最終更新日:令和8年4月1日








『一途・三途(いちず・さんず)』
 一途はイチズとかイットと読まれ、読み方に読みぐせがあるようですね。でも、「一途な思い」という時の一途と「発展の一途」という時の一途にはどれほどの違いがあるのでしょうか。なんと読まれようと途は「みち」のことで、それもなかほどを意味することに変わりはありません。途は仏教的には「悟りを求める方法を一つに定めて、その道をひたすらにたどること」を指します。私はよく、悟りを山の頂上に喩えてお話しするのですが、どんな山でも頂上に達するための道は一本ではないでしょう。どの道をたどって頂上に達するかは別にして、とにかく頂上に達することが大切です。同じ仏教でも宗派によって、その悟りへのたどり方が違っていることは皆さまご承知のとおりですが、どの道であろうと一途にその道を前進して悟りを手に入れることが重要です。
 また、三途という時の三つの道は火途(地獄道)、血途(畜生道)、刀途(餓鬼道)を指します。三悪道のことですね。また、三途の川という時は三種の瀬のある、この世とあの世をへだてる川を指します。中国で作られたという十王経によれば、私たちが死んで七日目になるとこの川にぶつかるそうです。川端には脱衣婆というお婆さんと懸衣翁というお爺さんがいて、亡者の着物をはぎ取り、これを衣領樹という木の枝にかけて、その重さを量ります。生前に造った罪の重い者の着物は重く、枝がよくたわむと申します。軽い着物は善人の着物であり、白装束で、しかも仏名でも書いてあると、軽いことは言うまでもありません。亡者は罪の軽量によって、流れの早さが違う三つの瀬のどこを渡るか決められ、あの世へ渡るというわけですね。私たちは是非、積善の一途をたどり、一途に仏を求めてゆくことにいたしましょう。三途の川(葬頭川)の渡り方は、お葬式までの生き方次第で決まります。
合掌
令和3年4月の言葉より

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