最終更新日:平成30年12月1日




第132回常光院投句箱開き
天 賞 句碑の上に紅葉かつ散る古刹かな 宮内 志乃 作
地 賞 大屋根の軒の厚みや冬近し 青木つね子 作
人 賞 夕ひぐらし兜太の句碑に鳴きしきる 高田みつ子 作








縁起・因果(えんぎ・いんが)

 縁起がよいとか悪いとかいうあの縁起ですが、始めに何かが起きた時、それがよいことの前兆か悪いことの前兆かを(あらな)う言葉としてよく使われているようです。またその因()によって生()したことが不幸なことであれば因果が尽きたと言ったり、親の死に目にあえない商売を因果な商売と言ったりします。実はこれらの語は仏教の根本教理である縁起説に関係しており、縁起の教えは次のような理をもって表現されています。「()れあれば(かれ)あり、此れ生ずれば彼生ず。此れなければ彼なく、此れ滅すれば彼滅す。」
 つまり、すべての現象は独立自在のものではなく、相縁(あいよ)って共に生ずるものであり、相関関係においてあるようになったり、無くなったりするという生起消滅の法則です。すべてのものに実体はなく、年月とともに移り変わってゆくのですが、その変わり方にプラスの方向とマイナスの方向があるのはもちろんですね。たとえば、子供が大人になるのはプラスであり、大人が老人になるのはマイナスと言えましょうか。また、煩悩はなぜ起きるのか、その因縁を無くせれば煩悩は消えるという縁起も成り立ちます。好ましい縁起を還滅(げんめつ)縁起、好ましくない縁起を流転(るてん)縁起と区別していますが、とにかく私たちは縁起にどっぷりつかって生きているのです。
 縁起は大河の流れのようで、その中を泳いでいる無力な私たちでは、流れを変えることなど到底できない話かもしれません。しかし流れをよくとらえ、逆にこれをうまく利用して、対岸のさとりの岸へ上陸することはできます。また、たとえ微力でも、努力すればよい因縁に流れを変えることもできます。縁起をかついでばかりいて何もしないことこそ縁起でもないこと。積極的に良い縁起を求めて努力いたしましょう。

合 掌