H18.12月のことば 「葉書・はがき」
 この時期になると日本人のほとんどの方が、年賀状を書きますね。最近は年賀状も様変わりしてきて、昔ながらの手書きのものが減ってきてITを使った近代的なものが増えてきました。若い人達の間では、年賀状のやり取りより、電子メールでの新年の挨拶も増えてきたとか・・・ 何かさびしいです。

 年賀状をはじめちょっとした御挨拶に、葉書は便利なものですが、どうして葉書き(・・・)と言うのでしょうか。そうですね。古代インドで、木の葉に文字を書いたのが葉書のルーツです。インドには多羅樹(ターラ)という大きな葉を持つ木があります。この葉に傷をつけるという方法で字を書くと、黒変してそのまま保存できるというわけです。

 インド人はこの葉を適当に切り揃え、鉄筆や竹筆で経文を彫り、それを重ねて両端をはさみ、更に縄で結んで経典としました。こうするとちょうど(はこ)に入れたように見えるので梵篋(ぼんきょう)と申します。

 紙の代わりに樹葉を用いて書写するなんてすてきではありませんか。多羅樹は高さ70尺にもなり、白い花をつけ、実は柘榴(ざくろ)のようだといいます。その棕櫚(しゅろ)に似た巨大な葉の一枚は、巾2〜3寸、長さ1尺5寸ほどですから、もことにうってつけの書写材料ですね。この葉は、特別に貝多羅葉(かいたらよう)、略して貝葉(ばいよう)と名づけられ、仏さまとともに大切にされてまいりましたが、現今の経典はほとんど紙のものになって、もう梵篋は見ることができません。

 ところで郵便の父<前島 密>がこれにヒントを得、郵便物の一つにはがきと名づけたことはあまり知られておりません。前島 密の生誕地・新潟県の上越は、貝多羅葉の性質を引く木、即ち、葉に文字の書けるモチノ木科の常緑樹タラヨウの北限とされているのも何かの因縁でしょうか。手のひらより少し小さいこの葉の裏に、傷をつけて文字を書き、防湿・防腐効果のある青竹の筒に入れて相手に送る・・・・そんなアイデアを地元の人が思いついたそうですが、文字通りの葉書を受けとったら、さぞ嬉しいことでしょう。

 当山の境内(本堂前)にもこのタラヨウの木がございます。また、ここから1時間ほどの比企郡ときがわ町西平にある、やはり天台宗の「慈光寺」(坂東三十三観音霊場)さんには、天然記念物に指定されているタラヨウがございます。

 いずれにしてもはがきは、心を伝えるゆかしい郵便物です。はがきを戴いたら、こんなハガキのルーツも是非、思い出してください。
合 掌
文中の写真は多羅葉(葉書の語源)の葉
H18.11月のことば 「命・いのち」
 最近、児童生徒のいじめによる自殺のニュウスがマスコミを賑わし、大きな社会問題になっています。命の大切さが叫ばれるようになって久しくなりますが、いまだに良い方向には進まず、むしろ後退しているようです。命とはいったい何なのでしょうか。古来、命については数限りない諸説があり、仏教内部でも解釈の分かれているのが実情です。しかし私達としては、命に対して何らかの見解をもっていないと安定した生き方が出来ないのではないでしょうか。

 私達生き物は生まれたあと、一定期間を経ると皆死んでゆきますね。倶舎(くしゃ)では、私達の体がある間中、心をその中に維持させているものを命と見ております。また唯識(ゆいしき)では、私達の心意識(こころ)の更に奥深くにある阿頼耶識(あらやしき)という識を指し、私達が生まれる以前から死んだ後に至るまで、これがかかわっていると致します。「死んでも命がありますように」という願いは叶えられているわけですね。

 この阿頼耶識は輪廻転生しながら、無始以来継続しているばかりでなく、宇宙一切を展開する根源となっているのです。私達が生まれたり死んだりする(すべ)ては、この識の変化したものということですから、迷妄の根源であるとも言えましょうか。阿頼耶識と対照的なものは真如です。つまり、生滅しないもの(真如・空)と生滅するもの(現象・色)の二つを考えているわけですね。

