最終更新日:令和6年11月5日













 安穏(あんのん)とは平穏無事(へいおんぶじ)であること・解脱(げだつ)していて何の悩み(わずら)いもないことを言います。
 今日「安穏と暮らしている」などと言うと、自分だけ楽を決め込んでいて、他に対して何も働きかけないことを指すようですが、もちろん本来の使い方ではありませんね。
 法華経の寿量品(じゅりょうぼん)に「我此土安穏(がしどあんのん)」とある通り、仏国土は常に安穏ですが、安穏であれば必然的に他者にも安穏を味わってもらいたいと思い、他者救済に向かって動き出します。
 仏さまは、この仏国土であんのん(・・・・)としていることなどないということです。「何を()ってか衆生をして無上道に()り、(すみ)やかに仏心を成就することを得せしめん」とばかり、常に娑婆(しゃば)に出て救済活動をしておられるのです。
 だから、もし私たちが往生しても「仏国土へ行ってみたら、仏さまたちは出張してどなたも居られなかった。私も成仏した以上、先輩の仏に習って娑婆世界へ救済に出かけることにした」そんなことになるかもしれません。自利・利他の道を安穏道と言い、人々を安穏に導く善行を安穏業と言うことも申し添えておきたいと思います。
 ところで平成7年3月20日に、東京で地下鉄サリン事件が発生しました。その前後に起きた類似事件も入れて、多くの人々が殺傷されたことが大問題になっています。警察はこのサリン事件を追っているうちに、ある宗教団体にぶつかりましたね。この小さな宗教団体が連日のトップ報道記事になり続けたのは、世界を震撼させる不穏(ふおん)な団体だったからと言えましょう。安穏の反対が不穏です。宗教は人々に安穏を与えるものでなければなりません。私たちは、宗教の仮面をつけて人々に不穏を与える悪魔に付け込まれることなく、本当の宗教、本当の仏教、本当の解脱に向かって精進したいものです。今こそ人々に安穏なる世界を知ってもらう時ではないでしょうか。

合掌
令和4年7月1日

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