最終更新日:令和8年10月1日








『大人・小人(だいにん・しょうじん)』
 いろいろな施設で入場券を買う時、窓口によく大人(だいにん)はいくら小人(しょうじん)はいくら、と書いてあるのを見かけますね。もちろん大人(おとな)はおとなと読ませ、小人(しょうじん)はこどもと読ませ、これらを分けて料金をいただこうというのでしょうが、どこからが大人(おとな)でどこからが小人(こども)なのか。まさか背の高さや太り具合で区別はしないでしょう。在学校や年齢で区別するのでしょうか。それにしても中学生は大人なのか小人なのか、扱いに困ってしまいますね。中学生は感じやすい年頃ですから「もう大人なんだから・・・・」と言われたあとに「小人のくせに・・・・」などと言われると本当に悩んだりします。
 大人になるって本当はどういうことなのでしょうか。実は大人は元々仏(ぶつ)・菩薩(ぼさつ)の呼称だったのです。それが敬意を表して長老(ちょうろう)をもそう呼ぶようになり、徳のある人を誰でもそう呼ぶようになり、だんだん下がって、一人前のものを一般的にそう呼ぶようになりました。だから本来は大人になるって大変なことだったわけです。遺経(ゆいきょう)には、八大人覚(はちだいにんがく)といって大人(おとな)であるための八つの条件が示されております。すなわち、少欲(しょうよく)・知足(ちそく)・遠離(おんり)・精進(しょうじん)・不忘念(ふもうねん)・正定(しょうじょう)・智慧(ちえ)・不戯論(ふけろん)を行ずることがそれですね。また「能(よ)く忍を行ずる者は乃(すなわ)ち名づけて有力(うりき)の大人(だいにん)となす」ともありますから、堪え忍ぶことが文字通りの大人(おとな)しいことなのかもしれません。体だけ大きくなって齢(とし)だけとっても、仏道を修めなければおとなにはなれません。
 伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)様は「大道未だ弘まらず、大人興(おこ)り難し」といわれました。はやく道を求めて大人になりましょう。また、小人とは大人の反対語で、閑居(かんきょ)して不善をなす輩(やから)が小人です。いわゆるこどもは子供であって小人という蔑称(べっしょう)はあてはめるべきではないと思うのですが・・・・。
こどもの中にも大人が居て、おとなの中にも小人が居ます。
合 掌
令和3年10月の言葉より

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