 大乗起信論では、この真如に無明(むみょう)(くん)ずることによって阿頼耶識が生ずると解釈いたします。

 いずれにしても、私達は宇宙一切と一つものであり「個々の一生を終えたら、この大いなる命に帰る」と解釈するのが一般的でしょう。そこから又新しい命を戴いて転生してくるのです。こんどは何に生まれるか。人間の一生を立派に卒業して、次は仏身を戴きたいものです。色即是空、空即是色と諦観し、早く仏身を成就して、生滅にとらわれない仏の生き方をしたいと念じてやみません。仏身で生きればこの世が仏国土です。
合 掌
文中の写真は十三観月会の様子
H18.10月のことば 「旗揚げ・ひと旗あげる」
 政治団体などがよく「○○派が旗揚げをしました。」などと言いますが、この[旗上げ]の元祖が仏教であることはあまり知られておりません。ハタとは梵語パタカに因る語なのです。昔のインドの話ですが、仏法を身につけて、立派な伝道資格のあるお坊さんは、お寺にハタを上げて「誰でも仏法に疑いのある者は来い。質疑のあるものは来て討論せよ。」と受けてたつ態度を示しました。われこそはと思うお坊さんは、それだけの準備をして、人を集めて伝道したわけです。これが中国に伝わり、中国僧も同じようにハタをあげることを致しました。ただ中国には多くのハタがあり、(どう)(ばん)()(せい)(せん)(はい)など全部ハタの類に所属します。これらの漢字が日本に伝わって、どれもハタと訓ぜられることは皆さまもご存知でありましょう。いや、訓ぜられるというよりは、これらの漢字にすべて梵語の(おん)をあてはめ、ハタと読むようになったという方が正解かもしれません。今日、ハタと言えば(おも)に旗の字を書きますが、中国僧が説法の時にあげたハタは主として幢や幡でありましたので、お寺の説法の間(本堂)にあげてあるハタは幢幡(とうばん)ということになったこともお伝えしておきましょう。

 また、禅宗で法幢(ほうどう)を建てるといえば、この説法の標識たる旗ぼこをあげて、宗旨を立することをいいます。旗上げをするわけです。宗旨を立するということは、「自分はこういう宗旨によって伝道をしている」と宣言することです。このようにインド、中国、日本とつたわった仏教はハタをあげて伝道してまいりましたが、一般に旗を上げたり、ひと旗上げようとしている人は何をなさり、何をしようとしているのでしょうか。仏教にならって、真理を行ずるために精進してほしいものです。
文中の写真は10月の境内
H18.9月のことば 「ネコとシャクシ」
 「最近はゴルフブームでネコもシャクシもゴルフをするようになった」などと言いますね。このネコとシャクシには普通、猫と杓子の文字を当てますが、本来はどんな文字であったのか異論のあるところです。「寝子(ねこ)も杓子も」だとか「女子(めこ)弱子(じゃくし)も」だとか言って、それぞれもっともらしい説明をしていますが、はたしてどうなのでしょうか。ところで、ここに仏教語として取り上げたのは、「禰宜(ねぎ)釈子(しゃくし)も」だとする説があるからです。いずれの説にしても、<だれもかれも(・・・・・)の強め>とするのに変わりはありませんが、以下は「禰宜と杓子」についてお話したいと思います。

 禰宜(ねぎ)とはあ、「ねぐ」の名詞化したもので、神様の心を(なぐさ)めるものの(しょう)なんですね。神道(しんとう)では宮司(ぐうじ)の下にこの禰宜が配置され、祭事をとり行っております。宮司が社長なら、禰宜は専務というところでしょうか。そして、宮司・禰宜・神主(かんぬし)などとはともに神職(しんしょく)の総称にもなっていますね。

 一方、釈子(釈氏とも書く)ですが、お釈迦(しゃか)さまの弟子(でし)とか釈迦の系統を引くものの意味です。一般的にお坊さんは皆、釈子と解してもよいでしょう。このことから神職から僧職までみんなということで、<だれもかれも>となったのではないかというのです。ここで釈子について、もう少しお話したいと思います。古来、人は出家(しゅっけ)すると釈子(釈氏)となり、世間でいう親子の(えにし)(せい)を捨てて平等となります。

 いや、仏道を歩む者は出家せずとも釈子と言えましょう。浄土宗や浄土真宗では、在家信者の法名(ほうみょう)にも釈の一字を与えております。仏教は大海(だいかい)の如く一味であり、皆共(みなとも)に成仏をめざします。「餓鬼道へやるはシャクシの()りこぼし」という川柳は釈子と杓子をひっかけた、味のある句と言えましょう。願わくは、猫も杓子も釈子となり、(すみ)やかに成仏してほしいものであります。

