿怒(ふんぬ)の相を表しています。
 『不動』とは、「山のごとく動かない守護者」の意味で、もともとは「不動使者」と呼ばれ、大日如来の命令を受けた童僕、召使とされました。大日如来の命令とは、私たち衆生に仏の教えを示し、導くという尊い使命です。
 しかし、私たち衆生は、本能的な欲望や、愛憎に見をまかせて毎日を送っています。更にはそんな生活を反省することもない衆生は、柔和なやさしい仏さまの教えに貸す耳を持ちません。そこで大日如来の童僕である『お不動さま』は、この救い難い私たちを教化するために忿怒の姿を表しています。迷える私たちの心に強烈なショックを与え、反省を促し、信仰心を呼び起こすためです。

 右手の剣は、仏さまの智慧の利剣。この剣によって私たちの貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)の三毒の煩悩を打ち滅ぼします。左手の繩は、目に見える悪しきものや、見えない煩悩を縛り上げます。背中の火焔は、迷いの障りを焼く智慧の火となります。
 実はこの童僕である『お不動さま』は、大日如来の化身、大日如来そのものが姿を変えて出現されているのです。大日如来は、完全な仏さまとなっておられる方ですが、その昔、「自分は仏になった後でも、今と同じように不完全で未熟な姿のままで、如来の召使となって働きたい。」という誓願を立てられ、そしてその約束に従って如来になった現在でも、ことさら卑賤な童僕の姿となり、忿怒の相を表して、私たちを導き、苦しみを救ってくださっているのです。
H15.11月のことば『薬師如来』(やくしにょらい)
『薬師如来』は、親しみを込めて「お薬師さん」と呼ばれ、多くの人々に信仰されて来ました。また薬師瑠璃光如来、医王仏、などとも呼ばれています。その名の通りこの仏さまは、私達の病気やけがを治してくださるご利益を持った仏さまです。
『薬師如来』は、菩薩の世界で修行中に十二の大願をたてられ、その第六願に、身体にどこか不自由なところがあったり、病にとりつかれた者は、ひとたび私の名を唱えれば、必ず治るようにさせよう。
 第七願に、多くの人々が病に苦しみ、頼るものもなく、医者もなく、貧窮で、多くの苦しみを受けている時、私の名前を聞いたなら、必ず病気が癒され、心身が安楽になるようにさせよう。
 など、人々の病気・けがなどの苦しみを救ってあげようという願をたてられているので、病苦から救ってくださる仏さまとして信仰されて来たのです。

 しかし、「お薬師さん」は、人々の身体の病を治すだけでなく、心の病も救ってくださる本願もたてられております。
 第四願 間違った方向に進もうとしている人を、正しい菩薩の道に導き、自分だけ悟りの道を歩こうとしている人を、あらゆる人のための道の方へ導いてゆこう。
 第五願 人々がさまざまな悪い思想や、間違った考えにとらわれていたら、正しい教えに導き、正しい実践をすることによって、悟りの世界に到達できるようにさせよう。
と願われています。
 人間の四苦八苦の原因は、持っている欲望にあるのであって、「お薬師さん」は人間の心身の病からの解放を願われたのです。

 天台宗の総本山比叡山延暦寺の総本堂である、根本中堂に安置されている本尊さま『薬師如来』は、伝教大師最澄さまが自ら刻まれた仏さまです。
 末法の世、この「お薬師さん」の大願が実現し、人々が身と心の病から救われるよう願われた最澄さまの熱い思いが込められた仏さまです。
H15.10月のことば『文殊菩薩』(もんじゅぼさつ)
 「三人寄れば文殊の智慧」ということわざをご存知でしょうか。
 文殊菩薩(文殊さま)は、右の手に利剣を、左の手に経巻を持ち、獅子の背中で蓮華の花に乗っております。
 左手のお経は、智慧の理を表し、右手の利剣は、智慧の働きを表現しています。


