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『人間・人身・ありがとう』
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世の中には生きとし生けるものが非常に多くいて、私たちの目では見られない世界にまで枠を広げれば、その数は想像もつかないほど膨大なものになるに違いありません。しかもそれら生物の命は永遠ではなく、生まれては死んでゆくわけですから、命はどれほどあるものかと不思議に思わざるをえません。
仏教では、有情が輪廻転生するとみて、生死転変する世界を地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六種に分類しております(六道)。人間とは天上に近い所に位する有情で、私たちのことですね。私たちは、こうしてまた人間に生まれついていることを当然のことのように考えていますが、他の生物と人間の命の割合を比べてみると 、人の身を受けて生まれるということは、実はほとんど確立のない大変まれなことだと分かります。これを「人身受けがたし」と表現していますが、人身を受けた上に仏さまの教えに出合うとなるともう本当に大変な事です。
百年に一遍しか海上に首を出さぬ盲目の亀が、広い海を漂うたった一つの軛の穴に首を突っ込む可能性くらい、有ることが難しくなります。仏法を聞ける人間に生まれたこと=これこそ文字通りの有難いことといえましょう。大いに感謝しなくてはなりません。「有難う」が感謝の言葉となっている訳がおわかりいただけたでしょうか。
感謝の生活が何より大事ですね。「有難うと言われるように言うように」は私たちの修行の標語です。「人身受け難し、今すで受く。仏法聞き難し、今すでに聞く。この身今生において度せずんば、更にいずれの生にかこの身を度せん」と唱えつつ、「有難う」を実践してゆきましょう。
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| 合掌 |
| 令和3年1月の言葉より |
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