文中の写真は9/3に当寺を会場に行われた熊谷地区諸宗教者懇談会主催の「平和の集い」の様子です。

合 掌
H18.8月のことば 「説 教(せっきょう)」
 今日、説教というと、学校の先生や親の小言のことをまず思い出す人が多いようですが、説教と小言では、全然次元の違うことをさす言葉です。
 説教とは文字通り教えを説くことであって、人をとがめブツブツ言うことではありません。
 ところで本来の説教とは何でしょう。昔は説きょうのきょうをお経の経と書き、経典の内容を解説して人びとを教化することをさしました。ところが、明治政府の教部省がお経の経を教えの教に書きかえ、禅宗の説法,真宗の法談等、全部一括させることにしたのです。どちらに致しましても、仏教の要義を信者に宣説するという点に関しては同じでありますから、それでもよいでしょう。
 要するに説経はお釈迦さまの教えである仏教を説くことであって、それ以外の何物でもありません。お釈迦さまの教えには、三法印という三つの柱があります。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つですが、いま一つ一つについてお話する時間がありません。一口でいえば=すべては移り変わってとどまることがなく、しかも自然の大法則によるのであるから各個人のわがまま勝手は許されない。この大法則たる真理と一体になることこそ煩いのない心となる道である=というようなことになると思います。
 先生や親には是非この仏教の高次元に立つ説経をしてほしいものです。そのためにはお寺に行って本物の説経を聞き、本物の説教師さまに教えを受けることが必要でしょう。
 にせもの説教師によって本物説教師が誤解を受けぬよう、皆様のご協力をお願いする次第です。
合 掌
H18.7月のことば 「善玉・悪玉」
 江戸・享保年間以降、全国へ盛んに広められた庶民教育思想に心学というものがあります。これは、神道、儒教、仏教の三教を巧みに混用して実践的道徳を説いたもので、石田梅巌(いしだばいがん))をその祖としております。一門はいわゆる道話を述べ、平易な草双紙を使って、庶民を広く感化しましたが、本の絵の中に登場する人物には具体的な目鼻を画かず、只の丸に善とか悪とだけ示して善人か悪人かを類型しました。そのころから、善玉、悪玉という言葉が普及したようです。
 ところで、人に善人とか悪人とかのレッテルを貼ることができるのでしょうか。仏教的に見れば、善玉は仏、悪玉は悪魔を指すことになり、これが一人の人間の中に同居していて、どちらかが表に出ていることになります。仏性が表の出れば善玉、魔性が表に出れば悪玉と呼ばれると言ったらよいでしょうか。仏教ではこの体をたとえて、右半分を仏(善)、左半分を煩悩具足の我(悪)とします。だから右手で焼香し、数珠は左手に持つのが普通ですね。「右ほとけ、左はわれと合わす手の、中でゆかしき南無の一声」という歌を紹介しておきましょう。
 私は以前、体の半分を黒、あと半分を白く塗りつぶした絵を見たことがあります。ある少年が画いたというのですが、黒は夜で悪玉、白は昼で善玉を表すとも受けとれます。
 小学生を殺し、生首を自分の学校の校門に置いたという神戸のあの中学生の体にも、確かにこの二つが同居していました。善玉よりも悪玉に支配された少年の心は、その何者か正体のわからぬ悪玉にバモイドオキ神という自分の考えた名前をつけ、聖なる儀式としての殺人をしたといいます。
 どう解釈しようと、私達の心体には、善と悪、浄と不浄、仏と悪魔、善神と悪神・・・そんなものが同居しています。是非善を育てて、丸に善と画かれるよう精進いたしましょう。
合 掌
文中の写真は梅雨の晴れ間の境内と周辺の農地です
H18.6月のことば 「作家(さっか)」
 現代の作家は文章を書くばかりでなく、マスコミノ波に乗って多方面に活躍されている方が多いようですが、作家とは本来、どういう人だったのでしょうか。
 中国唐代には「詩文を良くするもの」の意味で使われていた作家ですが、これが禅にとり入れられると、「作り出す」ことが強調され、「卓越した力のある禅の指導者」を指すようになりました。仏教の勉強方法は、まずすぐれた師を見つけ出して、師の教えを学び習うことからはじまりますが、模倣や真似ばかりでは禅を極めることなどできません。
 禅宗では、作家をサッケあるいはソケと読み、作家は「作家す」(そかす)ことをその使命としました。つまり、弟子を悟らせること、換言すれば本物の覚者にすることが作家の任務だったと言えましょう。碧巌録第六十一則に「龍蛇を定め緇素を別つことは、須らく是れ作家の知識なるべし」(りゅうだをさだめしそをわかつことは、すべからくこれサッケのちしきなるべし)という文が見られます。龍とは大者・蛇は小者、緇は黒・素は白ですから、出来た人か出来ない人か、賢い人か愚かな人か、相手を見分けて指導することが大切であるということでしょうか。
 現代の作家にも、是非この禅の作家に見習って、物事をキチンと判断し、創作していってほしいものです。模倣や真似を脱して、本来の自己を発露するのでなければ禅の奥義に達することはできないように、人の文章をそのまま拝借したり、盗作さわぎをひきおこしているようでは、ほんものの作家にはなれません。単に詩文をよくするばかりでなく、自分の詩文を創作するということですね。
 私達もまた、それぞれが作家です。自分にしかできない、自分自身の作品を作り出しておきたいものです。小説や絵画ばかりでなく、作り出すことはすべて作家のすることであり、後継者の育成もその一つのようですから。
合 掌
文中の写真は6月の境内と周辺の農地です
H18.5月のことば 「殺生(せっしょう)」
 人からつらい思いを強いられると「そんな殺生なことは言わないでください。」と頼んだり、可愛そうな話を聞くと「それは殺生だ。」などと使っています。殺生とは生き物を殺す、ということで、お釈迦さまから見ても重大な罪であり、不殺生戒は第一番目の戒律となっています。しかし、この世の生物界を見ると、残念ながら殺しあいをしながら生きてゆかねばなりません。肉食動物は毎日殺生を重ね、その肉を食べてゆかなければ生きていけませんし、草食動物と肉食動物の両方を兼ねている人間もまた、殺生を重ねております。

