最終更新日:令和元年6月3日





第134回常光院投句箱開き 『立夏』
天 賞 天台宗別格本山百千鳥 田島 照世 作
地 賞 散り際の花愛づ国司館跡 島 良太郎 作
人 賞 常光院向拝染める落椿 野原 清  作







障 害[礙](しょうがい)
 運動会に障害物競走という種目があったり、身体に不自由なところのある方々を身体障害者と呼んだりで、障害という言葉も一般的となっていますね。本当は障害の害は当て字で、本来は障礙(€しょうがい)または障碍(€しょうがい)(碍は礙の略字)と書き、『ショウゲ』と仏教読みをいたします。
 障礙(€しょうげ)の意味はもちろん精神的なもので、さとりを得るために除かなければならない(€さわ)りや(さまた)げとなるものをいいました。この障礙には四種類ありまして、
①仏法をそしること、②自己に執着すること、③苦しみを恐れること、④生きとし生けるもののためになろうとする心がけが無いこと、が数えられます。この四つが基本的な障礙ですが、いまの国語では拡大解釈されてハードルやハンディキャップまで障害に加えられ、読み方が変えられた上、字も礙から害に変えられてしまったようです。

 仏教でいう障害はあくまでも心の問題であり、私たちの心にたまる塵芥(ちりあくた)をさす語です。心は本来清らかで明るいものなのですが、この塵芥が障害となって自由を失うばかりか、暗く悩める姿となってしまっているといえるでしょう。この心の本来の姿を取り戻せるのは私たちめいめいでしかありません。自分の心を救えるのは自分しかないということです。ちょうどお腹が空いているときに、他人にご飯を食べてもらっても自分のお腹は減ったままのように、他人に勉強してもらっても自分の知識は増えないように、他人に修行してもらっても自分の心は救われないままです。自分が食べ、自分が勉強してこそ、自分の体が出来、自分が賢くなるように、自ら自分の心をきれいにするのでなければなりません。
 よく自分の悩みを他人のせいにする人がいますが、それでは一生悩んだまま救われることなどないでしょう。自分の障害は自分で取り除いてゆきたいものです。
合 掌
令和元年6月1日

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