 サンスクリット語で、マンジュシュリーといい、中国で文殊師利(略して文殊)と漢字にあてはめました。普賢(ふげん)菩薩とともにお釈迦さまの脇持(わきじ)(わき仏)となっており、文殊さまが仏さまの智慧を象徴し、普賢さまが仏さまの教えの実践を司っています。

 中国山西省には、五台山(ごだいさん)(別名清涼山(せいりょうざん))という山があり文殊さまの浄土とされ、古代より信仰をあつめてきました。
 「華厳経(けごんきょう)」というお経の中に文殊菩薩は、東北の清涼山に住み、現在も常に説法している、と説かれています。

 平安時代のはじめ、慈覚大師円仁さまが唐に渡られ、この五台山で文殊菩薩の信仰の強さに感銘を受けられ、九年余り苦難の修行旅の末帰国され、比叡山に五台山の模様にならって文殊楼を建てられ、文殊菩薩像を安置いたしました。
H15.9月のことば『お地蔵さま』(おじぞうさま)
 昔話や童謡の題材にも出てくる「お地蔵さま」は、子供たちの仏さまとして、現在でも最も親しまれている仏さまですね。
 「お地蔵さま」の正式名称は、地蔵菩薩と言い観音菩薩や文殊菩薩などと同じ仲間です。菩薩というのは、仏(如来)になる前の修行中の段階で、仏に次ぐ位置にいらっしゃいます。悟りの世界と娑婆の世界との中間で、仏に代わって娑婆世界を救済されています。
 「お地蔵さま」は、三途の川を渡り悟りの世界へ入る人々を乗せた船の船頭で、すでに悟りの世界に到達しているのに岸にはあがらず、わざわざ娑婆世界にとどまって、私たちの苦しみを救って下さっているのです。

 「お地蔵さま」は、観音さまと同じようにさまざまな姿に変化します。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道世界に変化し、[六道能化の地蔵さん]と呼ばれ、お寺の境内や、町や村の辻々に立ち、子供の遊び相手をしたり、私たちを救ってくださっています。
 恵心僧都源信の『往生要集』には、地獄の支配者である閻魔大王は、地蔵菩薩の化身であると説かれています。

 「お地蔵さま」のお姿は、頭を丸めたお坊さんの姿で、手に錫杖を持ち、永遠に六道をめぐって衆生を救け、苦しみを代わって受けてくださる菩薩です。
 身代わり地蔵、子授け・子安・子育て地蔵、延命地蔵、道しるべ地蔵、とげぬき地蔵、水子地蔵等々、数えきれないほど様々なお地蔵さまがいらっしゃいます。皆様もこれからお地蔵さまをご覧になったら、どんなお地蔵さまなのかよくご覧になり、チェックしてみてはいかがでしょう。
H15.8月のことば『観音さま』(かんのんさま)
 数多い仏さまの中でも、お地蔵さまとともに最も親しまれていらっしゃる仏さまが、『観音さま』ではないでしょうか。
 西国・坂東・秩父を始め、全国各地に観音さまの霊場がたくさんございます。皆様も霊場めぐりに限らず、一度は観音さまをお参りした経験をお持ちだと思います。
 正式には、「観世音菩薩」「観自在菩薩」と言われ、梵語の「アバローキテーシュヴァラ」を漢訳した名称です。

 『観音さま』は、1200年以上前の昔から日本だけでなく、インドや西域地方・中国などでも盛んに信仰されました。孫悟空で有名な玄奘三蔵法師の書かれた[大唐西域記]にも登場して来ます。

 『観音さま』は、上に向かっては自分自身のさとりを求め、下に向いては私たち衆生をひとり残らず救済しようと精進を続けていらっしゃいます。
 すべての衆生を、その人・その時・その場に応じて救済するのに、千手観音・十一面観音・如意輪観音など三十三観音に変幻自在に化身されます。
 そしてこれらの観音さまは「南無観世音菩薩」と念ずれば、私たち現世のすべての苦しみを除き、幸福を与えてくださる「現世利益」の仏さまです。