 しかし、ここで人間と他の動物の違いを考えてみましょう。ライオンやトラは、自分が生きてゆくに充分なだけの肉があれば、もうそれ以上は殺そうといたしません。満腹でさえあればたとえ側に居ても安心です。人間はどうでしょうか。自分は殺されたくない、殺生なことはされたくないと思う反面、自分の生命を維持することとは関係なく、無益な興味本位の殺生を重ねている人がいます。最近は人間が人間を殺す、しかも保険金目的から無差別殺人まであらわれる始末です。万物の霊長だなどといいながら、人間ほど恐ろしい下等な動物はないというところまで達しました。

 人間が動物以下では困ります。人間同士の殺しあいはもちろん、他の動物に対する殺生も可能な限りつつしみたいものです。業の深い人間が肉を食べるのは必要悪だとしても、せめて仏さまにお供えする霊供膳くらいは、精進料理にして、罪を少しでも軽くしておきたいものですね。そして私たちが生きるために殺生せざるをえなかった相手の動物には、供養と感謝をささげるとともに、多くの命に育まれている我が命を無駄に過ごすことなく、毎日精進したいものです。

合掌九拝
文中の写真は5月の境内です。
H18.3月のことば 「初心・発心」
 自動車の免許とりたての人は初心者マークを付けて運転することになっています。
 また、一年を経っても「初心忘るべからず」で、安全運転に心がけましょう。
 ところでこの初心ですが、上の例文で()かるとおり<習い始めの未熟な>という意味と<始めた頃の純粋で謙虚な心>という二つの意味に使われますね。しかしこの二つは決して別なものではありません。
 そのはじめ、初心とは(はつ)発心(ほっしん)のことで、発心とは発菩提心(はつぼだいしん)の略ですから、<仏教に入門しようと初めて(おこ)した菩提心>のことでありました。従って「未熟ながらも純粋な仏の心を持つこと」が初心であったといえます。
 この初心が一般に使われるようになったのは、仏教に源流を持つ()の大成者・世阿弥(ぜあみ)によるところが大きいと申せましょう。
 世阿弥はその能楽論書「花鏡」の中に「是非の初心を忘るべからず、時々の初心を忘るべからず、老後の初心を忘るべからず」の句を残しています。この句が「初心忘るべからず」という成句を生み、初心生涯(・・・・)などと書家に書かれて、初心の語を一般化したと言えましょう。
 世阿弥は能楽を習いはじめた頃の芸を忘れてはならいと(いまし)めたのですが、これから転じて、何事においても最初の心持ち、真剣さ、目的等を忘れてはならないということになったんですね。人間はややもすると、この初心を忘れがちです。政界を浄化しようと立候補した政治家が、当選するといつのまにか汚職議員になってゆく・・・・なんてことは、よく知られている例でしょう。
 少なくても私達仏教徒は本来の初心忘れることなく、菩提(ぼだい)(こころ)(おこ)し、菩薩(ぼさつ)の道を行って、世の為、人の為に精進してゆきたいものです。
「暮らしの中の仏教語」加藤朝雄 著より
文中の写真は4月春爛漫の境内の様子です。
H18.2月のことば 「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」
 「どっこいしょ」とは六根清浄がつまったものと伝えられております。私たちには心があり、その心に従って考えたり、行ったりしつつ生活しているのですが、次のことをちょっと想像してみてください。「目は見えない、耳は聞こえない、匂いや味はわからない、体がまひしていて、暑い、寒い、痛い、重いなどの感覚が全然ない」とします。つまり、自分の外の世界をキャッチして自分の内方にとり入れ、それを心に映し出すための器官が全くないということです。だからといって心までなくなったわけではないのですが……。
