最終更新日:平成30年6月1日





第130回常光院投句箱開き 『立夏』

天 賞 太々と兜太の遺筆春の雨 鈴木スイ子 作
地 賞 春光や文化財とう大伽藍 岩井 昌江 作
人 賞 結界に俳句碑ふたつ花の寺 福田 理恵 作







がたびし(がたぴし)

 「この戸は古くなってがたびし(・・・・)してきた」とか「人間関係ががたびし(・・・・)しては困る」などと言いますね。がたびしを漢字にすると我他彼此(われほかかれこれ)と書くことをご存じでしょうか。まず、我他(がた)ですが、我とはわれ、つまり自分のこと、他とは自分を除いたほかのものごとのこと、であると私たちは承知しております。しかし、我とか他という言葉には、自分と自分以外のものを分ける、対立的な見解が内在していることにも気づかなければなりません。
 次に彼此(びし)ですが、彼とは彼岸(ひがん)、つまり川向うのさとりの世界をさし、此は此岸(しがん)、つまり川のこちら側にある私たちの迷いの世界を指します。よく考えてみると、これも対立的なものの見方ですね。仏教を説くにあたり、私たちは理解しやすくするために、時にはこのような対立語を使ってお話しすることがよくありますが、本来、我と他の別もなければ彼と此の別もないのです。個々のものを個物としてのみ把握して、根元的な万物の同一性を見失っていては、本物はつかめません。
 仏教には天地と(われ)と同根、我と(ほか)が同一体となるところに、始めて悟りが開けるとする教えがありますし、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)といいまして、迷い苦しんでいる自分がそのまま仏さまの命を生きているのだ、という考え方もあります。
 要するに、我他だの彼此だのと分けることをしないところに本物があるということです。そして、我他彼此しないということは自分と大自然とが一体になるということだと言えるでしょう。太陽は差別なくすべてのものを照らし、慈雨は差別なくすべてのものに(そそ)ぎます。私たちも、この辺で大きく目を見開いて大空のような心となり、心の作る我此彼此を和合させて、皆共(みなとも)に仏道を(じょう)ぜんと願いたいものです。
合 掌
平成30年6月1日

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