『観音さま』は、慈悲によって、すべてのものを救済する菩薩です。それに対して私たちご利益を受けたものは、今度は他の人びとにもそれを分かち合おうとしなければいけません。
《ともに喜び、ともに悲しむ》この心が、慈悲≠フ精神なのです。
H15.7月のことば『お釈迦さま』(おしゃかさま)
 ご存知のとおり、今から2500年程前、インド釈迦族の王子として生れ、成人し、出家、修行の末、悟りをひらかれ、仏陀(ぶっだ)となられました。
 ゴータマ・シッダールタというのが本名ですが、仏陀とは「目覚めた人・自覚した人・悟った人」を意味し、ゴータマ・ブッダは「釈迦族の聖者」つまり釈迦牟尼世尊(しゃかむにそん)、略して釈尊・お釈迦さまと呼ばれています。
 お釈迦さまが一国の王子として成長結婚し、男児も得て幸福な家庭を築き、栄華を極めた生活をしていながら、すべてを投げ出し、出家・修行の道を選んだのはなぜでしょう…?
 生後まもなく、母麻耶夫人が亡くなったことも大きな影となっていたかもしれません。
 また、伏線となるできごとに「四門出遊」という、後世に語り伝えられている物語があります。
 シッダールタ王子がある日、お城の東門を出て街に出ると、髪は真白、身体はやせ衰えた老人が杖を頼りにトボトボと歩いていました。その姿に、老いの苦しみを見たのです。またある日、城の南門を出て、病気で苦しむ人を見。またある日、西門を出て、死者の葬列に逢い。またある時、北門を出て、すでに生死を超越したと思われる一人の出家者に出逢いました。
 この出家者と話をしているうちに、王子は幼き頃より心悩ませていた、生・老・病・死という問題を解くカギを見出したのです。
 やがて心の解脱を得て、仏陀になられ、現在も私たちに宇宙の真理(法)、生きる指針を示されているのです。
 
 このコーナーで、今月は「お釈迦さま」を取り上げましたが、来月以降しばらくは皆様に親しまれている、身近な仏さまを取り上げて行きますのでご期待ください。
H15.6月のことば『お経』(おきょう)
 「お経」とは、仏教の聖典。すなわち私たち仏教徒の「経典」です。キリスト教の聖書やイスラム教のコーランと同じ意味を持つものです。梵語のスートラの漢訳語で、本来は「糸」を意味する言葉です。これが転じて[簡素な説明][最低限必要なことを訳したもの]を意味するようになりました。
 
 仏教のスートラ「お経」とは、お釈迦さまの教えを、お弟子さん達が聞いたままを書き取り、入滅の後まとめたもので{経蔵}ともいいます。
 この{経蔵}と{律蔵}{論蔵}をあわせて{三蔵}と言いますが、経だけで{三蔵}を意味することもあります。現在では、各宗派のお祖師さま達が書かれたものも含めて「仏教聖典=お経」と言われています。
読経(どきょう) 声を出してお経を読むことですが、「誦経(じゅきょう)」「諷経(ふうぎょう)」とも言います。
「読誦(どくじゅ)」これは、経典の文字を見ないで読むことです。
看経(かんぎん) これは読経の反対で、声を出さずにお経を読むことです。
写経(しゃきょう) 供養や祈願のために経典を書写すること。また、写された経典。写経の功徳は、古くからインドにあり、「法華経」など初期大乗経典の中にも説かれています。中国でもやがて、一切経(いっさいきょう)が書写されるようになり、日本では、奈良時代に官設の写経所司で一切経が写され、貴族や寺院から広められて今日にいたっています。
H15.5月のことば『智慧』(ちえ)
H15.4月のことば「花まつり」(4月8日)
H15.3月のことば「卒塔婆」(そとば)
H15.2月のことば「涅槃会(ねはんえ)」
H15.1月のことば「慈悲(じひ)」

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