 般若心経ではこの外の世界をキャッチする器官を「眼耳鼻舌身」と表現し、それをとり入れている心を「意」と表現しています。そして前の五感に対して、心を第六感といいます。
 私たちは、通常この前の五感が全部達者ですが、もしそれから悪いものだけをどんどん心にとり入れていたらどうなるでしょう。映画やテレビの俗悪番組だけを見聞きし、暴飲、暴食や夜遊びをして不節制の限りを尽くしたら、心はどう変わってゆくでしょう。悪いものとだけしか出会えない心はどんどん荒れてゆくと思われます。
 目、耳、鼻、口、体それに心の六つには、それぞれ根もとがあって、これをきれいにしておかないと変なものが入りこんで大きくなってしまうのです。この六つの根、六根を清浄にすれば、きれいなものが見え、きれいな音が聞こえ、香りや味のよいものはそのままに、幸せを全身に感じながら暮らせると示されております。
 世の中は実は思うより明るいのです。
 道元禅師のお歌に「にごりなき心の水に澄む月は、波もくだけて光とぞなる」というお歌がありますが、心根のきれいな人にとっては、実はこの世こそ極楽なのかも知れません。
H18.1月のことば 「極楽・浄土」
 私たちには煩いや悩み(煩悩)が多くて、なかなか悟れませんが、ひとたび仏心に目覚め、誓願を発すことによって菩薩の位に入り、更には仏の位に入ることができます。仏に成れば煩悩は消え、清浄なる国土が出現いたします。この国土を浄らかな国土つまり浄土というんですね。仏に成る者がそれぞれに浄土を建国することになれば、浄土の数も東西南北上下と限りなくあることになるでしょう。そして数ある浄土の中で、なぜかお釈迦様の霊山浄土と阿弥陀様の極楽浄土が超有名になりました。

 霊山浄土は御釈迦様が霊鷲山で法華経を説かれたことから、存在が明らかにされた浄土ですし、極楽浄土は法蔵比丘が四十八願を発して阿弥陀仏となり、西方十万億土に建国された極めて安楽な浄土です。

 お釈迦様も阿弥陀様も昔は私たちと同じ人間でありましたが、出家し、菩薩となり、更に仏と成って、それぞれの浄土で今も法を説き続けてるそうです。そして往生を願うものあらば、いつでも受け入れてくださいます。

 ところで私たちは人間を卒業したら、次は何をしようとしているのでしょうか。さてどんな仏と成り、どんな浄土を建国するのか? あるいはどんな浄土へ行ってお世話になり、どんな仏に成ろうとしているのかですね。

 自分で浄土を建国するほど力が無いとして、では、どの浄土でお世話になることに致しましょうか。霊山浄土か、極楽浄土か。

 でも選択に悩む必要なんかありません。霊山浄土の内側に極楽浄土があるのだそうです。「たとえば碁盤の上に石一つ置いたようなものだ」と昔の人は説明しております。浄土はどこも同じところにある。つまりお互いにシッカリ繋がっているということでしょう。

 極楽トンボという句は、のんびり悩まず暮らしている輩をからかって言う言葉ですが、私たちは正真正銘の極楽の住人となり、二世を安楽に暮らしてゆきたいものですね。
文中の写真は、地元の郷土芸能「樽踊り」正月3日境内にて

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